葬式と花とBLと
父方の祖母が亡くなった。
94歳の大往生だった。葬式ではなく、もはやお祝いごとに近いだろう。
わたしにとっては父方と母方合わせて、存命してきた最後の祖父母になる。実家が近いこともあり、小さい頃からしょっちゅう行き来していた。
はっきり言ってわたしは孫の中で一番可愛がられていた。実は、祖母がこっそりわたしのためだけに貯めていたお金があったのだ。
「みーちゃん(わたし)に車を買ってあげて。ここらへんでは子供たちにはそうしているんだから。みっともないくないように立派な車を」
通帳を握りしめて、祖母は父にそう話したらしい。
結局そのお金は祖母の介護資金に充てた。
自分だけ申し訳ない、というよりは、祖母のお金なのだから祖母のために使うのが正当だという気持ちが強かった。ただ、祖母の深い愛情に泣いた。
祖母との別れの日が近いことは三週間ほど前に父から知らされていた。そして、その余命宣告通りに祖母は冬の早朝に静かに息を引き取った。出勤前にそのことを知らされたわたしは、その日に事務的に忌引休暇の申請をしたのは憶えている。
葬式の当日もどこか他人事のように、ポワンとしていた。今思えば、必死に感情を殺していたのだろう。
その感情が爆発したのが、出棺直前の花入れの儀式の時だった。
祭壇にある大量の花を葬儀屋さんが全部切り落としてくれた。
棺の蓋は山型になってますから、どんどん入れてくださいとスタッフはお盆に山盛りになった花をどんどん進めてくる。
色とりどりのたくさんの花を、わたしは震える手で祖母の冷たい体の周りに飾りつけた。
ふと、祖母の遺体に触れると氷のように冷たかった。こんなのおばあちゃんじゃない、と思うとこらえていた涙が一気に溢れ出した。それでも唇を噛み締めて、孫娘として最後の仕事だと思い、誰よりも多く祖母の周りを花々で彩った。自分でも信じられないくらい泣いていた。
これから本物のお花畑に行くのにね、こんなにいらないって言われちゃうかな、と呟くと親戚のおばさん達まで泣き始めた。
最後に棺の上に添えられたのは、父が祖母の庭で積んだ一輪の水仙だった。
祖母は幸せだったのだろうか。
20歳そこそこで田舎から田舎へ嫁いできて、70年もの歳月を同じ土地で過ごした。気難しい姑と同居して、人知れず泣いていたこともあったという。
晩年の祖母の一番の不幸は、息子に先立たれたことだと思う。そこから一気に認知症が進み、介護施設で暴れたり薬を拒否したり大変だった。祖父の……自分の夫の葬式ですら「誰の葬式なの?」と親戚に聞き返していたほどだ。祖母の魂は、すでにこの世にはなかった。
祖母のことを思い出すたび、数年前に急逝した叔父のことを思い出す。寡黙で優しい人だった。祖父母の介護も「俺が2人の面倒を見る」と言ってくれたのに、癌で呆気なく死んでしまったけれど。祖母のことを一番愛していたのは叔父だと思う。
あの世というところがもしあるのなら、きっと叔父と祖父が祖母を迎えに来ているに違いない。わたしが小さい頃に見た「おばあちゃんの家の光景」そのままが、そっくりそのまま広がっているだろう。
祖母は幸せ者だったと思う。
息子3人に敬愛されて生き、亡くなったのだから。祖母が幸せのためなら、悲しさも我慢できる。
明けて今日、iPhoneの中からとある曲を選んで出勤した。去年公開されたBL映画の主題歌である。
なんで葬式の翌日にBL!?と思うかもしれないけれど、これが今のわたしの聞きたい曲だった。信じられないくらい、今のわたしの心の風景そのままだった。
あなたと生きてくこの世界は
こんなにも切なくてただ 綺麗で
変わりゆく変わらないもの
また会えると 笑って
という歌詞が冬の青い空の下、すーっとわたしの耳たぶから全身に落ちていく。恋の歌なのに、今はこれ以外は聞きたくなかった。そういえば劇中で主人公は恋人からオレンジの花を送られていたっけ。
おばあちゃんにまた会えるかな。
冬が終われば花の季節がやってくる。
祖母と同じ庭で、今度は自分のために花を摘むと思う。