好きなこと「だけ」をする生き方
人が、残された時間について最初に考えはじめるのは、40代からだと以前、メンターに教わったことがある。
僕も20代は時間が無限にあると思っていたが、40を過ぎたあたりから、まだ遠くではあるが、人生のゴールをかすかに意識するようになってきた。
「好きなことをして、生きていこう!」
と僕が決めたのは20代だが、今この年齢になってからは、残された時間は
「好きなことだけをして、生きていこう!」
という氣持ちが強くなっていった。
果たして、人は好きなことだけをして、生きていくことができるのか?
自分が好きなことは、ある程度分かるようになるが、それでも日常生活での雑務は存在する。
洗濯・掃除・皿洗い・・・・
それらが仮にお金で代行してもらったとしても、生きていくかぎり、結果を出すためには、根気よく同じことを繰り返すことが必ずあるだろう。
そんな時は、いかに決められたローテーションを楽しめるようになるかが大切なように思うのだ。
僕は最近、youtubeで町の中華料理店を経営しているお爺さんが、中華鍋を振って、料理をスピーディに出す動画を見るのにハマっている。
無駄のない動きから繰り出される美味しそうな料理たち。
食欲をそそる中華鍋とお玉が擦り合う音。
なかには、創業してから40年という人もいるが、店主の満足そうな顔が印象的だ。
たとえ何十年同じ動作で、同じ景色しか見てなかったとしても
もっと美味しく、もっと手際よくを研究し、何より
「自分が今していることが、誰かの幸せになっている」
という深い実感があるからこそ、惰性で取り組むことなく、1つ1つ気持ちを込めて仕事ができるのではないだろうか。
誰かの喜びや、幸せを想像するビジョンが、自分のワクワクやエネルギーになってくれることがある。
そうした氣でいつも過ごせるなら、私達は「好きなことだけをして、生きていく」ことが可能だ。
私達が日常やるような皿洗いであったとしても、ただの作業として
「皿から汚れを洗い落とす時間」としか見ていなければ、退屈で面倒なことと思うかもしれない。
でも「皿から汚れを洗い落した後、その器にまた美味しい料理が盛られ、自分や家族がまた喜んでご飯を食べることにつながる」
という、目に見えない幸せに想いを馳せることができるようになれば、単純作業も楽しめるようになるだろう。
私達が日々繰り返していることが、一体何に繋がり、どう人の役に立つのか、目に見えない「何か」を想像し、つながり続ける感覚が大切なようだ。