アフィ業界の端っこにいる人が考えるニセ科学よりも質が悪い「自然科学の底」の話
0序
私アフィリエイト関係のwebライターをやってます。
でまぁtogeで一日無駄にしていろいろ主張したわけです。主に査読について。
その中で分かったのが「科学信仰」と「理系アゲ文系サゲ」の考え。
なので一つ、「科学の底」を削り取って商売してる身の上として「科学は言うほど立派ではないよ」「査読制度は学問としての正当性の保証しないよ」という話をしよかなと思ったわけです。
一日ででっちあげたまとまってない雑多な文章ですが、よろしければおよみください。
1「赤ワインを飲めば心筋梗塞予防になる」「煙草を吸えばアルツハイマー予防になる」
調べてみると「はぁ」って言いたくなる論文が科学全般で何食わぬ顔で流通してたりするんですが、まず書き出しの代わりに庶民に一番影響がある科学として疫学界隈から二例だしましょう。
一つ目が有名なフレンチパラドックス「赤ワインを飲んだら心筋梗塞予防になる」という話
もう一つが「喫煙によりアルツハイマー発症率が下がる」という話。
二つとも現在は「どうやら間違いだった」と判明した話です。
フレンチパラドックスとして名を遺した「フランスは心血管系疾患の羅漢率が低い→赤ワインをたくさん飲んでるから?」という研究はどうやら統計の問題だったということ事が判明し「間違じゃないか」と大勢が認めています。(認めてない人もいます。酒飲みとか)
もう一つの「喫煙で」論も同じ。昔そういう研究が出て賛否含め大いに議論されたことはありますが、「どうやら統計の取り方の問題であってむしろ喫煙は発症率をあげるのではないか?」ってことで決着がつき始めてます。(認めてない人もいます。喫煙者とか)
(喫煙でアルツハイマー予防については「煙草産業が研究スポンサーに)って話もあるんですが、ネットで調べても陰謀とセットで禁煙すすめるサイトばっかりでよくわからないんだよなぁ。
まぁフレンチパラドックスがきっかけでポリフェノール関係の研究が進みましたし、喫煙でアルツハイマー予防という研究で研究が進み「違う。むしろ発症率あげる」とわかったので無意味じゃありません。でも間違いだったのは確かぽいです。
2科学的思考とアフィリエイトに基づいて「言い切らない」スタンス
ぽい、と言い切らないのは疫学というのは「統計から答えを導き出す」ことが多くなる分野だからです。
なので「100%そうだ」とは言い切れません。今後万が一くらいの確率で「いやほんとだったわ」って話が出てくるかもしれない。それに私の理解が間違ってるかもしれない。
そうなったときに「改訂します」と本稿を改定するのはめんどくさい。だから「ラシイ」で抑えてある。ここから先あいまいな話はそう理解してください。
科学的思考とアフィリエイト的思考がミックスされた結果です。
3「悪意」に対応できない科学制度の限界
上の二つは「統計の扱い方」という「善意の間違い」です。
なので科学者は悪くありませんし、科学制度も「追検証して間違いと判断された」と正常にその機能が働いた例
そういう追試もされてない論文を持て囃すマスコミや大衆、科学者や化学オタクという問題はありますがそれはあとから書きます。
発表段階でこれよりも大きな問題となるのが「科学者の悪意」です。
科学者、というと「真理とか科学的事実を追い求める賢い人々」を想像する人が一定数いますが、ぶっちゃけた話科学者もサラリーマンや工場労働者と変わりません。
違うのは「研究という業務」でお給料もらって出世してことです。その研究の成果を判断するのは論文なわけで、「論文を書かなければ評価されない」という事情が生まれます。
もちろんただ書くだけではだめ。世間に評価されるインパクト。その論文の内容、見栄え、そういうものも問われる。
もちろん「できるなら手間をかけずに実績を出したい」という事情もそこにはある。予算も人員も時間も無限ではない。早く終われば次の研究に早く移れる。
その他もろもろ。
そこででてくるのが「悪意あるミス」つまり「不正行為」です。
不正行為も「結果の見栄えをよくするために調整する」から「画像修正」「論文盗用」「名前貸し」「他人の論文を買う」「アイディア盗用」「証拠や研究結果のねつ造」「同じ論文の投稿、分割投稿での業績の水増し」etcといろいろあるのですが、これらははじめから「査読審査を通ること」が大前提です。じゃなきゃ実績になりません。ねつ造してでも論文掲載したいわけですからね。
逆に言えば査読はそういった「悪意」に対応するすべがないわけです。
(ここでは科学者個人の悪意について話しましたが、例えば医薬品メーカーとか健康食品が「自社商品を売る広告」として捏造論文、そこまでいかなくても自社にとって都合がいい研究を応援したら?科学者はスポンサーを慮って中立性が失われれるのでは?という話もでてきます。前述の「たばこ産業がスポンサーに」的な話はこういう事情からよろしくないとされてたりするわけです)
(ただそんなこと言い出したら、酒屋とか医薬品メーカーとかその他多くの民間企業がスポンサーになる研究とかどうなの?って思うんですが、その辺どうなんでしょ?)
4 STAPが教えてくれた査読は正しさも権威も保証しないという話
査読審査は長いものだと一年かかるとか出てくるんですが、大体半年から3か月程度だそうで。
その中でボランティアの科学者を探してから始まり審査するわけですが、正直3か月で論文の真偽判断とか無理です。
特に画像修正や盗作なんか本来科学者の専門分野外ですから。
STAP細胞では「再現性なし」の検証に半年以上かかりました。これでも「当初の予定を打ち切って」という話なので本来ならもっと時間がかかったはずです。
膨大な予算と時間を使えるならまだしも、学術誌はそこまで金持ちではありませんし、査読をやる科学者もそこまで暇じゃないです。
ですから「なんかもうどうしようもない」レベルの物や「微妙」レベルの物ははじかれますが、それは「論文の質」ではなく「体裁」の話です。
論文の質についてはSTAP細胞のような「そもそも根拠自体存在しなかった」レベルの論文が通る時点でわかりますよね
質だの正当性など論文の査読で保証できるものではありません。それができれば苦労せんのだ。
5「正当性」の保証は追試で見る。けど追試されるわけでもない
では「論文としての質」「正当性」「内容の正確さ」は何で判断されるか、ですがそれは「第三者による再確認」つまり「追試」です。(こう考えると査読も発表前に行われる追試の一つといえる気はしますが、話の都合上別の話としておいてください)
科学者が論文として発表したものを第三者の科学者が再確認して「確かにせやな」「なんか違う」「根拠の統計はあってるけどこの考え方は疑わしいと思うんだが」「すごいやっちゃなこいつ」「面白いけど検証不十分じゃないか?」と評価するわけです。
この「再検討の余地があること」が「検証可能性」であり「客観性」です。
ただこの追試、すべての論文で行われるわけじゃありません。
そもそもほかの人間の研究なんて追試したところで「この人の論文は正しい」ということがわかるだけで追試した人の業績になるわけではないわけではないためです。その割に金も人員も時間もとられる。
また日本では「論文数が減ってる」と問題になってますが、それでも6万以上の論文が一年で発表されます。
論文以外の体裁、書籍での発表とかも含めれば膨大。その全部を追試なんかやってられません。
ですから「読むだけで検証不十分とわかるから」「相手してられないなコレ」「誰かほかの人がやれよ」「なんか胡散臭いなぁ」という論文や主張なんか初めから追試もされず放置されることになります。(逆に追試なんかしなくても信用してよいと判断される、ありきたりな研究も追試がされません)
また「論文に引用するから」などの理由で追試をして、仮に論文の結果が出なかったとしてそれを「問題」「間違い」とするのは難しいものがあります。
自分の追試ミスではないか、答えが違うのは別の要因がある、もしかすると論文に書かれてない(書き忘れてる)何かがある、といった要素が並びます。そういう可能性があるなか同業他社のミスを軽々しく批判できるものじゃないのは科学者も同じです。
批判するなら明確な根拠が要りますが、それを探すには時間も手間もかかる、その上ほんとに間違ってるとは限らない、もしかすると僕が間違ってるかもしれない、そういう疑いを持つのは業界の先輩で有名人のあの人には失礼では、といった政治的な話もでてきます。
これらの結果「注目度や信ぴょう性が低いとそもそも追試されない」「追試されたとしても確認にすごく時間がかかる」「めんどくさいし業績にもならないから追試はしたくない」という事態が起こるわけです。
科学者のこういう態度がニセ化学がはびこる一つの要因だったりします。(疑似科学なんか誰も相手にしないから否定もされない。科学者としては真面目に否定するにも面倒だから手を付けたくもない)
6客観性の余談
余談ですが「〇〇だろう。理由は私がそう思うから」と自分の主観だけを根拠にしても客観性があるといえます。
客観性は「第三者が確認し検証できること」ですから「私はそうおもう」というだけの意見でも「根拠は私の考え」と明確に書けばそれは「これはこの人の考えである」と確認したうえで検証できるわけで「検証可能性がある」ということになります。
まぁ普通「私の考え」だけで全部埋めるなど無理なので「前こんな経験があって」「こんな主張を確認したが胡散臭くて」「こんな統計があったので」「こんな研究があるから」「実験したらこういう結果がでて」とかなんとか前ふりで水増しして「なので私はこう考える。だから〇〇だといえるだろう」とか書くことになります。これを少し賢く呼べば「推論」とか「予想」とか「推測」と呼ばれます
逆に客観性がない、というのは「我が家秘伝の古文書(未公開)」「我が家独自の製法」をソースにするとか「こう言ってたらしい」「ネットのどっかで見た」「友達から聞いた」「マックの女子高生」「〇〇ではこれが当たり前」的な「検証のしようがない」話のことでこれで論文書くとWikipediaの「独自研究」のタグが張られますよ。という話。
7企業と大衆の「速さ」に追いつけない学問の制度
別に「正当性」「理論の正しさ」の確認に時間がかかっても科学的には問題ありません。そのうち答えがでるわけですから。しかし「企業」「大衆」としてはそれはこまります。
例えばガンの治療薬なんか開発するには大金がいるわけです。ですからビジネスとしては「早く理論の正しさを証明して商業化してほしい」ということになります。
そしてガンの治療薬を使うユーザーも「一日でも早く確認してくれ」といいます。命かかってるわけですから。
ガンの治療薬は身近ではないとして「フレンチパラドックスを口実に赤ワインを売りたい酒屋」「肥満はがんの元と宣伝するダイエット業界」「煙草がアルツハイマー予防になると言いたいタバコ業界」「喫煙の影響を口実売り文句に卒煙グッズを売りたい禁煙業界」「日食だといって使えない日食眼鏡売る連中」など「ビジネスと科学が結びつく」ことはありとあらゆる分野で一般化してます。
そのうえ大衆は先進的で面白い話題に飛びつきます。具体例は、ワイドショーか健康情報番組をみましょう。
Twitterでもいい。「こういう面白い研究があったぞー」って初報は話題にするが追試結果とか信ぴょう性話題にしない科学オタクとか、新書ででた「誰も聞いたことがない新説」を持ち上げる連中とか。#まれによくみる
こういうのに合わせて「インパクト重視」「速さ重視」「利益重視」「効率重視」になると、「スピードが遅い」学問の軽視が始まるわけです。
しかしそういう軽視の風潮はTwitterとかにいる「科学オタク」達は別に気にしません。
彼らが求めてるのは「最新科学に理解あるインテリなワ☆タ☆シ」であって学問的態度でもなければ科学でもないから。(だから興味がない文系はざっくりと批判してよくわからない陰謀論にはまったり、文系サゲ理系あげをやりながら科学についてもダメな人文学者みたいなこと言い出す。)
その他大勢は言うまでもない。
マスメディアもかくのごとく。
科学者だってそれに合わせて「リケジョ(笑)の星」とか言いだしたり適当な論文だの与太話をマスコミに売り込んだり本でだしたりする。
こうなると世に歴史修正主義者がはびこり、インパクトがあるだけで追試も糞もない科学論文が持て囃され、有名な科学者が「基礎科学を軽視するな!!」と主張したのがメディアに乗ったら賛同するが普段は面白くもない基礎科学の事なんかまったく口にしないは学者の思想で研究の賛否をつけ始める連中がうまれるわけです。
地獄ですな。
8Q簡単に査読付き論文を書く方法は?A査読付き学術誌を作ればいい
こういうわけで「査読制度が科学の正当性を維持しているのか」「査読制度が科学の品質保持に役にたっているのか」といわれれば「NO」です。
というか査読付き論文を量産するだけなら金を積めばできるようになってきました。
いわゆる「ハゲタカジャーナル」は金さえ払えば真面目に査読なんかせずに乗せる、ってことで問題になり始めてます。
なんでそんなのが珍重されるか、といえば「論文掲載数」が一つの業績になり、大学の人事の評価対象になったりするためです。
また租税乱造論文でも論文として学術誌に乗るわけで、偽化学が権威付けで利用することも危惧されてます
つまり「権威の水増し」ですな。
業界人的に言えば「あの雑誌はなぁ」というのがわかるわけですから、どっかの新人や世間知らずが騙されることはあってもまぁ実害はない。しかし大学の人事が全部のハゲタカジャーナルを把握してるわけじゃありません。ここにもハゲタカジャーナルがはびこる要因がある。
なので大学も「学術誌でも一定の基準を満たす雑誌であること」を業績の条件にするなどして対策します。
9まとめ「科学の底」と「ニセ科学」にはほとんど差がないなら私たちはどうすべきか
アフィリエイトやってるとこういう「科学の底」に出会うことが増えてきます。
「まだ要検証レベル」「続報も追試もない」「確かに昔そういう論文は出たが否定され始めてる」「調べてみると関連企業がスポンサー」etc
こういうのはまぁ科学的には正しい。けどそれがビジネスで使われだすと、もはや疑似科学とさほど変わりはありません。場合によっては「科学」という権威がない分疑似科学のほうがなんぼか可愛かったりします。
わたしはそういうのを「科学の底」と呼んでます。
そういうの含めて私は「疑似科学と科学の違い」を求めるのは意味がない、むしろ妙な分離は害悪を生みかねないんじゃないかと思ってますがそれは別の話
そういう門外漢の私が科学界隈のあれこれをつらつらと並べたうえで何を言いたいのか、といえば
今の自然科学はそこまで立派なものでも権威があるものでもない
ということ、そして
「科学の部外者」としての自然科学との付き合い方を知ることの重要性
の二つです。
革新性が求められる科学の業界では「世に出たからといって正しいわけではない」のが超基本です。
査読制度で「一線以下」は弾かれますが、それは「最低限のボーダーラインは超えた」というだけで客観性も中立性も正当性も正しさも保証されません。
ですから間違いもでてきます。そもそも時間かけて検討して間違いを指摘して修正してなんぼなのが「科学」です。
ですから「研究して査読通って世に出て検討して実証されて実用化される」のは超ハードルが高い。というのが理想なんですが科学の当事者ですら「追試は金にならん」って話で再検証をしないししても時間がかかる
そののろまさに追いつけない大衆がいるから「ろくに検証されてない科学が流通してそれをもとにビジネスが行われる」状態が発生するわけです。私はその端っことは言え一端を担ってる人です。えぇ
そんなのも「自然科学」ですし庶民の身近な「自然科学」にはそんなのが多いですから、科学に権威などあったものではありません。科学の分野においてあるトピックスだから正しいわけでもすごいわけでもないなんてことはないことをまず理解すべきです。
科学者以外に対して「科学に対して理解を深めろ」的なこと言う人がいますが「科学の部外者」が理解すべきことは「まともな科学はとにかく時間がかかる」ということだけです。それ以上は無理。
そして我々は、Twitterだのノートだのになれたスピード感から離れて「腰を据えて一つの話題を追いかける」「検証がでるまで話題にしない。信用しない」ことが大切です。
まぁまともに待ってたら1年、下手したら10年とかかかるから無茶言うなって話ですがね。
しかしすこし腰を据えて待つことを覚えなければ「赤ワインは」「煙草は」みたいな「科学の底」に引っかかるだけですよ。
最後に 科学者に告ぐ
最後に、こんな駄文を読む科学者がいるのか怪しいのですがもし読んでたら、科学者の皆さんに言いたいことがあるのです。
「大衆がバカだというならあなたのその知識と立場を使って教育して」
「わかりやすく説明して」
ということです。
話題のトピックに対して「要検証な科学、追試が必要。まだ全面的に信頼できないが」的なことを一言、科学者として発言者の責任もって言ってもらえるだけで世の中の科学事情、最低でも大衆の理解は進みます。
そしてそういう専門家の解説を聞く必要があるのは「科学業界ではない部外者」です。
業界人しかわからない専門用語での解説とかやめてください。使うなら解説入れてください。「科学者しぐさ」「理系しぐさ」みたいなよその業界の人間にはわからない話し方もやめてください。
そういう誰向けなのかわからない解説されると、俺みたいなネット業界の下っ端が適当に通訳して無責任な記事をでっちあげ始めるんですよ。
そうなると「科学を根拠にしてるけど間違ってる」って「科学の底」がネットに増えてくわけです。ですから通訳なしでわかるような話で解説してください。これ切実な話なんですよほんと
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?