中国の春秋戦国時代の漫画【キングダム】が面白いから紹介する
今日は僕が好きな漫画を紹介します。その漫画は「キングダム」
「お前が好きなものは興味ないよ」と違うサイトに行きたいのをこらえて読んでくれると嬉しいです。
キングダムのあらすじ
時は紀元前3世紀、500年の争乱が続く古代中国の春秋戦国時代末期。
初めての中華統一を目指すのちの始皇帝・第31代秦王・嬴政と「天下の大将軍」を目指す主人公・信の物語です。
主な戦い一覧
※試合結果や流れを全部書くわけでは無いですが、一切ネタバレが無いわけではないんで、御注意ください!
王都奪還編【1巻 - 5巻】
王の座を狙う王弟・成蟜の反乱により政は王都を追われてしまう。漂は首を狙われた政の影武者として王都奪還編で殺される。戦力では完全に負けていた政だが、信や山の民を仲間にすることで王都奪還に成功した
蛇甘平原編【5巻 - 7巻】
魏の滎陽に秦軍が侵攻した。秦軍は総大将として麃公を置き、信が初めて戦に参加する。秦軍は常に後手後手に回ってしまうものの、信たちと王騎の活躍で戦況を五分に戻す。そして最後は魏軍総大将である呉慶を麃公が討ち取り、秦軍が勝利した。
刺客急襲編【8巻 - 10巻】
3ヶ月後のある夜、昌文君の協力者が何人も暗殺される事態が起こる。昌文君一派は警戒を強めるが、刺客の真の狙いは政であった。翌晩、蚩尤ら数々の刺客団が放たれ、その事を昌文君に伝えた肆氏は政の護衛に信を王宮に送り込む。 信と政は合流後脱出を図るが、その通路は塞がれおり、その時蚩尤・羌瘣らが現れ信と羌瘣は対峙する。信は羌瘣に対し苦戦するも、戦場を共にした信の言葉は羌瘣の心をかき乱す。そんな中更に刺客が現れ、隊形を組み襲ってくる。それに対し信と羌瘣は一時休戦し、羌瘣は剣技・巫舞で敵の大半を討つも、疲労により力尽きる。そして昌文君達が到着したことで刺客を撃退する。 終結後、発覚した首謀者は秦右丞相呂不韋であった。この事は政陣営に大きな衝撃を与え、対応策を協議する中呂不韋陣営が帰還する。呂不韋は昌平君蒙武李斯蔡沢の四柱らを率いて参内、政陣営は圧倒的な力の差を見せつけられ、対抗するために肆氏ら竭氏残党を吸収する。河了貂は軍師になることを決意し、昌平君の軍師学校に入学、蒙毅らと兵法を学ぶ。また、信は最後の六大将軍・王騎に教えを乞い、信と貂の修業の日々は続く。
馬陽編【11巻 - 16巻】
秦が韓で快進撃を続けている隙を突かれ、趙の三大天の1人、龐煖が率いる趙軍に馬陽を侵攻されてしまう。百人将となった信は敵将の馮忌を討ち取る。しかし一騎打ちの最中に狙撃され、王騎が龐煖に敗れた。
山陽編【17巻 - 24巻】
魏の山陽を攻略すべく秦軍は蒙驁を総大将に侵攻を始めた。秦軍は城を落としていくものの、元趙三大天にして魏軍総大将を務める廉頗の部下、輪虎に多くの千人将が暗殺されてしまう。しかし輪虎を信が討ち取り、最後は桓騎が敵本陣を制圧した。
合従軍編【25巻 - 34巻】
六国連合である合従軍が秦に侵攻してくる。函谷関で合従軍と秦軍は激突し、謀略渦巻く中防衛に成功する。しかし李牧が奇襲を掛け、政が前線に駆り出されるほどのピンチに。最後は山の民の助けにより、合従軍を退けた。
屯留編【34巻 - 35巻】
始皇七年、蒙驁が危篤状態となり、蒙恬と信が駆けつけた。蒙驁は2人に英雄への道を示し亡くなる。また向が政の子を出産、前線では王翦、桓騎が魏の慶都、汲を落とす。各国では李牧や春申君ら要人が合従軍敗戦の責で左遷され政争が激化した。秦では政陣営が蕞以降勢力を拡大、成蟜の奮闘もあり呂不韋陣営との一進一退の権力争いを続けていた。始皇八年、趙軍2万が秦北東の要衝・屯留に向け侵攻、成蟜軍3.5万は成蟜夫人・瑠衣を救うべく出陣、撃退する。だが呂不韋の後援を受けた屯留代官・蒲鶮が成蟜を投獄し、その名で反乱を起こす。そして将軍・壁率いる4万の討伐軍が出陣し屯留軍7万と盟平野で激突するが、趙軍1万が参戦し討伐軍は窮地に陥る。そこへ五千人隊となった飛信隊が参戦して趙軍を破り、屯留軍も撤退する。その後討伐軍は屯留を攻撃、井闌車を投入し城内へ侵入し成蟜の救出を急がせる。一方成蟜は脱獄した後瑠衣を救出、蒲鶮からの逃亡を図る。だが困難と判断し、瑠衣を逃がして蒲鶮と刺し違える。飛信隊を連れて戻った瑠衣に対し、成蟜は政への協力を頼み、また信に政を託し落命。討伐軍が屯留を奪還し反乱は終結した。
著雍編【35巻 - 37巻】
魏要衝・著雍を奪取すべく騰率いる軍が侵攻、魏軍は呉鳳明が総大将となり、秦軍には玉鳳隊・飛信隊などが、魏軍には魏火龍七師の霊凰・凱孟・紫白が増援される。呉鳳明の鉄壁の布陣に対し王賁は、録嗚未軍・玉鳳隊・飛信隊の三軍が三日目の正午に魏軍本陣に突入する策を立案、決行される。一日目、信が凱孟と一騎討ちを繰り広げる中、河了貂が敵に拉致される。二日目、飛信隊は捕らえた凱孟の軍師と貂を人質交換し、その後敵前線を突破する。一方前日に敵前線を突破した玉鳳隊は紫白軍と激突するが、紫白の槍術と策略を前に敗れる。三日目、飛信隊が凱孟軍に突撃し録嗚未軍も出陣、王賁は紫白に一騎討ちを挑み、激闘の末に討ち取る。そして玉鳳隊、録嗚未軍は魏軍本陣に突入、飛信隊は信を囮にして羌瘣が魏軍本陣に突入し陥落させる。そして信が霊凰を討ち取り魏軍は撤退、秦は著雍を奪取し要塞化を進める。その後の論功行賞で、信と王賁は五千人将に昇格、飛信隊は八千人隊となる。
毐国動乱編【37巻 - 40巻】
咸陽に突如太后が来訪し、嫪毐を山陽長官に強引に据える。また太原に入った嫪毐と太后は毐国の建国を宣言、更に楚が秦へ侵攻する。そして膨張を続ける毐国に、秦は手をこまねいていた。始皇九年とうとう成人した政は、旧都・雍で加冠の儀を執り行う。だが毐国軍3万が函谷関をすり抜け咸陽へ侵攻、これに対し飛信隊1千と蕞の兵1万が討伐に向かう。毐国軍が咸陽に突入する一方、加冠の儀を終えた雍では昌平君が呂不韋を離反し昌文君と共に毐国軍討伐に向かう。また呂不韋と政は舌鋒を交わし、呂不韋は金を操って国を治めると語る。これを受け政は、戦争を無くす為に中華を統一すると宣言、決着を咸陽の戦いに委ねる。呂不韋一派の妨害もあり討伐軍は咸陽防衛に苦戦するも、昌平君率いる軍が敵将を討ち反乱軍は撤退、呂不韋との争いに完全勝利した。その後毐国軍は桓騎軍により粉砕、楚軍も退却し嫪毐は咸陽で処刑される。そしてようやく秦の実権を掌握した政は、信に15年で中華統一を成す大構想を明かす。
黒羊編【41巻 - 46巻】
楊端和率いる山の民が魏要衝・衍氏へ侵攻、陥落させる。一方楚では、考烈王が崩御し春申君も李園に暗殺される。そして実権を握った李園は媧燐と共に楚宰相へ就任した。始皇十年、飛信隊は桓騎軍5万と共に趙要衝・黒羊丘へ侵攻し、総大将・慶舎、離眼城主・紀彗率いる趙軍7万と対峙する。黒羊丘は密林地帯であり、そこにある5つの丘の奪取を両軍は目指す。一日目、秦右軍・飛信隊は紀彗副官・馬呈、劉冬の奇襲に翻弄され、秦左軍は慶舎とその副官・岳嬰に急襲され敗走するも桓騎側近・雷土達は趙軍砦を焼き討ちする。その夜羌瘣は劉冬の暗殺を図るも失敗し、両者共に重傷を負う。二日目、飛信隊は川辺に布陣した馬呈軍と対峙、渡河を成功させ前線を押し上げる。そして三日目には中央丘の麓に迫り桓騎の指示を仰ぐが、桓騎は一切何もせず1日を終えた。そして四日目、慶舎自ら飛信隊に猛攻を掛けるが、慶舎を討つべく桓騎軍が乱入し、さらに紀彗自ら慶舎救出に向かったことで混戦状態となる。そして慶舎はそこから脱出するも飛信隊に捕捉され、信は激戦の末に慶舎を討ち取り、羌瘣も劉冬を討ち取る。だが紀彗は慶舎副官・金毛を説得し徹底抗戦に出て、桓騎は軍を中央丘から撤退させる。五日目、桓騎軍は集落を焼き討ちしその民を虐殺、これを知った信と羌瘣は激怒し桓騎本陣に乗り込み一触即発の事態になる。一方桓騎は紀彗に離眼での虐殺を予告し脅迫、紀彗は撤退しその隙に黒羊丘を占領し勝利を収めた。信は桓騎軍との刃傷沙汰で武功取り消しとなり、その後内地へ帰還。
鄴編【46巻 - 60巻】
鄴攻略戦- 出征(46巻 - 48巻)
始皇十一年、鄴攻略の策がついに完成し、その後総大将を王翦に、楊端和・桓騎を各軍の大将にした20万超の連合軍が出陣した。さらにオルド率いる燕軍が趙へ侵攻し青歌城主・司馬尚と激突、別動隊が燕の城を落としたことで燕軍は撤退した。秦軍が趙国門・列尾へと進軍する中、李牧は秦の狙いが鄴だと気づき邯鄲へと急ぐ。飛信隊と山の民により列尾を半日で陥落させたが、列尾が意図的に弱くしてあることに気付いた王翦は戦略の破綻を悟り、鄴を密かに視察。そして列尾を放棄し全軍で攻め込み、鄴を兵糧責めにするという策を練り上げる。列尾を越えた連合軍は橑陽軍に対し楊端和軍をぶつけ、また手前の9城を落とし難民を鄴へ入れ桓騎軍が鄴を包囲した。そして王翦軍は李牧率いる閼与軍と朱海平原で激突した。
朱海平原の戦い - 開戦(48巻 - 52巻)
一日目、蒙恬が趙右軍・紀彗軍を翻弄しそこへ麻鉱軍が猛攻を掛ける。だが李牧自ら麻鉱を討ち麻鉱軍は崩壊寸前となるも、蒙恬はそこから麻鉱軍を立て直す。その夜蒙恬は臨時将軍に昇格し秦左軍の将となった。二日目、秦右軍の玉鳳隊は元藺相如十傑・趙峩龍、岳嬰の挟撃を受けるも、王賁は李牧副官・馬南慈軍に突撃し、亜光軍と挟撃を掛け大打撃を与えた。三日目、秦右軍へ合流した飛信隊は藺家十傑・尭雲と対峙し、互角以上の戦いを繰り広げる。李牧は鄴の兵糧が秦軍より多いと分かると長期戦を目論み戦局は膠着。そして九日目、秦右軍はそれを打破すべく飛信隊・玉鳳隊の両隊で岳嬰を挟撃するが、尭雲・馬南慈により亜光が意識不明の重体となる。亜光救出のため玉鳳隊が離脱するも、信は岳嬰を一刀両断にする。
橑陽攻防戦(49巻 - 53巻)
一方橑陽では当初は楊端和軍が圧倒していたが、一日目に李牧副官・舜水樹が到着すると趙軍は橑陽城まで撤退。それにより橑陽城城主・ロゾが率いる犬戎族が加勢し、膠着状態に陥る。だが二日目の夜、援軍に赴いた壁が預かる兵糧が焼かれてしまう。そして八日目の夜、楊端和は明日犬戎三兄弟を討つと宣言した。そして九日目、三軍主攻の総攻撃によりロゾの息子達を討つも、敵の反撃により軍は散り散りとなる。楊端和は執拗に狙われるが、それは自らを囮とする作戦であり、自身を囮にしている間に密かに橑陽城を陥落させ、最終的にはロゾを壁が討ち取った。そして残存の犬戎族を従属させた楊端和は、橑陽城を接収した。敗北した舜水樹ら趙軍は秦軍の退路を断つべく列尾へ撤退する。
朱海平原の戦い - 隊の「覚醒」(53巻 - 58巻)
一方亜光不在の秦右軍は本陣からの指示も無く兵糧も尽きかけ、絶望的な状況に陥る。そんな中十二日目、隊長からの渾身の檄により覚醒した飛信隊・玉鳳隊は、趙左軍を圧倒し大きく後退させ、それを受け王翦本軍も前進する。だが十三日目には王賁が尭雲に重傷を負わされ、その夜秦右軍では残った信を大将に据えた。その頃、鄴では王翦軍の兵により兵糧の殆どを焼失する。十四日目、飛信隊の決死の突撃の末に信が趙峩龍を討ち取り、趙左軍に大きな打撃を与えた。その夜、楽華隊が龐煖に襲撃され、副官・胡漸が討死にする。十五日目、李牧は鄴での一報を受け攻勢に転じ、独自の戦術によって王翦軍に苦戦を強いるも、戦術の謎を解いた王翦により互角に戻される。その間秦右軍では王賁が尭雲を討ったことで趙左軍を突破し、そのまま李牧本軍への挟撃を仕掛けるも、趙軍も傅抵・馬南慈が王翦本軍に挟撃を仕掛け激しい攻防となる。だが王賁・蒙恬が王翦本陣に駆け付けたことで王翦を守りきり、飛信隊が金毛を討ったことで李牧の目前にまで迫るが、そこへ龐煖が立ちはだかる。そして信は龐煖と一騎打ちを繰り広げ、死力を出し尽くしてついに討ち取った。李牧は龐煖の死を見届けると、朱海平原から撤退し全軍で鄴へと向う。
鄴攻略戦 - 李信将軍誕生(58巻 - 60巻)
それを受け王翦軍は精鋭部隊で追撃し、李牧軍はそれに幾度も足止めされる。一方鄴では兵糧不足による暴動が発生し、18日目についに開門、中へ突入した桓騎軍により陥落する。秦軍は鄴へ入城したものの兵糧不足は解決せず、秦からの兵糧の輸送も全て阻まれる。だが斉から兵糧を買い入れることで問題は解決した。更に騰軍が列尾に進攻、列尾を守備する趙将・扈輒は李牧が朱海平原敗戦により投獄され、斬首になると知ると、李牧を救うべく全軍を邯鄲へ撤退させる。これにより秦は趙王都圏南部を獲得した。咸陽に凱旋した信は政から「李」姓を与えられ、「李信」と名乗る。そして論功行賞では、蒙恬、王賁と共に将軍へと昇進した。一方邯鄲では、李牧の救出を目論む李牧の腹心らにより内乱状態となる中悼襄王が毒殺される。その後太子・嘉は李牧が解放するが、悼襄王の遺言により末子・遷が次期趙王となる。李牧と嘉らは遷の派閥により命を狙われ、邯鄲を脱出。その後李牧らは嘉と別れ、司馬尚がいる青歌城へ向かった。始皇十二年、秦では河南の城に隠遁する呂不韋の元に不穏な勢力が集結。これを受け政は呂不韋と対談するが、状況は悪化し咸陽は河南とその財を取り上げる命を出すも、呂不韋自殺の報が入る。
什虎編【60巻 - 62巻】
鄴攻略後秦軍は邯鄲攻略を目指すが、その前の防衛線すら抜けずにいた。そこで昌平君は魏へ、楚の要衝・什虎を合同で落としその後什虎を魏へ譲渡することで3年間の同盟を打診する。そして蒙武は什虎へ向けて進軍、それに対し亡国の残党達で構成された什虎軍が出陣し、両軍は月地平原で激突した。そこへ騰軍、項翼軍・白麗軍、同盟を了承した呉鳳明率いる魏軍が次々と参戦する。戦いは秦軍、魏軍が楚軍を挟撃するも楚軍を崩すには至らず、そこで呉鳳明は秦軍を主攻、魏軍を助攻とする。それにより秦魏軍が優勢となり、蒙武は什虎軍総大将・満羽と一騎討ちとなり、騰軍が楚軍の本陣を落としたことで勝利する。さらに什虎城も魏軍別動隊により陥落したことで、楚軍は王都・郢へと退却していった。
平陽編【62巻 -】
桓騎軍8万は趙軍に猛攻を掛けるが、左軍が険地・影丘に差し掛かりほぼ壊滅、玉鳳軍もそこへ呼ばれる。更に趙軍総司令・扈輒も桓騎の元へ向かい、桓騎軍は扈輒軍24万と激突するも劣勢が続く。八日目、飛信隊は壊滅状態となった玉鳳を救出し扈輒側近・岳白公軍と対峙、王賁の助言により影丘の断崖の攻略に出る。九日目、飛信隊が断崖に到達し登りきる一方、右軍の雷土は敵将を討つも捕虜となり拷問を受け死亡。桓騎軍は右軍、中央軍共に逃亡者を多数出しながら退却を続ける中、左軍の飛信隊は岳白本陣に向け突撃、李信は岳白を一騎討ちの末に討ち取る。影丘を攻略した飛信隊は扈輒本陣に向け進軍し守備隊と激突、その隙を突き桓騎軍伏兵が扈輒本陣を急襲し脱出した扈輒を討ち取る。その後数万の扈輒軍が投降するが、桓騎は彼らを皆殺しにしてしまう。それを知った嬴政は激昂し、自ら桓騎を尋問するも不問とした。 一方趙では扈輒討死を受け郭開が李牧を呼び戻す。そして始皇十四年、秦軍は武城・平陽を陥落させるが、その奥には李牧が長城を築いていた。これを受け昌平君は趙北部の要衝・宜安を落とすべく、王翦・桓騎軍を北上させると共に秦北東部で20万の大軍を興し両軍の元へ向かわせた。そして王翦軍は宜安の途上にある閼与へ進攻する。
まとめ
最後まで読んでくださりありがとうございます。
キングダムは面白いのでぜひ読んでください。