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俺の話。エピソード02


前回読んで頂いた方は分かっていると思いますが…
僕の時期伝です(о´∀`о)
読み続けて頂けるとその意味がわかると思います。今後の計画や意味など...

さぁ今回もゆるっと赤裸々に書いていきますので、お茶とお菓子片手に読んで下さいね^ - ^

今回は4歳〜5歳くらいまでの記憶についてお話ししたいと思います。

昭和全盛期の時代を知っている方は馴染みがあるとは思いますが、よく両親にパチンコ屋に連れて行かれました。

今では考えられませんが昔は子供の入店はOKでした。

パチンコ屋では大人のマネをして落ちてる玉を拾って自分で台に入れて遊んだりしていました。
隣にいるお客さんが玉を僕の台に入れてくれたこともありましたよ。
周りの大人はいつも優しくしてくれ、きっと人懐こい子だったのだと思います。景品のお菓子を貰えたりもしたので、それなりに楽しいこともありました。
1度拾った玉で大当たりを当てたこともありました。
父親がそれを見てどけッ∑(゚Д゚)と。台を取られ、その後は言うまでもないでしょう...
あっ、ちゃんとオモチャの景品に変えてもらいましたよ^ - ^
記憶に残る体験でしたね。

大人達とバカンス

夏になると父親の友達とよく海やプールに行ったりしていました。
子供は僕1人しかいないので退屈な時もありましたけどね。
独身のおじさんにはよくナンパに使われていたのを覚えています。「ケンタあそこに居るお姉さんにコレ渡して来い!」と飲み物を渡され、キッカケを作るという…
僕はまだ小さい5歳です。「迷子になったの?」とお姉さんが聞いてきた所に飲み物を「どーぞ」と渡すとかわいいねとなり、そのお姉さん達とおしゃべりしてるとすかさずおじさんが登場してきます。
バブルだったこともあり、そのおじさんは仕事(ナンパ)を終えると美味しいものや大きい浮き輪を買ってくれました。


父親の友達の1人に通称おじちゃんと言う方がいて、その人には本当によく遊んでもらいました。
おじちゃんは当時の僕と同じくTVゲームが大好きな人でした。初めてドラクエやファイナルファンタジーを教えてくれたのもおじちゃんです。
よくおじちゃんの家に勝手に電話して家に呼び、一緒にゲームをしていました(笑)

因みに後から知ったのですが...
おじちゃんは子供があまり好きではなかったようですΣ('◉⌓◉’)

そんな優しいおじさん達との5歳の僕のお話でした。

5歳の自分への思い

あの時は子供は僕1人で退屈だなぁと
思うこともよくありましたが、逆に
小さくても1人の人間として扱ってもらっていたことが感じられます。
常識的ではないかもしれませんが、その中で学んだことは沢山ありました。
小さい頃から早く大人になりたい気持ちが強かったのは、周りの大人の影響が強かったのかもしれません。

大切なことは言葉だけでなく行動や態度でも幼いながらも理解できていたと考えられます。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

不可能と言われることに挑戦しています。
応援よろしくお願いします。

おまけ

タイトルの写真は長女です。
写真は3男坊です。

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