その人の人生はその人の心根で決まる
日本では経済学的イデオロギーというものが理解されていない。
☆☆☆
そのため、政治学的イデオロギーが主流で、それが人々を突き動かしている。
アベガーとか、右だ左だとか言うやつ。
別にそれはどうでも宜しい。
日本のマスコミが機能していないのは、機能しないほうが、彼らの利益に繋がるためである。
その論理性はここに載っている。
別に、それはそれで、どうでも良いんだけど、ネット歴が25年もあると、それなりに特殊検索するわけだ。
で、ユーチューバーとかは、冒険家になれだとか、学校行っても無意味だとか言うが、社会規範に従い、文句を言わず、素直に親の言うことを聞き、真面目に学校行った人が最終的にどうなるのかは、ジャーナリストのサイトに克明に掲載されている。
大学についてもまあ何て言えばいいのか、メディアが報道しないのでそれで良いとは思うのだが、一つだけ言えることは、その人がそう動くのはその人の精神性なんだよ。
結局。
ということである。
人にとって大切なのは心根。
アメリカで教育予算を取得するときに必須なのは科学的データである。
日本は、政治家のその場のノリで予算が降りるが、アメリカでは、科学が予算の土台になる。
教育経済学の研究データとして既に立証された論理性が一つある。
まあ、言ってしまえばマシュマロ理論なのだが、その人の精神性こそがその人の生涯年収に繋がるという論理性である。
アメリカでは既に試験データを取って結果が出ているのだが、例えば同じ学力の学生が2人居たとしよう。
一人はハーバード大学へ合格した。
もう一人はたった1点足りず、ハーバード大学は不合格となり、同じアイビー・リーグのダートマス大学へ入った。
もしハーバード大学とダートマス大学で生涯年収が500万円異なるとしても、同じような人間なのであれば、この2人の年収は変わらないことが分かっている。
東京大学に落ちて滑り止めの慶応大学に合格した人。
と、もしその人が、1点足りて東京大学に合格して居た場合の生涯年収は、教育経済学的に既に立証済みである。
だから教育経済学者は浪人せず、受かった大学へ行きなさい。
と言う。
大切なのは学歴・ラベル・肩書きではなく、あなたの精神性なのだから。
そう言う。
アメリカではこの1点足りなかったら、同じような性格の人で1点足りていてハーバード大学へ行った人との、2人の生涯を追いかけて、この2人の年収に差はつかない。
という、社会科学のデータが既にある。
この様な、同じ様な境遇の何万人という学生のデータを取得しているから、彼らの生涯を追いかけているから、アメリカという国は偉大なのだ。
教育行政に科学を使っている国。アメリカ合衆国。
私たちはその場、その場で選択を求められている。
卒論を書く時、単位取得の試験を受ける時、社会人となり残業するとき。
もう少しやったほうがいいだろうか。
もう少しがんばってみるか。
それとも、今日はここまでで良いだろうか。
と、選択を迫まれる。
そのとき、自己を甘やかすか。
それとも、もう少しやり抜く。やり通すか。
その人の生涯において何十何百と、こういった選択を求められる。
結局のところ東大に合格しようが落ちて慶大に行こうが、その人の精神性こそが、その人の選択の積み重ねこそが、生涯年収に直結していることが分かっている。
東大を出たあと大手の大企業に入社し、あと少しで結果が出る時、もう少し頑張ってみる。
もう少し仕事をがんばろう。
同じ人が東大落ちて慶大に合格し、準大手の企業に入社し、同じ選択を迫まれる。
その人は同じような選択をするのだ。
もう少しがんばってみようと。
己を律する。
するとどっちの選択肢、東大でも慶大でも、最終的にその人は同じ生涯年収になる。
登り詰める。たどり着く。
同じ高みに。
数値は変わらなかった。
これが米国で出した教育経済学の研究結果である。
具体的には大企業側だと、専務や常務取締役まで行き、準大手だと、副社長や代表取締役社長まで行く。
だからどっちの大学へ行っても生涯年収は変わらない。
そのため、彼らには浪人せず、合格した大学へ行きなよ。
君にとって大切なのはその心根だから。
その正しき精神性なのだから。
やり遂げようとする真っ当な理性なのだから。
と、言うのだ。
日本はこんな感じで追い込み掛けてるけどね。
ネット民もまあそういうこと。
己を律せず、匿名空間だと分かると大喜びし、すぐ他人を叩き始める。
彼らは気づいてない。
人生においての最大のライバルは他者ではない。自己。
人生は連続した選択のなかにある。己との戦い。
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(おしまい)
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