なんと!履歴書を書いた。親の愛に応えたい…

両親は、私のことをひどく心配しています。

わたしは適応障害になってから、何もかもがいやになり、すぐに友人の連絡先を削除しました。
大学卒業して間もなくのことです。

それから10年、両親は、わたしの友人のような役割も果たしてくれています。

ときには口うるさくて嫌になります。
母に至っては大喧嘩になります。
父も以前は私を叩いたけれど、いまは丸くなりました。

嫌なことも含め、やはり感謝です。

先日、帰省すると父が地元の広報誌をみせてきました。

「保健師募集 1名」

短時間の臨時職員の募集です。

そりゃぁ保健師になりたいけれど、そんなの無理だよ。田舎だから、もう決まってるんじゃないの?とか、
ほかの職員に虐められたら泣く!などと冗談を言いました。

親も無理には勧めてきません。
無理に勧めて、わたしが失敗したら、抑うつやイライラになるということを知っているのです。

父が勧めてきのですが、これにはカラクリがあり、実は母が見つけたと思います。
母はこれまでも「⚪⚪募集」の情報をみつけては、私に教えてくれていました。
しかし1度、母の伝達ミスでわたしが失敗し、大泣きしたのです。

正直、泣くほどのミスではありませんでした。
募集要項の配布場所が違っただけなのですから。

それでも、「せっかく緊張して行ったのにー」と電話で大泣きする私に、母は困惑していました。

それが今回の、父の行動になったのでしょう。
親を困らせてばかりです。

かつて両親は、「精神科なんてキチガイの集まりだ」と考えていました。

わたしが精神科で働きたいと言ったときは、すごく文句を言われました。
おかしい人ばっかりだって。


わたしが病気になったときは、ダメな娘だと言われました。


あるとき一度、精神科に付いてきたとき、他のきれいな患者さんを見て「あの人も患者?」と目を丸くしていました。

もしかすると、今もキチガイだと思っているかもしれません。
偏見は消えないものです。
でも、つきあい方が上手くなったのでしょう。
10年も病気を持つ娘と付き合うと、つきあい方が上手になります。

やはり親には感謝しかありません。
もう年金をもらっているのに、わたしは安心させれあげられない。

今回、せっかくの機会なので、履歴書を書きました。
なにもしないのは、親に申し訳ないと思ったのです。

いまから郵便局にいってきます。

両親へ
落ちたらごめんね、でもチャンスをくれてありがとう。

もし、気が向きましたらサポートしてください。今後も前向きに執筆する励みになります。読んでくれてありがとうございます。