障害者雇用枠でのパートに決まってから、生活が充実してきた

ハローワークの障害者専用求人。

雇用保険の訓練が終了し、さあ皆で就活!という状況だったのでさほど不安はありませんでした。

ハローワーク窓口から電話をしてもらい、面接の日取りを決め、履歴書に取りかかりました。

雇用保険の訓練のときに、就活の講師から、「たくさんの転職をした人は、すべて書かなくてもいいです。途中を抜いてもバレません」と教わったので、その通りにしました。

ハローワークのおじさんは、とても親切で、履歴書を丁寧に添削してくれました。
そして「病気のことを知ってもらうため、あえて全部の履歴を書こう」と提案してくれました。

わたしとしては寝耳に水でありましたが、なるほど確かにと納得して、素直に書き直しました。

面接当日。
相手も、障害者を雇用するのが初めてだったので、慎重に面接をしたようでした。

病院や介護施設など、グループ内の看護管理者たちとの面談。
わたしの話をきき、どこの職場がいいかなと相談しているようでした。

面接の最後に、つい「今日は本当に、こうやって呼んでくれてありがとうございました」と挨拶しました。


受からないとしても良い。こんなふうに、素のわたしと面接してくれるのが、幸せ。そう思い、とにかく嬉しかったのです。

面接のあと、受かってもいないのに晴れ晴れした気持ちで、ハロワのおじさんに報告しにいきました。

履歴書の転職回数をそのまま書くようにしたのも、自分では満足でした。おじさんのことが好きになってきました。

面接の結果、まもなく採用されることが決まりました。
とてもありがたく、親も頑張れと言ってくれました。

一気にやる気が出た私。
障害年金をはたいて、初めて自分の通勤用の車を買いました。
小さな中古ですがとても可愛く感じられました。もうあと戻りはしません。

ゴールドの色ですが、知らない人からは「茶色の車」と呼ばれました。
わたしは言い返せない性質のため、そのまま言わせておきましたが、私にとってはかわいい金太郎です。

就職したら、とりあえず午前の4時間だけ働くことにしました。障害年金があってよかった。

調子がよければ伸ばそうと、医師や、病院関係者も応援してくれました。

そのためには体力をつけておこう。
公営のジムに1時間ずつ通うことにしました。
体力向上や、減量の効果はいまいちですが、移動のため車の運転が上手になりました。

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