2. おせち◯こ
おせち!おせち!
おせち◯こ!
とテレビの場で叫んだ某和田さんがいる。
筆者はおせち◯こが好きだ。いや、正確にはこの感極まり無い表現が好きなのだが。
事の発端はというと、とある番組によるおしゃれワードをリズムに乗せて繋げていくゲームの中で起きた話であるのだが、某和田さんの喋り方が実に面白かったのだ。
大の大人が「ち◯こが好きだなんて、、、」と思われるかもしれない。しかし、よくよく考えてみると我々は子どもの頃もっとち◯こが好きだったのではないだろうか?
子どもとは、何かと下ネタが大好きである。筆者が住宅街の道路を歩いていた時の話だ。筆者が歩いていると何やら小学生くらいと思われる女の子2人がおり、突然
ㄘんㄘんぶらぶらソーセージ♪
ㄘんㄘんぶらぶらソーセージ♪
とㄘんㄘんの大合唱をし始めたのである。男の子ではなく、女の子がである。筆者はかなり驚いた。この時を境に
「あぁ、女の子でもㄘんㄘんは大好きなんだ。見かけによらず、女の子でも卑猥な女の子っているんだなぁ。」
と思うきっかけにもなった。人はどんな人であれ、ㄘんㄘんが大好きなのだ。
しかしここでとある疑問が浮かんだ。どうして女の子はわざわざ住宅街のど真ん中でㄘんㄘん合唱をしていたのだろうか?
これがもし、学校の先生が教壇の前でいきなり
「ち◯こ!」
と叫んでいたら。これは大問題である。しかし、合唱しているのはまだ子どもだ。可愛い方である。学校で「ㄘんㄘん!」と叫んでもおかしくないとは思われるが。
おそらくだが、学校の方で禁止しているのだ。それもPTAという保護者からの圧力によって。
確か一昔前のアニメ「ポケットモンスター(無印)」のエンディング、「タケシのパラダイス」がわずか6週で打ち切られた話(これには夏休み限定ソング説もあるが)や、クレヨンしんちゃんのぞうさん、ケツだけ星人など最近ほとんど見られなくなものがある。こうして無理矢理禁止させられ子どもたちが向かった場所が、女の子たちにとって住宅街だったのだ。
このような場を目にした場合、「そんな言葉言ってはいけません!」と禁止しないことがとても重要であると筆者は考える。なぜならば、子どもは大人の口から言われなくても自らの考えで自身を変えていく力を持っているからだ。それよりも、大人の姿というものを子どもに見せていく事の方が大事なのではないだろうか?子どもが変わるのはいつになるのかはわからない。もしかしたらある日突然「ねぇ、お母さんはどうしてち◯こって言わないの?」と子どもの方から聞いてくることがあるかもしれない。「あれっ?なんだかおかしいゾ?どうしてみんなㄘんㄘんって言わないんだ?」と疑問を持つこともあるかもしれない。いずれにせよ、物事を考えるのはいつだって子ども自身なのだから、大人の方で無理矢理禁止することよりも、大人の姿を見せていくことの方が遥かに重要と言えるだろう。
これはち◯この話に限らず、様々なことに対しても言える。物事に、人間全員に当てはまる駄目な理由などないのだ。答えというものは各々の中で形成していくものである。
ある方の話だが、子どもの頃親から禁止させられて育ってきた経験の人がいる。始めはやんちゃだったその方も、次第に言うことを聞くようになり、おとなしくテストで毎回高得点を取るような子になった。ところが中学生になったある日、その家にいた両親を殺害してしまったのである。理由を尋ねたところ、
「俺は親から優しくしてもらった覚えがない。あの日の夜、お腹が痛くて薬を探しに起きたのに、俺を見た母親は俺に向かって「まだ起きてたのか!早く寝ろ!」と腹が痛いことも知らず、そんなことを言って来た。それに腹が立って殺したんだ。」
と語ったそうである。
この話にはいかに子どもを育てることの難しさと子どもにとっての優しさとは一体何なのか、非常に深い意味が込められている。もし仮にㄘんㄘんを禁止するのであればそれ相応の、自身が殺されるか息子を殺すかの生きる覚悟が必要なのだ。
しかし、人は自身が殺される、もしくは自身の子どもを殺すためにわざわざ子どもを産むようなことはしないだろう。そのようなことをするのであれば産まないで思い悩んでいた方がまだマシである。
ㄘんㄘんの話からこのような話になるとは思ってもいなかっただろう。我々はㄘんㄘんという卑猥な言葉だけに騙されず、その奥にあるものを見る目を養っていかなければならない。あのㄘんㄘんの大合唱をした女の子たちのように、、、