4. 眩しすぎる日の光は、無性に腹が立つ
最近の天気は何かと晴れの日が多い。つい数週間くらい前であれば曇り、雨の日が何かと続き農家などからは日照不足などぼやいていたのだが、今頃喜んでいるのだろうか?
農業の話だが、太陽の光が少ないと作物は育たない。これは実に当たり前のことなのだが、逆に太陽の光が強すぎても作物は腐ってしまうことがあるらしい。何だそれは?とこの話を最初に聞いた時、筆者はそのように感じられた覚えがある。具体的に話してみよう。
作物とは、植物である。植物とは二酸化炭素を取り込み酸素を生み出す光合成を行うことによって成長する。太陽の光があればそれだけ光合成が行える、、、と思われるかもしれないが、実は多くの植物はそこまで光合成ができているわけではない。空気中に含まれる物質は主に何があるだろうか?酸素?二酸化炭素?
実は、そもそも空気中の80%は窒素である。残りの20%が酸素。アレ?二酸化炭素は?
二酸化炭素というのは、空気中には無い。いや、そんなことはないだろうと思われるかもしれないが、空気中に含まれる二酸化炭素というのはたったの0.04%程しかないのだ。近年、二酸化炭素の濃度が上昇していると言われてもである。これだけ少ないと、わずかに強い日差しで多くの植物は簡単に腐ってしまう。夏ほどの日照り強さとなれば、逆に困っているのが植物なのだ。
こうしたお世話しているつもりがただのお節介だったという話は実に多く存在する。数年くらい前だっただろうか、NHK大河ドラマに龍馬伝という作中で一番印象に残っていたエピソードがある。
物語の終盤、岩崎弥太郎という幼馴染が龍馬の元にやってくる。弥太郎は龍馬に会うなり、持っていた大金をいきなり龍馬に投げつけた。そのお金は、弥太郎自らが手にした大金である。
そんな弥太郎を見た龍馬は戸惑う。弥太郎は龍馬にこう語った。
「わしは、おまんに初めて会おうた時からずっと大嫌いじゃった!この金は、本当は手に入ることのなかった金じゃ。わしはこの先、戦がずっと続いていく世界じゃと、そう思っちょったのに、、、おまんのせいで何もかも無くなったしまったんじゃ!!」
弥太郎は、この先ずっと続くであろう戦のことを見越して仕入れていた銃をほとんど全て売りさばいてしまうことで、巨額の金を手にしていた。弥太郎は龍馬の話を信じてしまっていたのである。戦が終わる時代が、ついに来てしまうのだと、、、
しかし、それは弥太郎にとってあまりにも屈辱的であった。よりにもよって、ずっと嫌っていた龍馬の手によって、思い描いていた世界が見事に覆されてしまったのである。
「待ちやぁ!!」
龍馬がその場を立ち去ろうとする弥太郎に向かって大声で止める。
「おまん、、、そんなにわしのことが嫌いかえ?」
「、、、あぁ、大嫌いじゃ!この世の誰よりものぉ!」
その言葉を聞いた龍馬は背中を見せながらも、深く目を瞑りこう答えた。
「そうか。けんどわしはのぉ、おまんのことを嫌うたことは、いっぺんもないがじゃ。岩崎弥太郎ゆう男は、土佐に居る頃から、わしは死ぬまで友達じゃと、、、」
その言葉に、弥太郎は声を震わせてこう言った。
「、、、そういうところが嫌いながじゃ、、、!」
弥太郎は続ける。
「おまんは、自分の思うまんまに生きて、それがどういう訳か、ことごとく上手う行って。おまんと一緒に居ったら、わしはのぉ、わしは自分が何ちゃぁ出来ん。こんまい、つまらん人間に思えたがぜよ、、、。」
そう語る弥太郎の顔は怒りと憎しみに満ち溢れ、目からは涙がこぼれていた。
「けんどのぉ龍馬。人がみんな自分のように、新しい世の中を望んじゅうと思うたら大間違いやぞ、、、。恨みや、妬みや、恐れ、保身。そのうち怒りの矛先はおまんに向くろう。わしには分かる。
眩し過ぎる日の光は、無性に腹が立つゆうことを知っちゅうきにのぉ」
その言葉に龍馬、悲しそうな表情を見せるも、こう語った。
「ーー、おまんの言うとおりかもしれん。わしゃーーわしゃ、気づかんうちに、人を傷つけ、人に恨みを買うちゅうかもしれん」
世の人は、我を何とも言わば言え、我が成すことは、我のみぞ知る・・・。
わしゃのう弥太郎、自分に出来ることをしただけぜよ。おまんもそうじゃ、おまんの思うように、思うように好きに、、好きに生きたらええ」
龍馬はこう言い、投げつけられた大金を拾って弥太郎の着物を掴み、懐に無理矢理入れ込もうとした。
「弥太郎ー!おまんは!このっ、この金で世の中と繋がっちゅうじゃぞぉ!!」
龍馬は必死に抵抗する弥太郎に向かいこう続けた。
「おまんは日本一の会社を作って、日本人みんなを幸せにせんといかん。それはわしには到底できん。
岩崎弥太郎という男だけができる、大仕事ぜよ!!」
弥太郎は、その言葉に息を呑む。すでに抵抗はしていなかった。
「わしに・・・やるべき事があったように、おまんにも必ず、必ずやるべき事があるがじゃ!」
そう話した龍馬は弥太郎を押し、最後に述べる。あたりは静まり返っていた。
「達者でのう、、、。」
「達者でのう、弥太郎」
龍馬はかすかに微笑んだ表情で、弥太郎を見送った。弥太郎はすっかり、その後のことは覚えていなかった。自分がどうやって帰ろうとしていたのかさえも、、、
と、ここまで話したのだが龍馬はこの後殺されてしまう。筆者は弥太郎が龍馬に訴えていた時の様子が、あまりにも苦しくて感動せずにはいられなかったのである。深く語ってしまうとこのエピソードの味が落ちてしまうので話はしないが、筆者はこの時になって、初めて「人にとって良いこととは何なのだろうか?」と考えさせられた訳だ。
似たような話はこれだけではない。子育てであったり、ボランティアだったりと、人はどこか大きなお世話をしてしまうことがある。それが誰にとって喜ばれ、誰から憎まれることになるのか。我々は分かってはいない。おそらく、誰もが幸せになれるなどという言葉は、この世に存在しないのだろう。
誰かが幸せになるということは、誰かを不幸にしているのと、同じことなのだ。
我々はこのことを深く知り、生きていかねばならない。
例え誰かを不幸にしていたとしても、
それでも人は幸せを追い続け、自身が出す答えを見つけて行かねばならぬのだ。