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気遣われすぎると疲れる

ありがた迷惑。

こんな言葉が流行ったのは、発音したときのリズムがいいからだろうか。

気遣いというのは、なんともありがたいものである。重い荷物を持ってくれたり、遠くのものをとってきてくれたり、「大丈夫?」といつも顔色を窺ってくれたり。

でも、行き過ぎは辛い。何事もそうだ。自分では善いと思っていることでも、やりすぎには注意である。自分で買ったものは自分で持って帰りたいのにわざわざ荷物を持たれる。休憩と思って席を外して、少し歩いたら取れるものを先回りされて持ってこられる。常に「大丈夫?」「元気ない?」とかいわれて、元気度を毎日チェックされる。これこそありがた迷惑である。赤ちゃんじゃないんだから、全部自分でできる。それを善意と思って何でもかんでも先回りされると、溜まったもんじゃない。

そういう人には気遣いを一周回って考えてほしい。「自分でとりたいのかな?」と察して、"何もしない"という選択肢があることに気づいてほしい。他の人に言われてからではだめだ。どうせまたすぐ気遣いマンになってしまう。自分で気づいて行動することが、何につけても一番の学びになる。

かくいうわたしも気遣いはできるかぎりするほうである。でもそれはその日の最初の方だけ。扉を開けたり、割り箸を配ったり。可能な範囲でやるけど、1日の初めだけ。終わりの方はもう眠くなってくるし、夕方の人の多さにイライラし始める。

やっぱり一人でいるほうが楽なのかな。

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ちょっと込み入ったはなし。

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