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東京がいつも落ち着かない理由

音がする。どこに行っても耳に何かしら音が入ってくるからだ。

街へ繰り出せば、聴き飽きた流行りの音楽が流れている。電車の通り過ぎる音が聞こえる。踏切が鳴る。クラクションが鳴る。みなの話し声が空気中で波が重なる。飛行機が上空を通り過ぎる。ヘリコプターの羽音が聞こえる。

地上から空から、地下から。全方位から絶え間なく音が鳴り続ける。しかも、人間の作り出した心地の悪い音が何度も同じように流れる。その音を聞くと人は思い出す。あの電車の中でで怒られた思い出、ざわざわと自分の噂をされていたこと、踏切の音がする場所で大切な人がなくなったこと。

いろんな音に敏感になる。神経質になる。会社の知人が聴覚過敏で精神科に通っていたことは記憶に新しい。みな高性能のイヤホンで世界を遮断する。自分だけの世界に入る。そうやって音をコントロールしないと、自分を保てなくなっている。共通の音楽なんて、昔より少なくなっているのかもしれない。

ロックを聴く人もいるし、クラシックしか聞かない人もいる。音楽は街と自分を遠い場所に置いて、自分という存在を保つツールなのかもしれない。

田んぼしかない田舎町や温泉の近い山中に行くと、心が落ち着く。人工的な音じゃない。自然が作り出した音が鳴っている。耳をすませば風の音、鳥の囀り、葉が擦れる音が鮮明に聞こえる。そこに踏切や会話のノイズといった一定のリズムはない。

やはり、自然がつくりだしたものには、いい意味でもその逆でも、逆らえない。

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2/21まで毎日更新。

ちょっと込み入ったはなし。

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