写真集「無題」掲載写真解説。
3月13日(金) 〜3月29日(日) 東京・千駄木gallery幻「反額装芸術市2020」に合わせて出版した私家版写真集「」(無題)。
全72ページの写真集で、ページを開くと左側に私が2019年から制作している「ユウゲンの極光」シリーズ、右側にスナップ写真が掲載されている構成となっており、このnoteは右側のスナップ写真の解説です。
例えるならば映画のブルーレイの特典によくあるオーディオコメンタリーのようなもので、読むと写真集との距離が少し縮まるかもしれませんし、「監督ちょっと黙れ」と思うかもしれません。
写真集にはページ数表記がありませんので、最初のページの写真から順番に解説しています。わかりやすくするためにパッと見てわかるタイトルをそれぞれに付けておきます。
1「波」
広島県・尾道市の土生港から出ているフェリーから見た瀬戸内海の波。これから無人島へ向かう。写真集(冒険)のスタートに相応しい1枚。
2「ビル」
大阪・通天閣からの景色。観光地にそびえ立つ巨大なタワーは、その土地の象徴として機能するが、いざ登って街を見下ろしてみると落胆する事も多い。憧れとはそういうものかもしれない。
3「鹿」
奈良公園の鹿である。鹿は可愛い。訪れた海外の観光客も笑顔で鹿煎餅を捧げていた。可愛いは世界共通。kawaii.
4「カルビ」
ぬいぐるみの名前は「なまけたろう」である。たまに鼻毛が出ている。イベントが発生するとどこからともなく現れる。ちなみにカルビは好きではない。学生時代はカルビが上等な肉だと思い込んでいた。骨が付いているからなんだというのだ。ただ食べにくいだけではないか。熱弁を奮いながら高級和牛を頬張っていた。私はおじさんになった。
5「風力発電所」
滋賀県草津市の烏丸半島にあった「くさつ夢風車」2019年1月28日に解体され、もうこの景色を観ることはできない。写真は死にゆく過去への延命装置だと聞いた事を思い出す。
6「沈んだ女性」
水中撮影の実験をしていた。沈む彼女とその姿を反射して揺れる水面の対比が生命の幽玄性を可視化しているようだった。ナルキッソスが覗いていた湖もきっとゆらめいていたのだろう。
7「黒い山とカップル」
クリスチャン・ボルタンスキー「Lifetime」展・東京会場での1枚。「ぼた山」を目にしたカップルがその場に立ち尽くしていた。鳴り響く心臓音。女性が男性の腕を強く掴む。ほんの数秒間の
2度と訪れない景色。
8「MRI画像」
左脇にできた腫瘍のMRI画像。この腫瘍に気付いたのは朝のラジオ体操をしていた時。左腕の動きが鈍く、なにか引っかかるように感じていたので整形外科で見てもらうとゴルフボール大の腫瘍が見つかった。みなさん、ラジオ体操やジョギングなどの運動習慣をもった方がいいですよ。
9「白黒のゾワゾワした画像」
2013年に制作していたが、作品として発表したのは2020年。長い眠りについていた理由は「怖いから」である。産みの親でも怖いものは怖いのだ。
10「カラフルなレントゲン写真」
医療用の画像データはダイコム(DICOM)という特殊なファイル形式で保存されているが、Photoshopなどを使えば開くことができる。それを様々なファイル形式に変換(jpeg,png,WEVE,txtなど)してデータ改竄を施したのちに再結合。レントゲン画像の縫合手術は無事成功した。
11「淡いモヤモヤした画像」
30分間、コマ撮りの要領で撮影した200枚前後の写真を1枚に凝縮したもの。ビルの屋上での野外撮影だった。日差しの強い夏の青空も、黒く長い髪の毛もわずかな痕跡と輪郭のみを残してペールオレンジの抽象画と化した。
12「変わった形の雲」
まるで肋骨のような雲。形や模様から実際にはそこに存在しないものを「肋骨のよう」だと認識する現象をパレイドリアと呼ぶ。月にウサギを見つけたり、車を顔に見立てたり。パレイドリアとは違うが印象派(クロード・モネ、ルノワールなど)や抽象表現主義(マーク・ロスコ、バネット・ニューマンなど)の作品を観てなにかを感じとることができる想像力こそが人生を豊かにするものだと私は考えている。写真の芸術表現の父であるアルフレッド・スティーグリッツは晩年、空を撮り続けた。彼はそこになにを見出していたのだろうか。
13「泡と裸体」
漫画「東京喰種:re」に「トルソー」と呼ばれるキャラクターがいて、とても親近感を覚えていた。好みの女性のタイプも似ている。人間でよかった。
14「ぬるりとした裸体」
この日はクレープ全品300円だった。クリームは体温で蕩ける。
15「ロッカーキーと裸体」
スーパー銭湯はこれで食事やマッサージのオーダーができるからとても便利。世界中これひとつで済めばいいのにな。
16「窓辺の女性」
美しいと思う瞬間はいつも全てが終わった後だ。
17「あーんしてる裸体」
以前付き合っていた恋人からの暴力によってできた唇の傷跡がコンプレックスだと話す彼女。それでも笑顔でこの日の為に新調した下着を披露してくれる彼女は女神のようだった。
18「トラックの荷物」
車を運転中、前を走るトラックの荷台に山のように積まれた生肉。なんの肉だろうか。なぜ剥き出しなのだろうか。どこへ行くのか。全ては謎のまま。そのほうがいいのかもしれない。
19「メデューサの彫刻」
この数年「veporwave」というジャンルの音楽にのめりこんでいる。ついにはDTMアプリを使って作曲をしていて、この画像はいつかアルバムを作ったらこんなジャケットにしてみようと妄想して作ったもの(発売日未定)
20「街」
とあるビルから眺める大阪・空堀商店街付近の住宅街。2「ビル」もそうだが、主役となる対象が定まっておらず、構図も悪い。これは撮る行為だけで欲求が満たされてしまった時に起こる。あなたのスマホの写真フォルダの中にもきっとそんな写真があるはずだ。この欲望の残滓でさえかけがえのない記憶を呼び覚ます鍵になるのだから写真はやめられない。
21「改装中の店」
東京・原宿表参道を歩いていた時に通りがかった改装中の建物。剥がされた壁。Xのペインティング。映り込む自分。全ては更新されてゆく。2019年にこの場所を訪れた時、周りはタピオカミルクティの店が乱立していた。全ては更新されてゆく。
22「自動販売機」
大阪・アメ村にある自動販売機。ちゃんと買える。どうやら有名な自動販売機らしく「アメ村 自動販売機 落書き」で検索すると多数ヒットするので興味のある方は実際に行ってジュースを買ってみると良いでしょう。
23「映画館」
大阪・新世界にある新世界国際劇場。手書きの看板がたまらない。地下はポルノ映画が上映されており、いわゆるハッテン場である。これを撮った時はそれを知らず、連れ添ってくれた女性と好奇心で地下に入ってしまい、恐ろしい体験をさせてしまったことをここに謝罪します。申し訳ありませんでした。
24「夕焼け」
全てが焼き尽くされるような空だった。
25「ごみ屋敷」
ゴミ屋敷に縁があるようで、場末のバーで口説いた女性の部屋に招かれると多くの場合がゴミ屋敷である。生ゴミの臭いを消す為にはドンキホーテの柑橘系の芳香剤が良いらしい。SM嬢のゴミ屋敷は布面積の少ない下着とゴム製品がカーペット。インドのお香が焚かれていた。ガンジス川を沐浴しなくて済んだ。ちなみに友人の小説家・岩城裕明がゴミ屋敷を舞台にした「牛家」というホラー小説を描いている。角川ホラー文庫より絶賛発売中。宜しくお願いします。
26「解体された家」
細胞や血液のように都市も新陳代謝を繰り返し、やがて死を迎える。
先日、NASAが1200枚の画像から作成した18億ピクセルの火星のパノラマ写真を公開していた。そこには隕石が衝突してできたクレーターや湖だった可能性のある波打つ地形が鮮明に写し出されていた。地球がこの姿になるまで私達は循環する。
27「戦車」
サイパンにある旧日本軍基地付近にある日本軍戦車の写真を軽くバグらせたもの。役目を終えた戦車は破壊兵器から歴史を語るオブジェとなる。ちなみにこの作品はアプロプリエーションやサンプリングの技法で作られており、オリジナルの写真の権利者から使用権を購入して制作している。
28「緑色の細胞のようなもの」
実はここから「ユウゲンの極光」が生まれます。撮ってみたいと思っていたそこのあなた。大ヒントですよ。
29「樹木」
過去の展覧会のnoteにも書いたことがあるが、クリスティーネ・エドルンドの「セイヨウイラクサの緊急信号」という作品を観てから、「人間」「動物」「植物」その全てが平等であり、いずれかが優れているわけではない。ただ生まれては死ぬ。その形が違うだけだと思うようになった。この樹木も、これを撮る私もなにも変わらないのだ。
30「トカゲ」
ニホントカゲの幼体。青い尻尾が特徴。撮影した時はそれを知らなかったので、てっきり尻尾が切れて新しいのが生えてきたら色が変わってしまったのかと思っていた。余談だが、私の好きなトカゲはフトアゴヒゲトカゲである。可愛いぞ。
31「教会」
8「MRI画像」に写った腫瘍を摘出するために入院した病院の中に教会があった。私はクリスチャンではないが、道に迷った人にとって宗教が人生のガイドブックとして機能するのは理解している。手術前にガラス越しに見つめる十字架とパイプオルガンの調べは少なからず私の緊張を解してくれた。
32「電球」
クリスチャン・ボルタンスキー「黄昏」より。2019年は「ユウゲンの極光」シリーズとこの電球を追いかけた1年だった。
33「ゴミが付着した倒木」
2018年の台風21号によって大和川河川敷に漂着していた樹木。この光景が100メートル以上続いていた。世界の終わり。シェルターの扉を開けると飛び込んできた景色。
34「猫」
ガラス工房「nekomata Lab」の看板猫「おかん」と「みゅー」
人懐っこい「おかん」は工房を訪れる全ての人にスリスリと挨拶をしてくれる。恥ずかしがり屋の「みゅー」は少し離れたところでそっとこちらを見守り、「おかん」が近づくと駆け寄ってゴロゴロと甘え続ける。彼女達がどれほどの人を笑顔にしたのだろうか。少なくとも、私の心にずっと彼女達はいる。ありがとう。