自分との共通点から見る自分を小説から見つける
自分の共通点を探すゲーム
小説やエッセイなどを読んでいると、「こんな人もいるのか!」という驚きでいっぱいの登場人物が出てくることがある。
それらの登場人物に驚くポイントは、それぞれで違っている。
ぶっ飛んだ行動を起こす人であったり、自分とはかけ離れすぎていて共感できない人。
こうした人に対して「へぇー」で終わらせてしまっては、それで終了してしまう。
これらの登場人物を、自分の中でどのように扱うのか。
そうした“自分の中での取り扱い”が、最も重要なのだ。
それによっては、自己啓発書よりも大きな学びとなることが多いからである。
例えば、『成瀬は天下を取りにいく』に出てくる成瀬あかり。
2024年の本屋大賞に選ばれた本書は、あまりにも有名である。
本書の主人公、成瀬あかりの魅力は何といってもその行動力である。
中学から高校三年間までをまとめた『〜天下を取りにいく』では、その行動力のほとんどが多くの人にとって「無理ではないけれども、真似しろと言われたら躊躇してしまう」ような内容となっている。
ここからはネタバレになるため、読みたくない方はここでやめてほしい。
例えば、Mー1である。
Mー1に出て、天下を目指すと言って有言実行している様は、多くの人が「すげえw」と言って笑い飛ばすことだろう。
この話の中での彼女の凄さは、「これで『Mー1出場』という肩書きができた」と言って諦めてしまうところにある。
「なんだ、諦めるのか」と残念に思う人もいただろう。小説の主人公なら、もっと貪欲に目標達成するものなのではないか。そう思ったことだろうと思う。
しかし、現実は違うのである。
彼女の凄みはそこではない。
彼女にとって、『Mー1出場』はあくまでも通過点なのだ。
その先に、もっと魅力的な目標がある。その点が大きな違いである。
多くの社会人が知っている通り、現実にはそれほど簡単に成果が出ることなどない。ほとんど皆無と言ってもいい。ちょっと努力したからといって、結果がついてくるほど甘い世界など存在しない。そのことは、読者の方がわかっている。
もし、彼女がどれほど努力を積み重ねようとも、結果として『Mー1』で天下を取ったら、読者は興醒めしただろう。これほどの名作にはならなかっただろう。
つまり、諦めたことが現実とリンクするのだ。
しかし、彼女にとっての努力は努力ではない。
思い出してみて欲しい。
ほとんどの人にとって、『努力』というものは辛く苦しいものだ。
ところが、成瀬あかりにとっての努力というのは、まるで息をするように行われる。
「このくらいのことは、やっておかないとダメだと思う」
そんなセリフを言いながら、彼女は“さも当然”のように努力をする。
辛く苦しいことが努力であり、その辛く苦しいことを共有するからこそ、『友情』が育まれたり、『絆』が生まれる。そんなふうに考えている私たちの価値観を根本からひっくり返すことで、彼女の凄さを表現している。
だから、誰にでもできそうなことなのに、“成功しそうな可能性”という希望を他人に見せることができる。それに“私には到底無理”と、思わせることによって、彼女の『大物感』を表現しているのだと思うのだ。
このようなことは、誰もが憧れているのに、なかなかできないことである。
『努力をする』という行為は、簡単にできることなのに、なかなかできない。
しかしそう思わせているのは、私たちの価値観にあったのだと、成瀬あかりは教えてくれている。
「努力なんて考えるな。やらなければならないことをやるだけだ」
そんな彼女の言葉が聞こえてきそうである。
これによって、“ただ、好きなことを追求する”という、夢や目標の原点に帰ることを思い出させてくれる。彼女の魅力は、ここなのだ。
夢というにはあまりにも小さなことや、ただの好奇心によって行動している内容のことも多く登場する。
高校入学時の髪型も、“それ”である。普通の人では到底真似できない。
ただ「知りたい」という、その好奇心だけで行動している。
その髪型のせいで、その後に起こる“弊害”などを考えたりしない。
ただ「知りたい」ことを追求する。それだけしか見えていない。
これは、小学生などが持っている“好奇心”そのものである。
成瀬あかりの魅力は、そうした『後先考えない無鉄砲さ』にも潜んでいるのだ。
多くの人は何事においても、計算をしてしまうものだ。
「この行動をしたら、自分は得か損か」といった、損得勘定が先にいく。
それによって、行動をするかしないかを決める。
まずは、考えるのだ。
しかし、彼女にそれはない。
ただ「知りたい」と思ったことを行動に移す。
それによって起こった弊害については、起こってから考える。それよりも、「今知りたい」と思ったことを優先するのだ。
こうしたことからも、多くの人が「そうか、私も損得勘定で動いているんだ」と気づくきっかけとなっている。そして、その自分の損得勘定によって、自分の選択肢が著しく減っていることに気がつくことができるのだ。
自分のことと、こうした“ぶっ飛んだ主人公”とを比較して、初めてわかることがある。
そして、こうした比較対象によって、自分を内省することは、何も“ぶっ飛んだ主人公”にだけ当てはまるものではない。
「こんな人には共感できない」
そんな風にして、バッサリを切り捨てた登場人物の中に、自分の行動を裏付ける何かを見つけることができるかも知れないのだ。
小説は、物語である。
物語は、人生そのものである場合が多い。
しかしこうして、一つ一つを丁寧にみていけば、もっと大きなことに気がつくこともある。それが、人生を変えることもある。
もっと、「この感情が生まれたのはなぜだろうか?」と、深く考えてみることだ。それによって、自分のことを深くみることにつながる。
小説の魅力は、無限なのである。