りんご農家を継がなかった落語家の農業体験記【紅花編】
朝5時に起床。
落語家の場合、この時間に起きる時は地方での落語会、もしくは学校公演がある時である。
今日は違う。
着物ではなく、作業着を着て、帽子を被り長靴を履く。
そう、こんな感じ。
着物よりも似合っているかもしれない。
最近、月に一度は山形に仕事で帰る機会があり、実家のりんご農家を手伝ったりと農作業をしている。子どもの時はただただ面倒で仕方がなかったのだが、不思議なもんで、たまにやると気晴らしになり楽しいのだ。
りんご農家を継がなかったくせになに言ってんだという話ではあるが‥。
父の軽トラに乗り3分のところに紅花畑が広がっている。
山形にとって、紅花というのは特別な存在である。江戸時代、紅花は大活躍だったらしい。自然でできる赤の染料は紅花だけで、着物を染めたり、口紅など重宝されていたとのこと。僕の地元山形県中山町でも特産で、国の重要文化財である柏倉九左衛門家(旧柏倉家住宅)が大庄屋として、紅花のさまざまな商いを行っていた。「岡雨印」という銘柄で、「岡」というのは地元の地名、「雨」というのが、花摘み前に雨が降ると花の色が変わるらしい。
一応、地元の観光大使なので詳しいのだ。
そんな歴史ある紅花を再現しようとのことで、できた畑らしい。NPOの方々が管理しており、父も入っているため、甘えてお邪魔させていただいたのだ。
もともと、紅花摘みは体験したかった。
というのも、この紅花畑でとれた紅花で染めた着物を地元後援会の人たちからいただいたからだ。
真っ赤な着物だが、年をおうごとに色が落ち着いていくとのことで、色合いの変化も楽しめるのだ。この着物を着て、地元はもちろん、さまざまなところで高座に上がっている。とあるお客さんに、
「地産地笑ですね」
と言われたことがあったが、なるほどその通りである。
その日は、雨が降った翌日で「岡雨印」の名の通りの花摘みとなった。
雨に濡れているので、かっぱのズボンを履き、手袋をつける。でないと、手に色がつくのだ。
ひとつひとつが体験したことのないことで新鮮だ。また、朝早くすんでいる空気の中、紅花畑に入り地元の方々と紅花摘みを行うのは楽しい。
会話の内容は、やれ、どこそこの息子さんが○○高校野球部のエースになっただの、最近YouTubeにはまっているだの、なんだかほんわかする話題である。僕の摘んだ量はめちゃくちゃ少ない。ベテランの方々は、かごいっぱいだ。全員分集めると、これだけの量になった。
ここから、染料になるまでは、まだまだ行程がある。今度は実際に着物を染める現場に立ち会いたいものである。
農家を継がなかったくせに、大人になってから帰るといろんなことが新鮮で、高座で話すネタも増える。
そんな具合で、地産地笑を繰り返していきましょう。
あ、ちなみにこっちが本業の写真である。