友人の"純度"
『今度飲み行こうよ〜』とか『そろそろ飲みたいね〜』とか
いつもは当たり前のように交わしていた言葉が感染症のおかげで消えていきましたね。
飲みに行くと2次会まで行き、そしてカラオケして、ラーメン食べて帰る。
そんな日々は遠い過去というか、夢物語というか、私の日常から離れていってしまいました。
とはいえ、何もかも悲観するのはあまり良くありません。
自称スーパーポジティブ人間の私は、この状況を楽しんで、考えて、笑って過ごしています。
今を素敵に生きるために、私はこのように考えています。
・今自分は、いずれ教科書に載るような大きな感染症という敵と戦っている時代に生きている。
これはすごいことだと思います。
感染症ってのは、人間は本能的に恐れてしまうようですね。飢餓と同じで。
だから子どももマスクやアルコール消毒など、順応してしまうのだと思います。
こんなに感染症に敏感なのに、子どもたち含めて人間はもっと大きな死因には無関心ですよね。
自殺、ストレス無くしましょう。嫌なことを嫌と言うのと、感染症を恐れて毎日マスク、1日に10回以上アルコール消毒、アクリル板、旅行制限などを比べると…
こんなに日常外のことができているのに自殺に繋がるストレスの緩和には積極的に解決できない。
話がズレそうなので戻ります。
あとは悪性新生物、虚血性心疾患、脳卒中。
これに関して生活習慣は少なからず関わってきますよね?
それなのに子どもに対して『食物繊維をとりなさい!』とか『適度な運動をしなさい!』とか『血圧を毎日測りなさい!』とかないですよね。順応しないし。
それだけ、感染症というのは人間を本能的に恐れさせ、行動を変えてしまうもの、そして我々はそこで生き残り、見守ることができている。
これが私のポジティブ思考の一つです。
※上の考え方は某書籍から引用していますが。
そしてタイトルの
・友達の純度が上がった。ですね。
これは自分が友達少なめなのが、もっと少なくなっただけなのかもしれないですけどね。
もちろんこれもポジティブ思考の一つです。
なんとなく定期的に会っていた人たち、誕生日だけ連絡しあってまた飲みたいねーみたいに言い合う人たち、友達の友達、などなど
もちろん、楽しかったです。本当に。
でもこの状況に慣れてくると、緊急事態宣言期間や、マンボウの間を縫うように人に会うようになった気がします。
その中で会うのはやはり、自分の中でも一生の友だな、と思う人たちだったと思います。
生活必需品と言いますか、自分を構成するものの中に、その友達がいるんだと自覚できました。
ここで今、色々な意味で『密』に繋がれている人は、本当に大切な人だと思います。
この繋がりを大切にしていく、もともと大切だと思っていた友人がより大切に思えている、これがこのコロナ禍というものの産物になっています。
まだまだこの状況は続くのでこの考え方が続いていくのかは分かりませんが、、
妻がいて、子どもがいて、あたたかい家があって幸せですが、それプラス友人とか親戚とか会社の同僚とか、それがいて成り立ってる。それが私の中の思考の一つとなりました。
このコロナ禍は大っ嫌いです。
ただ、このコロナ禍で少し、より前より、人のことを好きになりました。
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