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石川県 能登旅行【後編】

前編はこちら↓

第2日 9月23日(月)

7時起床。
目覚まし時計なんて鳴っていなかった。休日の、それも旅行中、しかも連日の深夜バスと旅の疲れもあるのにいつもの出勤前の時刻に起きてしまう自分の社畜根性にちょっと怖くなった。
先日までの熱気は台風から変わった温帯低気圧が連れ去っていってしまったらしい。窓を開けると涼しい風が吹き込んできた。空はなにごともなかったかのようなきれいな青だった。ただ、風は依然として強く、ちぎれた雲が漂っていた。

しばらくベッドでぼーっとして、10時前に七尾駅発の電車に乗るまでどこかへ行こうかと考えていた。そういえば、勇者に和倉温泉で朝風呂に入るのはどうかと提案されていたことを思い出した。本当は昨日、深夜バスで金沢に到着後すぐに和倉温泉へ向かう予定だったが、豪雨の影響でそれが叶わずにいた。
和倉温泉までのアクセスを調べると、七尾駅からバスで往復すれば予定の電車までに20分間ほど温泉につかれる時間があることがわかった。バスの発車時刻10分前に急いで準備をし、オーナーに鍵を返却と一宿のお礼をしてホテルを出た。

和倉温泉 総湯

七尾駅から20分ほどバスで北上し、和倉温泉の市街地に入った。道幅の狭い通りの両側に建物が密集しており、まさに温泉街の雰囲気だった。
震災を受けた和倉温泉の被害は甚大で、和倉温泉観光協会のホームページによると21軒あるうち現在営業をしているのは3軒だけだという(休館中でも、復旧業者やボランティアの受け入れをしている旅館もある)。立派な旅館が並んでいるが、バスで通り過ぎたいくつかの建物のロビーの照明は消えており、車庫と思われるスペースに整理途中の荷物がまとめて積み上げられているところもあった。
ぼくの歩いたごく一部の状況ではあるが、地面にはゆるやかな波打ちが見られ、きれいな石畳の一部は剥がれたままとなっていた。バスの中から見えた、街を歩く青年が割れた路面のかけらと思われる小石を蹴っている光景が非常に印象に残っている。

朝風呂の目的地は日帰り温泉の総湯。「総湯」とは石川県の言葉で共同浴場のことを指すものだそうだ。震災の被害を受け多くの旅館が休館を余儀なくされたが、総湯は3月下旬に営業を再開した。
和倉温泉総湯はなんと朝7時からオープンしている!早い!しかも入浴料が490円!安い!ワンコインでおつりがくるんだからもう実質タダのようなものだ。
建物は内装に木材がふんだんに用いられており、お湯につかる前からあたたかみを感じる空間になっている。力強い筆づかいで「総湯」と書かれたのれんをくぐると、すでに地元の方や観光客が何人もきていた。
とろ~っとやわらかく肌になじむ少しぬるめのお湯で、熱いお風呂が苦手なぼくでもゆったりと心地よくつかることができた。木目調の高い天井を見上げながら入れるのもかなり良い。館内ではゆったりとしたクラシックが流れていた(この時はモーツァルトのクラリネット協奏曲第2楽章だった)。冗談抜きで天井の世界にいるかと思った。
露天風呂も最高だった。少し青の深まってきた空を眺めながらお湯につかっていると、ようやく吹きはじめた秋風が肌をなでる。湯船の近くに植わっているモミジ(たぶん)が湯気に当てられて、上の方から赤くなってきていた。秋のはじまりを感じるすてきな朝風呂だった。
20分という制限時間を気にしながらなのが惜しいかったが、連日の深夜バスと昨日の予定変更や緊迫感で溜まった疲れはどこかへ消えていってしまった(その証拠に、次の日は大した疲労感もなく出勤できた)。
ギリギリまで粘り、最後にパックの飲むヨーグルトを購入してバスへ乗り込んだ。本当は牛乳がよかったけど、パックのがなかった。

総湯のエントランス。
館内はどこもあたたかい木目調で、落ち着く空間になっている。
和倉温泉の街並み。
街全体が大きな痛手を負いながらも、訪れる人たちを癒してくれている。

七尾線で羽咋へ

昨日は豪雨の影響で夕方まで止まっていた七尾線だが、今日は問題なく金沢方面まで運行しているとのことだった。七尾駅の改札は、きっぷを通すタイプ自動改札ではなく、職員さんが確認をする方式だった。今でも地方でよく見られる、昔ながらの趣のある光景だ。ぼくはICOCAで入りました。便利。
駅名標は観光列車・花嫁のれん号と同じ華やかな和風のデザインになっている。今は震災の影響で長期の運休をしているが、いつか乗りに行きたい。
最近新しくなった車両に乗り、羽咋(はくい)を目指す。七尾を出て山間部を抜けると、進行方向左側に田園地帯が広がる。奥には低い山が連なっている。まだまだ緑が美しい季節だ。
ぼくが七尾にきた理由の一つが、七尾線の列車接近時に流れる一青窈さんの「ハナミズキ」を聴くことだ。以前YouTubeで動画を見てとても感動した(↓の動画です)。一青窈さんが沿線の中能登町にゆかりのある方とのことでこの曲が採用され、きれいなピアノアレンジはなんと作曲者のマシコタツロウさんご自身によるもの。七尾駅ではすでに電車が到着していたので、聴くことはできなかった。

羽咋へ向かう途中、車窓に流れる美しい能登の風景を眺めながらハナミズキを聴いた。曲の良さももちろんあるが、昨日今日、能登を巡りながら見たもの、聴いたこと、感じたことが思い出され、涙が出そうになった。車内にはけっこう人が乗っていたが、一人であれば絶対に泣いていたと思う。
羽咋駅では七尾行きの特急・能登かがり火号がちょうどいいタイミングで到着して、念願のハナミズキを聴くことができた。
もし読者の方が七尾線に乗ることがあれば、ぜひハナミズキを聴きながら窓の外に目を向けてみてください。

七尾線から眺める美しい中能登の田園風景。

羽咋駅→道の駅・のと千里浜→回転寿司

羽咋駅で降りたのは2回目だ。あいかわず宇宙人がたくさんいておもしろいところだ。駅前には「ジャーン!」という謎の石がある。どういう経緯で設置するようになったかわからないが、擬音を石にして、それを町なかに置こうというのだから羽咋にはものすごいセンスを持った人たちが集っている。
ちなみに羽咋市の公式ホームページでこのオブジェが紹介されているが、その説明文が市役所のサイトとは思えないほどおもしろいのでぜひ読んでみてほしい。この一連で羽咋市のことが好きになってしまった。

羽咋駅前の「ジャーン!」。
市内には他にも同じような擬音のオブジェがあるそうだ。

日程2日目の今日は北陸の友人に車で拾ってもらい、電車では回れないところを巡る予定になっていた。集合場所の道の駅・のと千里浜までは羽咋駅からはや歩きで20分ちょっとかかった。
道の駅でまず目を引いたのが、巨大な弁財天の砂像だ。なぎさドライブウェイで有名な千里浜の砂は、車が走っても沈まないほど粒が細かくて固まりやすく、砂像を作るのにも適しているのだという。
建物の入口の横に、漁師?猟師?とビキニのおねえさんの顔はめパネルが置いてあった。コンセプトも謎だし、漁師のほうは絶妙にやらされ感のある腕の角度なのも良いし、人がたに切り取られているのではなく本当に板を四角く切っただけのまさに「パネル」という形状なのもおもしろい。羽咋の人と友だちになりたい。
砂像の近くに足湯があり、友人の到着を待った。SSTRというイベントが開かれる千里浜はバイク乗りの聖地で、隣で座っている2人組もどうやらバイク乗りらしかった。友人とそのお子さんが到着し、一緒に入ることに。まだ4歳の男の子は、足湯が初めてだったのかお風呂のようにしゃがんでしまい、下半身がびしょびしょになっていた。かわいらしい一コマだった。

なんとも言えない距離感で並んでいるのも良い
足湯!最高!
かわいいオリジナルタオルも売ってるのでぜひおともに!

もう昼時だったので、近くのまぐろやという回転寿司屋に入ることにした。一言で言えば高コスパ!価格帯は決して高くないのだが、どのネタも厚みとしっかりとした食感がある。昨日行った七尾の料理店・哲さんで、「おいしい魚はまず食感が違う」と教えてもらったが、まさに内陸で食べる回転寿司よりも身の締まりが違った。
福井旅行の時にほとんど欠かさず行っている「海鮮アトム」という回転寿司屋チェーンもそうなのだが、北陸はちょっと近所の回転寿司でも他の地方を軽々と越えていってしまう。心底うらやましい。

まぐろや。
北陸は日常で食べる海鮮がレベチ。

コスモアイル羽咋

すっかり食べすぎた後は、コスモアイル羽咋を見学。ここには宇宙開発史に名を刻んできた宇宙船の、なんと本物が展示されている。公式でも言っているが、「なんでこんなものがここにあるの!?」というものばかりだ。
規格外の展示があるだけでなく、そこに至った経緯もおもしろい。詳細は公式ホームページに譲るが、かなりかいつまんで説明すると、UFOで町おこししたら町どころか国際イベントを開く規模になり国から52億の予算が下りて殺される思いをしながらアメリカとロシアに本物の宇宙船を借りたのだそうだ。

目の前にある機械が実際に宇宙空間へ行ってきたものだと考えると非常にロマンを感じた。超貴重な宇宙船に感動しっぱなしだったが、一番印象に残ったのはアポロチョコの由来となった「アポロ司令船」だ。話に聞いていただけだったけど、実物を見ると本当にあのアポロチョコそのまんまの形で感動した。やっぱり本物を見るって大事ですね!
おみやげショップの横にガチャコーナーの中に、「CHIRIマグネット」という千里浜の砂を固めて作ったマグネットがあった。砂が景品のガチャって!羽咋の人のセンスには終始脱帽しっぱなしだった。ちなみに鯛が当たった。帰宅した後で冷蔵庫につけてみたところ、昔回したたべっ子どうぶつのマグネットよりも強力だったので頼りがいがあった。

「地球は青かった」で有名なヴォストークと同じタイプのカプセル。ラピュタのロボット兵っぽい。
アポロ司令船。
アポロチョコと同じ形で感動した。

氣多大社

次の目的地は氣多大社。カーナビを使いながら向かう道中、「石川県の住所ってめずらしいよね」という話になった。試しにGoogleマップで石川県内のどこかの場所を拡大してみてほしい。すると、カタカナで「チ」とか「ハ」とかカタカナ一文字が点々と書いてあることがわかる。メンバーの一人が石川の人だったので「え?他の県も同じじゃないの?」と逆に不思議がっていた。カタカナだけではなく、「甲乙丙丁」や、さらに十二支の動物もある。「十二支だったらこれがいい」みたいな格付けなどもあるんだろうか。4歳児は十二支が何かわからず、お母さんが説明に苦労していた。

氣多大社は能登国一宮、つまり能登を代表する神社だ。ちょうど平野部の終わる場所に位置しており、背後を山にあずけるようなロケーションになっている。境内にも木々が立ち並び、森の気品が感じられた。大社という名前のとおり、主祭神のオオナムチノミコトをはじめ出雲系の神様が祀られている。
本殿から横道に入ると背の高い木々に頭上を覆われる。本殿の後ろには入らずの森(いらずのもり)という神社の関係者でさえも簡単に立ち入ることのできない原生林が広がっている。入口は一基の古びた鳥居に阻まれている。この鳥居は大社の正面にあるものよりも古いと見え、上の部分は苔むしておりところどころ朽ちている。本殿前が明るく開放的だったのに対して、木立の影もあってかここだけが異様な雰囲気がった。
氣多大社は縁結びで有名な神社だ。ホームページには縁結びのコーナーがあり、かなった恋話がいくつ奉納されたか具体的な数字も掲載されている。恋愛成就の世界でも実績が重視されるらしい。
恋愛みくじを引いたら中吉だった。「焦らなければ叶う」的なことが書かれていた。焦るな…、焦るな…(今年31歳)。

氣多大社本殿
入らずの森を塞ぐ鳥居。

加賀国へ

能登国を離れ、石川県の南半分・加賀国のエリアを目指す。千里浜・なぎさドライブウェイは波が荒れていて入ることができなかったが、海岸のすぐ隣を走るのと里山海道からきれいな日本海が望めた。遠くからの眺めではあったが、青い海と空が最高に気持ちいい景色だった。海に山に野に、日本のすべてのいい景色が能登半島には集まっている。

のと里山海道から望む海。
こんなに海に近い場所を爽快に走れる道路はなかなかない!

大きく南下して金沢市内を抜け、内陸の山間部に少し分け入る。北陸では古来より白山(はくさん)への信仰が厚い。次に向かった白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)は白山を御神体とした加賀国で最も格式高い神社だ。
ふもとの駐車場から本殿までは長い参道を登っていく。緩やかな長い斜面で先が見えない参道の深い木立に西日が差し込み、とても神聖な雰囲気だった。本殿付近までたどり着くと、樹齢千年を超えるスギやアスナロが迎えてくれる。神社巡りが好きな方には絶対におすすめしたい場所だ。

神聖な空気に癒やされて、次に向かったのは金劔宮(きんけんぐう)。創建が紀元前95年と伝えられる大変由緒ある神社だ。金運アップのご利益があるそうだ。こちらの神社も緑に囲まれて心地よい空間だったが、境内のあちこちにクマの目撃情報と注意喚起の張り紙があり、なんともいえない緊迫感があった。

白山比咩神社の参道
金劍宮本殿。
雪から守るためなのか、ガラスで囲われていた。

帰りの新幹線の時間が近づいてきた。金沢市内でごはんを食べてから解散という流れになり、石川の友人が第七ギョーザの店に行こうと提案してくれた。しかし、18時前だというのに店内は満席で50分待ち!餃子のかおりだけを味わって泣く泣く退店した。4歳児がいる手前、実際には泣き言なんていえなかったが。
せっかく石川に来たのだから、石川県民のソウルフード・8番ラーメンを食べたい!とリクエストした。以前から福井に行くことがちょくちょくあり、8番ラーメンは福井市内で何度か食べたことがあった。ここに行けばいつでもおいしいものが食べられる、しかもだいたいどこにでもあるという不思議な安心感がある。
数年ぶりの8番ラーメンでは、担々麺を注文した。スープを飲んだ瞬間、「これだよ~~~!」で溢れた。休日最後の夕方に国道沿いのラーメン屋で食べるラーメンのなんと染みわたること。
北陸以外には長野県(しかも飯田に一軒!!)、岡山県、そしてタイとベトナムにも店舗がある。なんで関西には進出しないんですか…。天一や王将と競合しちゃうからかな…。
ふとした時に食べたくなる。8番ラーメンの抗えない魅力がある。もっと他地方の身近なところにもオープンしてほしいと切に願う。

8番ラーメン。
略称はハチラー?ハチバン?

エピローグ

金沢駅まで車で送ってもらい、北陸新幹線に乗り込んだ。新幹線一本で東京から福井まで行けるようになるなんて、交通網の進歩にまだ感覚が追いついていない。
朝に温泉で回復したとはいえ、席に座ると眠気が一気に襲ってきた。ここで寝たいが敦賀での乗り換えがあるので起きていなければならない。敦賀乗り換え、本当に不便になりましたよ…。
サンダーバードに乗って、帰阪したのは23時近くだった。おみやげの整理などは明日に回して簡単に荷解きし、すぐに寝ることにした。
東京の結婚式にはじまり、中止の判断を迫られることもあり、本当に長い旅だった。無事に帰えれたことに感謝して、ようやく自宅のベッドに潜り込んだ。住み慣れた家の、体になじんだ布団で寝られることのありがたみが、色んな意味で感じられた。

いつ見ても圧倒される金沢駅の鼓門。
おみやげ雑感。
いしる(いしり)が優勝!

おわりに

鉄オタになってから十数年の念願かなってようやく能登を旅することができた。決して災害を美談にしてはならないが、今回の9月22日-23日に能登を巡ったからこそ見たもの、聴いたこと、感じだことがあったと思う。「行ってよかった!」「楽しかった!」と単純に言い表すことの難しい旅ではあった。ただ、間違いなく言えるのは、食、人、景色どれもがすばらしい能登を満喫できたということだ。

石川県外に住んでいる身なので想像することしかできないが、震災の復興途中に追い討ちをかけるこの度の豪雨に、お住まいの方、復興に携わっている方の悔しさや無念は計り知れないものだと思う。
このような状況にも関わらず、観光客を受け入れてくださっている能登の方々には本当に頭が上がらない。今回の旅行でも「来てくれてありがとうございます」と複数の方から言っていただけた。本来ならばこちらがお礼を言うべきほうだ。迎えてくださった方、交通機関の復旧に携わった方へ、本当にありがとうございました。能登の、石川の方々が落ち着いて暮らせる日々が一日でも早く訪れますように。
こうして祈るだけではなく、実際に何か動かなければならないと痛感する旅でもあった。自分にできることを探して、少しずつでも着実に応援をしていきたい。

最後に、長い長い旅行記を読んでくださった皆さん、ありがとうございました!そして、今回能登への縁を結んでくれて、旅のプラニングを手伝ってくれた勇者ノトへ、あらためてありがとうございました!急な予定変更があったけど、たくさんの情報をもらっていたおかげで柔軟に切り抜けることができました!

能登半島は日本で5番目に大きい半島らしい。一回の旅行で周り切ることは難しい。今回旅したエリアは能登半島のまだまだ南の半分だ。次は風光明媚な奥能登を冒険しようと思う。

ではまた次の旅行記か雑記事でお会いしましょう!


金沢駅のメッセージ。
こちらこそあんやと!!

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