根性焼きの代わりに(はじめてのnote)

今日、根性焼きをした。
2025年新春、22年間の人生で初めての自傷行為である。

精神的に参っているとか、自分や世界に対して怒りに近い嫌気がさしたとか、そんな厭世的でかっこいい理由ではない。

伊藤亜和のnoteで、大学時代に作った根性焼きの跡が酔うと赤くなり、それを見せるとややウケる、と書かれていた。
ほんとかな、と思って試してみたのである。

当方、めっぽう酒に弱く、すぐ赤くなるし、酔った頭で会話をファニーにこなす能力もない。もし伊藤亜和の言っていることがほんとなら、俺の体も赤くなるはずだし、これでややウケを狙える。知的好奇心と飲みの場を同時に充実されられる、やってみないテはない。この傷が残れば、数年後とかに伊藤亜和のエッセイのこと思い出せそうだしねえ。

阿呆か俺。

自傷行為は一般的に誉められた行為ではないものの、そこには当事者の行き場のない感情とか、世間に迎合しない信念のようなものが宿り、それを身体という自身唯一の絶対的かつ永遠の所有物に刻印する行為、それこそが自傷というものではないか。

ただの興味とウケを重視した根性焼きに何が宿るというのか。思慮の浅い阿呆の刻印である。自分はウケ重視で行動する根っからの俗物でーすという自己紹介を身体にぶち込んだようなものだ。ましてや傷でエッセイのことを思い出すとか、メモ帳かよ。俺の身体。
ごめんなさいお父さんお母さん。俺そんなに参ってもないし、尖ってもないよ。

しかしそれでも、根性焼きをした。

根性焼きといっても、その内実はさらにしょうもなく、恐る恐る煙草の火を近づけ、傷を確認しながらちょっとづつ、ちょっとづつ、焼く。ちょうど、魚が焦げないようにちょこちょこオーブンを確認するのと似ている。これのどこに「根性」があるというのか。シドヴィシャスが見たら腹抱えて笑うかブチギれるか、しそうだなあ。

こうして、左腕の肘と手首の間くらいに、直径2ミリの、小さい、本当に小さい火傷ができた。近くにあるできものと見比べてもそう大差ない。皮膚がちょっとだけよれて、丸い火傷の縁にコーヒーを飲んだ後の放置したコップみたいに溜まっていた。なんやこれ。

つくづく、しょうもない人間である。

そんなしょうもな人間である自分が伊藤亜和に興味を持ったのは、ある雑誌で理想の本棚についての取材を受けていた記事を見たからである。曰く、「これを読んでいるのが理想の自分。その準備のために見栄を張る本棚。」とのこと。

うわあ、そこまで言っちゃうんだ、と思った。そして、かっこいいな、とも思った。

誰しも、言動には何らかの思惑が存在し、それを制御する「もう一人の自分」がいる。ここでこう言っておけばこう見られる、だからこう動け、俺。と。特に趣味の領域では、何を「好き」と言うかはその人のセンスが如実に現れるからかなり恣意的なものになる、と思っている。

んで、その思惑が見えてしまうと、途端にその人の言動はダサく見えてしまう。心の底から言ってんじゃないんだな、と思う。少なくとも自分は、そんな打算的・客観的な「もう一人の自分」を徹底的に隠して生きてきた。それが「もう一人の自分」の下した判断であり、実際のパフォーマーとしての自分は、そいつの命令に従って生きてきた。

でも彼女は、「もう一人の自分」すらあけすけに紹介し、挙句「見栄を張るための本棚」と言い切った。自分の裏方を飼い慣らし、「こいつこんな奴なんですよ〜」と、自らの思惑を恥じることなく提示した。

思惑が見えること=ダサいと言う定式に則れば、これは信じられない行為である。しかし、そのような彼女の姿勢は、とても素直で、かっこよかった。この人の言葉は、全面的に信頼できる。そう思った。

そこで一つの仮説が浮かんだ。思惑は、隠れているから卑怯で、隠そうとしているものがつい見えてしまうからダサいのではないか。
じゃあ、隠さなきゃいいじゃん。しょうもない「もう一人の自分」をしょうもないまま「こんなしょうもない奴なんです〜」と、あけすけに提供しちまえ。味わえ、素材の味。

と言っても、22年間の従属関係はそう簡単に解消できない。てなわけで、こんな自分を笑って提示する練習のために、「もう一人の自分」を飼い慣らすために、こうやって文章にしているわけです。

もう一つ、文章を書こうと思った理由がある。

2025年になって、去年の楽しかったことや、考えていたことを思い出そうとした。何にも出てこなかった。めちゃくちゃ楽しかったし、滅茶苦茶な出来事もいっぱいあったのに。

どうやら、脳のキャッシュメモリが極端にポンコツなようで、瞬間に思ったこと、「これ大事だなあ」と思ったことも、寝て起きたら忘れている。挙げ句の果て、気に入ったエッセイを忘れないために自分の体をメモ代わりに根性焼きを行う始末である。この方法を採用していたら、上半期には黒焦げになってしまう。

忘れないように、文章にする。その時あったこと、思ったこと。根性焼きの代わりに、書く。

てなわけで、これからもなんかあれば書こうかなと。
こんなしょうもな人間ですが、どうぞよしなに。


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