競艇界一のアウト屋
阿波 勝哉あわ かつや、1973年4月18日 は、東京都練馬区出身の競艇選手。登録番号は3857
高校中退後はアルバイトで生計を立てていたが、中学校時代の友人から競艇選手という職業を知り、1993年に本栖訓練所への応募を決意。3回目の受験で合格した
1996年に多摩川競艇場でデビュー、初優勝は2002年蒲郡競艇場にて。2005年に常滑競艇場で行われた笹川賞競走でSG初出場を果たした。
たとえ1号艇であっても、絶対に6コースに進入するほどのアウトコース一貫のアウト屋である
ただし、アウト屋の先駆者である吉岡修(引退)と小川晃司に対しては6コースを譲ると雑誌等のインタビューで公言しており、大村競艇場での企画レースで阿波・吉岡と小川が対決した際の進入は、卒業期順に6コース吉岡、5コース小川、4コース阿波となった。東京支部の先輩に当たる熊谷直樹は、「阿波はアウト屋じゃなかったらとっくに1000勝してるし、SGだって勝ってたと思います
でも、あいつが『アウト屋が自分の生き方だ』って言うから、それに対してはオレは何も言えなかった」とコメントしている。モーターのチルト角度は、出場する競艇場で許可されている最大の角度に設定し、エンジンも伸び重視の整備を行っている。2012年4月からプロペラの規定が変わり、選手個人の持ちペラが廃止され、競走場のモーターに備え付けられたプロペラを使用しなければならなくなった。そのため、極端に伸び型仕様のプロペラを作り戦っていた阿波にとっては大きな逆風となり、B級に陥落するなど低迷していた菅章哉は6コースからのレースをするに当たっては、阿波のレースを参考にしたと話す
僕は6コースからまくる阿波勝哉選手が大好きでした