Ville natale
ただいまといってらっしゃい
7/15~17に昨年ほぼ一年暮らしていた岩手県陸前高田市広田町に行ってきた。
広田に帰るのは5か月ぶりくらい。暮らしていたときを考えると久々だが離れてから半年も経っておらず、案外まだ自分の中に馴染みがあった。暮らしていた古民家、毎日見ていた田園風景、どんな感情になるかと思ったら「ここにあるものだったな」と意外にも落ち着いていた。
お世話になった友人たちにも再会したが、なんかみんな「お~~~」って感じで全然久々のびっくり感がなかった。全然驚いてくれないじゃん~~っていじけてたけど、そういえば私もある程度間が空いていたから形式的に「久しぶり!」って言っていた。心のつながり的には、「お~、やっほ~元気してる?」くらいのテンションだった。
それくらい馴染んでたんだなあと思う。それはそれで嬉しい。
東北は「心のふるさと」をテーマにしている地が多いが、たった一年しか住んでいない私も、広田は「帰る」場所になった。町を離れたときも、みんな、いってらっしゃい、帰っておいでね、という言葉をくれた。
今回友達が出発するとき、私たちも数時間後には見送られる側なのに「いってらっしゃい」って言った。
ここで暮らしていた、という共通の体験をした私たちは、今いる場所は違えど、「ここにいる」という想いがぼんやりある気がしている。もちろん人によってグラデーションはあるけど、またここで会おうと思い、伝え、別れる。
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アクティビティの中にダイアローグをしながら「my best CMC memory」「CMCで自分か変化したところはあるか」「自分/社会においてのCMCの価値とはなにか」を考える時間があった。
best memoryに、私は「似ている人に出会えたこと」を挙げた。似ているってなんかしっくりくる表現じゃないなと思っていたけど、「仲間を見つけられたこと」だと腑に落ちた。
本心の真ん中にある話をできること。似た何かを抱える人と、ともに悩めること。人と違ってもなんとかなること。
今まで出会ったことのない人たちに出会ってしまった。それはありのままでいられる人たちだった。そして人生を変えてくれた。元気になった。
でも、その日はダイアローグにうまく入り込めなかった。心からみんなの話が聴けず悔しかった。ここに来たらなんかまた得られるんじゃないかと少し期待もしていたから、あえて悩みに来たみたいなところもあった。でもあんまりできなかった。
終わったあと、いい話できなかったな、、と暗くなりかけたが、そういえばなんでも一回でうまくいくタイプの人間ではなかったのを思い出した。CMCのときは日常に何度もそんな機会があったから、そのうちでよくできた回があった。毎回ほくほくしてたわけじゃなかった。数打ちゃ当たれ戦法。
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その日の夜にあった飲み会がめちゃくちゃ楽しかった。飲みすぎて人間としての尊厳を失いかけてたけど、なんも気にせず飲んで歌って踊ってスイカ割して、異常なほど青春だった。めんそーれブラザーズの大熱唱ステージのおかげで、東北に行ったのに帰りのバスでは謎に沖縄ソングメドレーをきいていた。「涙そうそう」が今回の私の思い出ソングとなってしまい、きくたびに感傷的な気分になる謎体験。まあそれもまた思い出。
こうやって一緒にはしゃげる人たちに出会えた、大人になるって悪くない。
この時間に居られてみんなと思いっ切り楽しめたことだけで、来てよかったと思った。純粋にシンプルに楽しかった。今私が求めていたところはこれだったのだと気づいた。ただゲラゲラ笑い転げて騒ぐことがしたかった。
すべてを掬い上げようとするから苦しい
改めて人の感情に振り回されることが多いと実感した。人が痛がってるのとか、嫌だと言ってるとか、ポジティブよりネガティブなものに引っ張られるとよくない。ポジティブは逆に入り込めるから楽しい。どの気持ちにもそうだねって共感しようとしてしまう。痛そうだったら「大丈夫?」「嫌だと言っていたら「そうなんだ、大変だね」無意識だから辛い。疲れる。
人の全部の感情に寄り添って、ケアしようとするから疲れる。頼まれてもないのに。根底には「人に嫌われたくない」という欲がずっとある。歯に布着せぬ物言いができてパキパキ生きてる人を見ていると、別に他人って意外とどうでもいい、その人がしたいようにすればって放っておくのが吉だとわかる。
ここにはあまりなくて、むこうはありすぎる。この塩梅がいいところが別にあるのだろうか。旅は続く。