6月29日木曜日
自分はさまざまな場面において、感情を反芻する癖がある。
『お前なんかに誰も興味ねえよ』というセルフツッコミを入れてしまうからである。
こうやって他人の目を気にしているような人はよく、「気を遣いやすい人」「おとなしい人」と言われるが、そんなことはない。
心の中で他人のことを馬鹿にしまくっているクソ野郎である。
自分はそのクソ野郎の1人だ。
高校生の頃、文化祭などの際にクラスの人気者がおちゃらけている姿を鼻で笑っていた。そういう時は「内輪ウケで盛り上がっている寒い人たち」と考えていた。
こうやって他人の価値を下げて自分を肯定するのは正直楽だ。だからこそ癖になる。
ただ、それはブーメランになって自分に戻ってくる。
人が楽しむ姿を嘲笑し続けたことによって、自らが楽しみを得ようとした時に他人からどう見えているのかということを気にしてしまうようになった。
ここから脱却するために「好きを見つめる」ことをした。
例えば、自分はラジオを聴くことが好きなのだが、「なぜラジオを聴くのか」「番組を聴いている時に抱く感情はどんなものだろうか」という素朴な感情に向き合うことにした。
そうすると一定の好きの理由を見失わずに軸を持つことができる。
それができれば、以前の私のような平気で冷や水をバケツでぶっかけてくるような外的要因にも動じないほどの好きを構築できる。
やっとこれがわかった。