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超自己分析

就活が加速し、日々面接やES出しに奔走している就活生の同志の皆様ごきげんよう。

就活における自分自身の精神的変化などはまた別に載せます。
今回に関しては就活に際して行った自己分析を踏まえて、あらためて21年の人生と共に超自己分析と称して自分と向き合ってみることにします。

共感力

改めて自分の人との接し方を向き合った時に、すごく俯瞰でコミュニケーションを取っているように感じました。
ただこれって自覚していなかったようですごく自覚していたことでして、そもそも自分のコミュニケーションの立ち位置として「聞きたい」というのが強いんですね。そうなってくると、無意識的に人に共感するようになってくるんです。自分の場合、共感というよりか受けた話を自分事として飲み込んでしまうという癖があるんです。
綺麗な言い方をすれば「共感力のある人」なんでしょうけど、悪い言い方をすると「自分の考えをはっきり押せない人」なんですよね。
結局私生活でもそうですけど、「これをしたらこの先こうなるよな、、」「こうなった先でこうやって思われるかもしれない」という先のルートを考えてしまって、結果的に保険をかける形でなかなか行動に移せなかったりするんです。

若干話はずれましたが、あまりに他人への共感を意識しすぎると自分を見失ってしまって、プラスのことをしているようでどこか気づかないうちに自分を押し潰しているということに直面させられます。

内省

さっき、自分の行動に保険をかけてしまうということを話として出しましたが、この内省は長いこと自分の癖として染み付いていることなんですね。
人と話をする時も、「お前の話なんて誰も興味ないんだよ」と常に自分自身の中で思ってたりするので、どうしても飲み込んでしまうことが多いんです。逆にそれらを出せる相手というのは本当に片手で数えられるほどだと思います。
こういう性格ですと、「気にしすぎだよ」とか「考えすぎだよ」というお声かけをいただくことも多々あるのですが、そういう言葉がめちゃくちゃ怖かったりします。というのはそのような言葉を投げられた際に「逃げ場を失う感覚」に陥るからなんですね。
自分が面倒な男なのは重々承知しているのですが、この癖ってなかなか抜けないんですよね。分かりますみなさん!!抜けなくないですか?

というそんなところで内省というのも自分の中で重要なポイントですね。

他人の中身を知りたくなる

共感力や内省というところで自分の中身に触れてきましたが、この二つを踏まえてここ最近こんなことを思います。
「他人の部品ってどうなってるんだ?」と。
部品というのは、自分の周りの方は普段どんなことを心に据えてコミュニケション取ってるんだろうとか、どうやったら明るく振る舞えるのだろうという観察を最近するようになりました。
これはおそらく、ある一定のラインにおける自己分析が完了したからなのかもしれません。なんとなくでも自分のことがわかると今度は周りの方のことが気になってくるのはもしかしたら皆様もそうかもしれません。
自分にあってある方にはないパーツ、もしくはその逆も然りですがそのような観察を最近行っているわけですが、意外とこれが楽しいものでハマりかけています。

結局自分は誰かみたいにはなれない

他人の部品が気になると言いましたが、これは別に「この人みたいになりたい」とかそういう羨望を含んだものではないんですね。
小中学生の頃はどうしてもまだ「横一線的」「平均的」の思考が自分の中にもあって、「これくらいはできないといけないんだ」とか、「足りない部分はなんとかして補わないと」と常に焦りながら生きていたような気がします。ただ、高校生になった段階でそれが面倒になってしまって急に方向転換して今抱いている考え方の根本に至った気がします。
そこからは「この人はこの人」「自分とこの人はこういうところが違うんだ」という発見ができるようになりました。
よく「みんな違ってみんな良い」という言葉を耳にしますが、高校生になってようやくその言葉が理解できたような気がします。もしかしたら理解した気になっているだけかもしれませんが。

結局誰かに憧れ、この人になりたいと思ってもそれはあくまでその人風になっているだけであって、自分の良さは自分でしかわからないのかなとつくづく思います。
この視点はずっと持ち続けていようと思います。

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