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癌闘病

都立病院に転院

肝臓細胞癌を見つけてくれた消化器内科の先生は、治療についていろいろと説明をしてくれました。
肝硬変が進んでいるので、外科手術で取り除くのは、厳しいとのこと(この時、がん細胞は、約九センチ程に大きくなっていました)
今は余りステージという言い方はしないけれど、敢えて言うなら2から3の間ぐらい。
自分はテレビ番組ドクターXのファンなので、ステージ3がどれ程悪いか、だいたい見当がつきました、腫瘍マーカーは6000を越えています。

今できる手術というのは、塞栓術という、がん細胞に栄養を送る血管を塞いで、抗がん剤をポイントで打ち込むということ。
いずれにしても、癌が進行する前に早く治療を進めたほうが良いと言うので、その手術を至急受けることにしました。

 手術の数日前、知り合いの都議会議員の方より電話をもらい「もう一度、専門の癌センターで精密監査を受けて、手術はそれからでもいいのではないか」と提案されました。
その意見を受け入れセカンドオピニオンとして都立の駒込病院 (駒込癌センター)で治療を受けることにしました。
 森山記念病院では脳梗塞も含めて大変にお世話になったのですが、やはり、病院には専門分野があるし、森山病院は脳外科の権威ですが、内科消化器の手術には大学病院から専門の医師を呼ぶと聞いて、ならば、直接、癌の専門医に観てもらったほうが良いのではという思いでした。
 都議会議員のU先生より日程を調整してもらい、初めて駒込癌センターに行ったのが、5月の13日、13日というのは世間的には悪魔の数と言われていますが、自分の人生ではラッキーデーであります、娘の栄麻が生まれたのが9月の13日、今の女房と籍を入れたのが、2月の13日そして松栄塾道場を開設した日が5月の13日そして初めてこの病院に来たのが5月13日でありましたた。そんなの迷信だと言われる人もいますが、自分たち格闘家はそのようなジンクスを大切にしている人が多いです。

 緊張して待合室にいると、名前が呼ばれました、診察室に入ると若く 頭の切れそうなドクター(K医師)がそこに座っていました。
 森山病院から持参した紹介状とCD画像を見ながら、医師は言いました。「身体はだるくないですか」
「元気一杯です、どこも辛いところはありません」
「ん〜大丈夫ですよ、この感じでは塞栓術は余り効果がないと思いますから、取り敢えず整脈瑠から塞ぎましょう」このポジティブな一言が自分に、とても希望をもたらしてくれました。
黒い便の正体は、整脈瑠からの出血かも知れないと説明を受けました。
 整脈瑠が破裂すると大量出血の恐れがあるので、その不安を取り除いてしまいましょうという提案でした。
 森山病院の「これはやばい状況です」と顔に書いてあるような暗い表情から、「一緒に闘って行きましょう」という激励の一言は、生きる希望を与えてくれました。
 嫁と娘で病院に行き状況を聞いたときにも、娘を見つめて「まだ、お子さんも小さいもんね」と慈悲溢れる眼で見つめてくれたこと を、覚えています。

その当時の手帳を見ると以下の悲痛な文章が書いてあります。
「人生の残り時間がないなら、やりたい事」
1,生涯の夢であった、小説を完成させる
2. 松栄塾を残すため息子、娘、弟に手を打つ
3、お世話になった人達に御礼の手紙を書く
4,空手の弟子達に師範として最後の戦いを見せていく
 悲壮感あふれる文章でありますが、もしかしたら自分の中ではもう 半分生きることを、あきらめていたのかも知れません。
 そうしたなか、うちのボクササイズに来てくれていた都議会議員のUさんより「今は医療が発展しているので、年々癌は治る病気になっていますよ、重松さんも絶対大丈夫ですよ」と声をかけていただきました。
やはり落ち込んでいるときの激励は勇気を奮い立たせてくれます。
様々な人の激励を受けて、改めて病になんか負けるものかと決意をしました。
 また、元空手に通ってくださっていた内科小児科の院長をされているA先生からも激励のメールをいただき「ともかく納得のいくまで話し合うことが大切です、良きドクターは説明上手であり、患者が納得するまで、相談にのってくれるものです」とアドバイスを戴きました。
自分は民生児童委員もしているのですが、その地区会長より、「重松さん、あの駒込の癌センターは本当に良い病院よ、良かったわね」と温 かい言葉もいただきました。

 病に苦しみ、一人悩んでいるときに、この様な言葉をもらえるのが、どれ程、勇気と希望を生むか、自分は身をもって知ることになりました、そしてこの病を克服した暁には、一人でも多くの苦しんでいる人達のお役に立ちたいと心から決意いたしました。

こんな、駄文を読んでくださり貴方は仏様ですか?