癌寛解への道 PERT2
そうした意味では、自分の一番のサプリメントは、良き弟子たちであり、大切な妻と世界一大切な子供達、孫たちこの宝物を絶対に泣かしてたまるかとの想いが癌を少しずつ消していったのかも知れません。
今日は、娘のピアノ発表会を鑑賞しました
コロナのせいで、三年ぶりの開催でした。
癌発病する前の発表会で見た子供達も大きく成長されていて、まるで自分がタイムマシーンに乗って未来に来てしまったような気にさせられました。
もし癌が治らなかったら、この風景を観ることはできなかったと思うと、やはり生きるのは素晴らしいと感じることができました。
今、どんなに辛くて苦しくても、生きていれば、必ず良かったと思えることに出会えるものですね、
青年よ生きて生きて生き抜くのだ、その意味がやっとわかりました。大好きな劇画漫画のバカボンド、その中で武蔵が、沢庵和尚に監禁されて、木に縛り付けられるシーンがあります。「殺せ、命に価値などない」と吠えまくります。
後に沢庵和尚は、語ります。「その通り、命に価値などない 自分だけのものと思うなら命に価値はない」今、ここに生きているのは、繋いでくれた人がいたから、命の抗う姿を変えず、ありのままに生きるなら、すなわちもはや全て自由と言う言葉を噛みしめる日々でした。
癌にかかって一番影響を受けたのは、言葉の使い方です。
入院中、様々な言葉が、自分を励まし希望を与え、または幻滅させられました。
一番力になったのは、やはり主治医のK先生のお言葉です。
治療法と今後のことを妻に話していただいた時、たまたま、娘の栄麻が診察室の外で待っていました、多分、バレエのシューズを買いにいった帰りに、病院に来たのだと思います。
緊張してドクターを見ていた栄麻を、見つめて「まだ、お子さんも小さいもんね」と呟いてくださいましたことは、一生忘れませんし、癌なんかに負けてたまるかと勇気をいただきました。
また、抗がん剤治療が進む中で、3回目のクルーの時だったと思います、K医師が飛びこむように走り込んできて
「重松さん、抗がん剤が凄く効いているよ」と自分の事のように喜んでくださったことも忘れられません。
患者は唯一頼りになる主治医の先生に命を預けています。
その先生の一言で生きもし、死にもするんだと思わせてもらいました。
また治療中、なぜか皮膚がひどく荒れて、顔、腕、足に湿疹のようなデキモノが現れました、多分、抗がん剤の副作用だったと思いますが、一番困ったのは睾丸が数倍に腫れて、膿のようなものが出てきた時です。
今思えばその時が最高にピンチだったのではと記憶しています。
病院に連絡をすると「すぐに来てもらいたい」とのことで、いつものように大型バイクに乗り病院に駆けつけました。
バイクの振動が睾丸に当たり、痛かったのが今となっては、笑えます。
睾丸へ転移が疑われ、腫瘍マーカーの検査と睾丸をエコーで検査され、転移は見つけられないので、やはり抗がん剤の副作用が皮膚に出たのと黴菌が掻いた傷から入ったのではとの事でした。
一応念のため抗生物質を注射し入院ということになりました。
看護師さんにズボンを下ろされ睾丸に薬を塗られた時は、年甲斐もなく死ぬほど恥ずかしかったですが一番気になったのは、心無い看護師の噂話でした、たまたま、シャワーを浴びるためナースステーションの前を通り過ぎようとした時、大きな笑い声が聞こえてきました
「いや、私おかしくておかしくて、笑いそうになっちゃたわ、だってあの空手の先生、まるでたぬきの金玉みたいなんだもん」と
大きな声で笑いながら話していました。よほど、この姿が可笑しかったのでしょう、外にまで聞こえる声で、人の姿を笑っていました。
それまで、心から感謝していた夜勤の看護師に対して、見方が変わってしまった、悲しい出来事でした。
しかし、そうした体験から自分は、如何なる状況にあっても言葉を惜しみ大切に使っていくことを学びました。
まさに「我以外皆我師成」です。
こんな、駄文を読んでくださり貴方は仏様ですか?