5月19日

あなたは大切な人を亡くしたことがありますか?

僕は昨年のちょうど今日すい臓がんで父親を亡くしました。

1月に余命1年を宣告されていたのですがそれよりもかなり早く旅だってしまいました。

僕は家にいる時間が長かったので誰よりも父親の闘病生活を近くで見てきました。そんななかで父親が教えてくれたこと気づかせてくれたことについて書いていこうと思います。

嫌いだった働く父親の姿

父親とは休みの日に買い物に行ったり、イベントに行ったりしてそこそこ仲が良かったと思います。でも僕が中学3年生になったくらいの頃から仕事が忙しくなり一緒に出かけることが少なくなりました。平日は夜9時くらいに疲れた顔をして帰ってきて休みの日には昼過ぎまで寝ているといったような生活をしていて、いま考えたら家族を養うために働いてくれていたことがわかるのですが、その当時はくたくたになるまで働いて、休みの日に出かけることもできない父のことを理解できなかったし、嫌ってさえいました。

病気がわかった日

すい臓がんだと分かったのは2018年の7月ごろだったと思います。6月くらいからあまり体調がよくなく家族に仕事を休んだらと言われながら働いていました。見るからに体調が悪かったので「体壊してまで仕事する意味あんの?」と強い口調で言ったこともありました。7月ごろに会社の人が明らかに体調がおかしいことに気づき、病院に行ったところ胆管が詰まっていることがわかりしばらく入院することになりました。そのときはまさか父親ががんだとは思っていなかったので体調不良の原因がわかり一安心していました。しかししばらくたってもなかなか胆管のつまりが取れず、精密検査をしたところ膵頭にがんが見つかりました。最近、がんは治る病気だと言われていますが、すい臓がんはがんの中で最も治りにくいがんで5年後の生存率はわずか8%と言われています。がんがわかったときもある程度すい臓がんについては調べたのですがまさか自分の父が亡くなることはないだろうと思っていました。

病院での生活

入院中は毎日病院に行っていたのですが、そのたびに誰かがお見舞いに来ていました。そこで初めて父がどれだけ周りの人に大切にされていたのかを知ることになりました。毎年父親あての年賀状が200枚くらい届くので知り合いがたくさんいることは知っていましたが実際に会いに来てくれるような関係の人がたくさんいることに驚きました。なかには東京や中国からお見舞いに来てくださる方もいました。そんな人間関係を築ける父を素直に尊敬したし、どれだけ周りの人を大切にしてきたんだろうと思うようになりました。

余命宣告

家族が余命宣告を受けることはとてもショッキングなことです。父親自身はもっとつらかったと思います。でも最後まで希望を捨てることはありませんでした。闘病中はよく「がんなんかに負けん」と言っていたし、負けないくらい元気でした。今考えるとかなり無理をして家族に心配をかけないようにしていたんだなとなんとなくわかるのですが、そのときは本当に大丈夫なんだとすっかり騙されていました。

仕事に対する考えかた

さきほど働いている父親のことが嫌いだったと書きましたが、それは父の仕事に対する考え方を知る前の話です。ある日父と話をしていると僕の将来の夢の話になり夢をかなえるために必要な考え方の一部として仕事に対する考え方を教えてくれました。その中で特に印象に残ったものをひとつ書いていきます。「1つ自分の芯となる大きな抽象的な目標を持つこと」そんな言葉でした。父は以前三菱のロボット部門で技術者をしていたのですが、その時に立てた目標は「世界征服」だったそうです。なんじゃそりゃって感じですが世界中に広まるようなロボットが作りたいという思いからそんな目標になったみたいです。その思いをもちながら実際に世界に一台しかないロボットを作ったこともあったそうです。その話を聞いた僕は「自分の手で世界を変える」という目標を立てました。周りから見たらなんじゃそりゃって感じだし馬鹿にされるような目標かもしれませんが、本当に世界を変えるようなデバイスを開発したいと思っています。

人を想って生きるということ

夢の話をした日の夜、父の考え方のもととなった本をもらいました。スティーブン・R・コビーさんが書いた「7つの習慣」という本です。そこには人としての生き方が書いてあり、全体を通して人を想うことの重要さが書いてありました。この本に書いてあったことが確実に今の僕の考え方のもとになっています。具体的に父がどのような人を想う行動をしていたのか、たくさんありすぎて書ききれないのでここでは一つだけ紹介しておきます。    結婚記念日の話です。父はどんなに仕事が忙しくても結婚記念日には花を買ってきて母にプレゼントしていました。母はなぜか毎年結婚記念日を忘れているので毎年のようにとても喜んでいました。自分の父親ながら記念日を大切にできるのはとても素敵なことだと思うし、母のことを想っているからこそできるんだろうなと思います。

最後の日

父が亡くなったのは19日の午前3時頃だったので最後に話したのは18日の夜でした。数日前に病院で倒れてから急激にやつれていき顔も真っ青でした。会話をするのも苦しいようでその日はほとんどしゃべることができなかったのですが、僕たちが病室を出るときに「みんなの顔を見れて安心した。心配かけてごめんな」と言われました。でもそのとき僕は何も言ってあげられませんでした。なぜあのとき「また明日も来るね」と言えなかったのか今でも後悔しています。

止まらない涙

19日の3時頃病院から父の心臓が止まったという電話がかかってきました。普段なら夜に電話がかかってきても目が覚めることはないのですがなぜかその日だけは目が覚めました。母から父の心臓が止まったと聞いたのですが頭がバグったみたいに言葉の意味を理解することができませんでした。とりあえず着替え、訳も分からないまま病院に向かい病院についてからやっと父が死ぬかもしれないということを理解しました。なんだかんだで「死にかけたわ」って笑いながら話ができるんじゃないか、また一緒に出かけれるんじゃないかと思っていたのが一瞬で吹き飛び、もう会えない恐怖、悲しみが押し寄せてきて涙が止まらなくなりました。結局そのまま父は帰らぬ人となりました。いまでもはっきりと覚えているのですが亡くなった父の体はとても冷たく真っ白でした。                         お通夜の日、葬儀場の人がいままで見たことがないというくらい、たくさんの人が来てくれました。そこで改めて父がどれだけたくさんの人に愛されていたかがわかりました。

支えてくれた人たち

実は部活の最後の大会が父が亡くなった1週間後にありました。父が亡くなってから1週間まともにご飯を食べておらず、心も体もボロボロの状態でした。そんな状態の僕に友達から「ひとりじゃないからね。みんないるからね。」といったようなLINEがきました。家族が父との最後の大会で結果を残すという約束を思い出させてくれました。部員のみんなは1週間部活に行けなかった僕を温かく迎えてくれました。そしてなんとかスタートラインに立つことができました。たくさんの人の応援の声に背中を押され走った結果は自己ベストでした。ここで人の支えはとても大きな力になることを実感しました。

最後に伝えたいこと

あなたに大切な人はいますか?

それは家族ですか?友達ですか?恋人ですか?

感謝の気持ちは伝えられていますか?話したいことは話せていますか?

不思議なことにひとは失ってから大切なものに気づきます。僕はもう父に直接ありがとうと言うこともできないし、話したかった悩み、不安、楽しかったこと、うれしかったことを話すこともできません。

これを読んでいるあなたが大切な人に伝えられていないことがあるなら伝えられるうちに伝えてあげてください。いつ本当に伝えられなくなるかわかりません。

どうかあなたの思いがちゃんと届きますように…

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