もこもこあざらしがDJになるまで
こんにちは。もこもこあざらしです。
今でこそあざらしはサイケのDJとして活動していますが、こうやって人前でDJをするようになるまで、かなりの時間がかかりました。今回はその話を書きます。
この記事はあざらしの自分語りなので、暇つぶしにもなるかわかりません。ただ、DJをやろうかな…って考えている人が、
「こんな人でもこんな出会い方でもDJはできる。自分にもできるんじゃないか」
と思えるような後押しになればと思います。
歌詞とは何かがわからない少年時代
あざらしは小さい頃から音楽に敏感で、恐らく物心ついたときから「泣きメロ」が好きでした。 なので、音楽とはメロディがきれいなものが良い曲、歌詞が良くてもメロディが心に響かなければ、全く興味を持てませんでした。
周りの友達は「歌詞が良いから」「アイドルがかわいいから」と、当時流行っていたJ-POPの話をしていましたが、全く話についていけませんでした。学校の音楽の授業でも、歌詞の意味を理解する、ということは全くしませんでしたね。
「声も楽器の一つでしかない」と思っていたのでしょう。
代わりに、あざらしに影響を与えていたのはゲームの音楽。ロックマンに始まり、ドラクエ、FF、テイルズシリーズ、レーシングゲームなど、生音より電子音の方が身近にありました。今サイケが好きなのは、そこにルーツがあるんだと思います。
(そのせいで今でもカラオケのレパートリーが少ないのが困ったものですが…。)
初めてCDを買いたいと思ったのが、中学3年の時に悪友の家で偶然かけていた 「米米CLUB / 君がいるだけで」
当時すでに米米CLUBは解散しており、レンタルCDショップなどにもベスト盤しか置いていません。音源を探すためにブックオフやリサイクルショップなどでCDを漁る必要があります。ここで図らずも、古いCDを漁るという経験をしていたようです。
そして、初めてトランスという音楽に出会ったのは、高校2年生のときのある夜、久里浜の海岸沿いを友人と歩いている時に、見るからにいかついVIPカーみたいな車から大音量で流れているのを聞いたときです。
その時から「メチャメチャかっこいいな!」って思いましたが、それがトランスというジャンルであることは全然知らないので、どうやったら聴けるのか全くわからない。中古CDショップでそれらしいCDを探し、これかな?と思って買ったCDが「ダンスマニア」。
ここでようやく4つ打ちの音楽と知り合うことになりました。
でも結局、高校時代はトランスに出会うことはできませんでした。
キャンプで目が覚めたら、トランスに目覚めた
高校卒業後、専門学校に入学したあざらしは最初の学校行事「オリエンテーションキャンプ」に行きます。
同じ部屋のメンバーは8人くらい。コミュ障なあざらしは、同じ部屋のメンバーとも会話できませんでしたが、翌日の朝起きた時にそのメンバーの一人が目覚ましに使っていた曲が、今で言うところのハンズアップ「Arpeggio / Love Sunshine」だったんですね。
メロディも良い。あの日のVIPカーの音にそっくり。その時に、ルームメイトからこれが「トランス」だと教えてもらいました。自分の中で少し薄れていたトランスへの興味が、その目覚ましによって目覚めさせられました。
キャンプから帰ってからというもの、あざらしは学校の近くのブックオフで「Trance」と書かれたCDを毎日のように買い漁ります。
(スーパーベストトランスとか、トランスレイヴとかそういうのです。)
そのうち専門の友人たちからも、「トランスばっかり聴いてる奴」というキャラが立ち、トランスは自分の一番の趣味となりました。
トランスという音楽にすっかり魅了されたあざらしは、知識や新たな曲を求めて、インターネットでひたすら「トランス」でググる日々を送っていました。
すると、トランスには「エピックトランスとサイケデリックトランス」があることがわかります。
自分が聴いているトランスはどっちなのか?調べると、これらはエピックトランスの方らしい。では、サイケデリックトランスとはどんな音なんだろう?
調べれば調べるほど、このサイケデリックトランスが「異質、根源的なもの、音楽の枠だけでは語れない」といったような褒め方をされており、あざらしはどんどん興味を惹かれます。
ですが当時はYoutubeもなく、音楽を試聴できるサイト自体が限られていたため、いくらググっても見つけられません。
そしてある日ようやく試聴できるサイトを見つけました。
「CISCO Records」
クラブ「渋谷Jump」のあるビルの右、「シスコ坂」と言われる坂一帯に存在したDJ用音源の専門店のサイトでした。
初めて聴いた曲は、「Wizzy Noise / R.I.P. Saki」という曲です。
そのサイトで何回リピート再生したでしょうか。あまりのかっこよさに、
「これぞ、あざらしが人生で探していた音楽だ!」となったのです。
近所のCDショップには、サイケのコーナーなんてありませんから、このCDを買うために、あざらしは人生で初めて一人で渋谷に向かいます。
CISCO Records ハウスパート2。聞くだけで懐かしさがこみ上げる人もいるそのお店で、あざらしはサイケのCDを購入します。
その後、あざらしはずっとサイケに傾倒していきます。ジャケットもかっこよく、当時はほとんどジャケ買いでしたね。
秋葉系サイケデリックオタク
その当時、今のSNSの先駆けとなる「mixi」が一大ブームでした。
あざらしもmixiをやっていましたが、知っている人はみんな好きだったであろう、あの「1件の日記に新着コメントがあります!」を得るために、買ったCDのレビューのようなものを書き始めたんですね。
その時の名前は「Synphongle」。サイケのアーティストのSynSUNとShpongleが好きだったので、ひと目見てサイケっぽい名前、ということで組み合わせてシンフォングルとしていました。
いくつか書いた頃、ある人からマイミク申請が来ました。その人は現役でサイケのDJをしている人で、レビューが良いからということで申請をくれたそうです。
正直、クラブDJというものを全く知らなかったあざらしは、クラブという文化にまぁ…一般的な偏見を持っていたわけです。怖いかもなぁ、って。
なのでこの人をマイミクにするか少々悩みましたが、「現役のDJならば、もっと色んな曲を知っている」と思い、マイミクにすることにしました。
そして、そのDJからクラブイベントに誘われ、19歳のあざらしは初めてクラブという所に足を踏み入れます。場所は芝浦に存在した「Studio Cube326」
そこは、夢のような空間でした。普段イヤホンで聞いているサイケが、まるで音の一つ一つがメガトンパンチしてくるかのような音圧で攻撃してきます。
音圧で服が揺れるような爆音。さらに、普段であれば驚いてしまうような出で立ちのお兄さんお姉さんが、まるで長年の友達のように楽しげに話しかけてくれます。
あざらしのクラブに対する偏見は、その爆音とともに吹き飛ばされたのです。
その後、たびたびクラブに遊びに行きましたが、やっぱりコミュ障なあざらしは、最初のクラブで知り合ったDJがいるところにしか遊びに行けず、行くクラブも少なかったですが、それでもレイヴイベントなどにも行ったりして、学生の身分で出来うる限りの楽しみ方はしたかな、と思っています。
CDのレビューはその後もちょくちょく書いていて、知り合うDJも曲の知識に舌を巻くと言ってくれて、あざらしは「秋葉系サイケデリックオタク」を自称するようになります。
いつか自分もDJとしてあのブースに上がりたい。そんなふうに思うようになったのもこの頃です。しかし、今のようにPCDJも普及していないので機材は高額で、DJをするのは夢のまた夢かな、と思っていました。
しかし、社会人になり、初任給が出た直後に突然の出会いがあります。自宅の近所にあったハードオフに「CDJ-200」が2台売っていました。
1台13,000円。2台で26,000円。
新品のように状態が良く、これを見たとき「あざらしにDJをやれと言っている」と直感し、迷わず購入しました。あと必要な機材はDJミキサーです。すぐに渋谷に飛んでいき、安いGeminiのミキサーを購入、自宅の机がDJブースになりました。
購入したはいいが、DJのやり方は全くわからない。唯一の先生がGoogleでした。どうやったらうまく繋げるのか、全てネットの情報のみで調べ、練習しました。
そしてあざらしは、自宅でDJ MIXCDを作成できるくらいの技術を身につけることができました。
ですが、クラブに出演することは考えられませんでした。「コミュ障な自分が集客とかできるとも思えず、住む世界が違う」と勝手に思い込んでいたのです。
偶然は立て続けに降ってくる
仕事の中でだいぶ理不尽な目に遭い、来る日も来る日もつらい気持ちになっていたあざらしは、クラブにも行かず、あまり機材にも触らなくなっていました。
24歳くらいの頃から、あざらしは秋葉原のメイドカフェにだいぶ通い詰めるようになっていて、仕事して飲んで帰って寝るといった、退廃的な生活をしていました。
今思い返しても、この頃からDJ活動をしていればよかった、と思います。何しろメイドカフェで知り合った常連仲間たちは非常にフレンドリーで、今でも付き合いがある仲間もいます。しかし、自分に自信のないあざらしは、DJをするなんて夢にも思わず、時間とお金ばかりを使うだけの状態でした。
飲みすぎてお金がなく、機材を売るなどしたこともあります。
そんな状態が4年も続き、あざらしが28歳のとき。会社を辞めるために転職活動をするかたわら、新しいメイドカフェを探していました。そんな中、あるビラを見たあざらしは立ち止まります。
「ワンチャージワンドリンクで、お店のDJ機材を触り放題!」
チラシにはCDJ-900、DJM-900nexusという、超本格的な機材が写っています。「次行く店はここしかない!」と決め、翌日には自分のヘッドホンとCDを持ってそのお店に行きます。
お店のキャストに「ここはDJができると聞いたのですが」と言い、機材のところに案内され、そして自分が最も得意とするサイケをかけます。
30分くらいDJした頃でしょうか、裏から店長のような出で立ちの人が出てきて、こちらに向かって歩いてきます。いきなり店長が来たらそりゃびっくりします。
あざらし何かやっちゃったかな?そう思っていました。すると、その人の一言目は
「すごくいいダークフルオンですね〜!」
この店長、サイケを知ってるぞ!!
もはやその店以外に通う理由がなくなりました。お店に通ってはサイケをかけ、店長とレイヴイベントの話をしたりするような常連になりました。そして店長から「このお店でやっているDJ練習会イベントがあるので、ぜひそれに出てほしい」と言われます。サイケを聴き始めてから延べ10年。あざらしはついに、人前でDJをすることになったのです。
その練習会初出演、なんのミスもなく、自分が練習していたとおりのプレイができました。ブースに立ってDJするのはこんなに楽しいんだ!実感した瞬間でした。
その後このお店はなくなってしまいましたが、自分はDJができる!という自信を身に着けたあざらしは、活動の現場を得るために練習会のつてから人脈を広げ、Twitterをまじめに使い始め、そこで見つけたDJ募集に名乗りを上げました。
そのイベント名はMagnificent Trance。
このときも応募するか迷いましたが、チャンスがあるなら活かそう、やってみようと一歩を踏み出すことを決意しました。
初めて本格的なクラブでプレイし、DJをした後、主催のAEMIから言われたのは「ここまで上手くてかっこいいサイケDJは他に見たことがない」
あざらしは、こうしてサイケDJになりました。
モチベーションを失っても、いつでも帰ってこれる
こんな経緯でDJをするようになったあざらしが思うのは、今本気でDJをしたいと思っている人は、間違いなくDJになれます。
ぼくみたいに何年もクラブから離れていた人間が、
勝手に自分をコミュ障と決めつけて表舞台に出たがらなかった人間が、
DJになれてしまうのです。しかも意外とできてしまうのです。
努力し始めたのは28歳からですよ。9年もスパンがあってもできちゃいます。
25歳のあざらしに向かって「30になったらageHaでDJしてるよ!」って言っても信じてもらえないでしょう。
でも、確かに出演したのです。
自分の経歴を振り返って、転機になったときには必ず「やるかやらないか」の2択がありました。そして、やると選択したときは、思ったよりも上手くいきました。
疲れたりしんどいときは「やらない」、そうでないときは「やる」。
それだけで良かったです。
なりたい!と思ったらいつでも迎えてくれるのがDJの世界。寄り道してもいい。やーめたって投げ出しても許される。そんな中で頑張れば意外とかんたんに結果は返ってくる世界だと思います。
今あざらしは、非常に楽しくDJをやっています。
DJをしたいと思っている皆さん。DJやクラブは本当に楽しいですよ。