~アトピー奮闘記~ デュピクセント治療

初めに

デュピクセントの使用を進めるわけではありませんが、デュピクセントによって私の人生が変わったと言ってもいいです。デュピクセントの使用を検討している方の参考になればいいなと思いこの記事を書きました。

私は高校2年生から4年以上、アトピーに悩まされてきました。何度も「死にたい」と思うほど追い詰められた私が、デュピクセント治療によってどのようにアトピーが改善したか、その体験談をお話ししたいと思います。

アトピーの症状が出始めたのは高校2年生の夏でした。それまでもニキビに悩まされており、顔の腫れが起こり近所の皮膚科でアトピーと診断されました。その時は、アトピーが人生を大きく左右するようなことになるとは考えてもいませんでした。

症状が始まったきっかけ

症状が大きく悪化し始めたのは秋ぐらいだったと思います。当時ニキビも悪化しており、近所の皮膚科で処方されたミノマイシンという錠剤の副作用で色素沈着が起こり、顔が黒ずんでいました。そこに追い打ちをかけるようにアトピーの症状が重なりとてもつらかったです。主な症状として、顔は乾燥し汁だらけ全身がかゆい、といったものでした。コロナ禍ということもあり、乾燥した顔がマスクで擦れ、汁が出ていたんだと思います。

この頃から友達や知らない人からの視線が辛くなっていきました。
気持ち悪がられているのではないか。そんな心配から何時しか人前でマスクを外す行為が怖くなっていき、食事を一人でとるようになっていきました。
学校や塾では、昼休みになるとトイレで食事をとっていました。(友達からは不審がられていました。)

高校三年生になった頃に、通っていた皮膚科から「手は尽くした」と言われました。様々な飲み薬、塗り薬を使用するも改善の兆しは見えなかったため、このような発言をしたのだと思います。当時の私にはその言葉がショックでした。

その後、赤十字病院を紹介してもらい、二週間に一度通うようになりました。そこで光線療法(ナローバンド)を始めました。少し痒みがマシになった気がしましたが効果は大きくありませんでした。

精神的なつらさ

ある日友達から、数人の前で自分のアトピーとニキビを馬鹿にするようなあだ名で呼ばれることがありました。正直耳を疑いました。今まで仲がいいと思っていた友達からそんな風に思われていたのだと。当時受験生ということもあり、様々なことに不安を感じていたこともあり、絶望感を抱くようになりました。両親に心配をかけたくなかったため、登校するふりをしてサボって帰ってきたことも多かったです。

デュピクセント治療の決断

一年ほど病院へ通ったある日、デュピクセントの使用を提案されました。高額で必ず効果が出る保証がない、受験が近い、ということもあり、最初は悩みましたが、今より良くなることを願って初めてみることにしました。
二か月ほど使用し、全身のかゆみが格段と和らいだ実感がありました。

現在(2024年9月18日)

デュピクセントによる治療を始めてから、7か月経ちました。

痒みはほとんどなくなり、生活に支障をきたすこともなくなりました。
体を動かすと顔が赤くなることがありますが、そこまででもないです。

大学進学し、一人暮らしを始めました。最初はアトピーの不安もあり、抵抗がありましたが、自分の好きだった分野の学部に進学でき、友達にも恵まれ、楽しい生活が送れています。デュピクセントを使用し始めて気持ちも前向きになりました。大嫌いだった自分のことを好きでいてくれる人とも出会いました。彼女は私の大きな心の支えです。

最後に

デュピクセントの使用を進めるわけではありませんが、デュピクセントによって私の人生が変わったと言ってもいいです。デュピクセントの使用を検討している方の参考になればいいなと思いこの記事を書きました。

今後アトピーの新薬の登場が期待されており、特に重症患者にとって新たな希望となっており、今後もアトピー治療の選択肢が広がることが期待されています。

最後に大切なのは、治療を諦めずに続けることです。時には苦しい時もありますが、必ず道は開けると信じています。








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