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ジャマイカ音楽#11(最初にレコーディングされたSKAは?#2)
プリンス・バスターのサウンドシステム「プリンス・バスター・ヴォイス・オブ・ピープル(Prince Buster Voice Of People)」は1959年にスタートしています。
レコード店オープンとサウンドシステムの立ち上げることでプリンス・バスターはビッグスリー対抗し、その中でSKAのリズムを考案し活路を見出そうとしたことは前述の通りです。
そしてセオフィラス・ベックフォードの「Easy Snappin」は1959年にリリースされています。
SKAの成り立ちはもっと前かもしれませんが、商業音楽としてのスタートは1959年から考えていくのが妥当ではないかと思います。
それならばプリンス・バスターの最初のSKAのレコーディングはいつなのだろうかと言うことが気になります。
そしてバスターは、金銭的なもつれから、DJをやめて自らレコードを作り始めることになる。56年の「リトル・ハニー」というのが最初のレコードだ。スカではなかったという。58年に最初のスカとしてレコーディングされた曲が「ゼイ・ガット・トゥ・ゴー」である。ビッグ・サウンド・システムに抗議する歌だった。「デューク・リードのサウンドシステムが成功していた理由は、アメリカのR&Bをジャマイカに輸入していたことによるんだ。彼らはビザを持っていたし、アメリカに行ってはレコードを持ち帰り、本物のブルースをジャマイカに広めたのだ。私にはそれはできなかった。だから、スカを作って、アメリカの音楽をジャマイカから追い出そうとしたわけだ。それでThey got to go と言うんだ。ちょうどそれは革命みたいなものだったんだ。」(『RM』11号、1989年6月、より)
僕の長年の教科書的愛読書である山名昇さん編の「Blue Beat Bop!」のプリンス・バスターのページには1958年に「They Got To Go」をレコーディングしたとの記があります。
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これはバスターがコクソンからの独立を考え行動を開始したものの、圧力をかけられていた時期と完全に一致します。1958年にレコーディングされていたのであれば、これが最初になります。
ただ「They Got To Go」は1962年にリリースされたと思われるレコードしか見つけることができません。
これは僕個人の想像でしかありませんが、1962年にリリースされるまでは、サウンドシステムでかけるためのダブ・プレートしか存在していなかったのかもしれません。
こんな想像を膨らませていると「ジャマイカにおける最初のダブ・プレートは?」なんてことを調べてみたくなってきます。
ジャマイカ音楽はサウンドシステムありきですのでこれは気になります。
もっとお詳しい方はいると思うので、教えていただきたいところです。
ジャマイカの音楽の歴史を調べていくと、真偽不明の逸話がたくさんあります。残っている情報は正確なものから曖昧なものまであります。でもそこから想像を膨らませていくことができるのが、面白いところだと思います。