フェティシズムの迷宮(容姿コンプレックスOrigin21)
フェティシズムの迷宮
もうねー。人間の好みってのは、果てしなく色々であり、時に凶暴に、時にみみっちく細かく、その枝葉をのばしていくものなんだな、と思います。
フィレディー・マーキュリーのような、出ている歯が好き、フレディーのあれこそが自分の官能を刺激したのだ、と言い切るエッセイを読んだことがあります。
おっぱいフェチのことを書きました。これなんかも雑踏で好みの女性をみつけて思わず名刺を差し出すその男の心情が・・・・もうはっきり言ってリスキーでありすぎ。
しかし、自分の官能を飼い慣らすのは容易ではありません。ぐっときてしまうものはぐっと来てしまうし、あらがいがたく惹かれるものには惹かれてしまうのです。
それは、時々「発見だ!」っちゅうほどに衝撃的に自分の意識に昇ってきます。つまり、それまで無意識にこだわっていて、はっきりしていないのに何かしら自分の選択行動に影響し、「あたし、なんでこうなっちゃうわけ?」みたいだったモノを、自分の意識の中で捕獲する、ということです。
「ああ、こういうことだったのか」と。
顔はこうでなくてはいけない
ある時先輩に当たる女性がいいました。
「私、今まで、性格がいい男なら、たいがいの人とうまくいくと思っていたのよ。自分は許容範囲が広いって。だけど、大間違いだってわかった」
「なんかうまくいかなかったんですか?」
「違うの。今の彼とうまくいって、それでわかったの。自分が好きな顔ってのがあるって」
「顔ですか」
「顔なのよ。絶対一重まぶたでなくてはいけない!」
彼女は黒目がちのつぶらなひとみを輝かせてそう断言しました。
ついでに、「ほお骨が高い位置についていなくてはならない!西城秀樹みたいに」と吠えました。
そして一重まぶたでほお骨が高い位置についている人と結婚しました。西城秀樹には似ていませんでしたが。
あたしは感心しました。
先輩、それを発見できてよかった。
発見しないうちにそれを備えていない人と結婚してしまったら、相手に迷惑がかかったかも知れない。一重まぶたを備えていなかったばっかりにうまくいかないなんて相手が気の毒すぎ。
ちょっと間違った感想だったかも知れないけど、そのように思ってあたしは祝福しました。
この話をきいて、「涙袋が異常に好き」と告白した人も、「ゴマ塩頭と白い歯とシワが(ジェームス・コバーンとかリー・マービンみたいに?)三点揃っているの」が好き、という人もおりました。細かい。
細かいと言えば身長体重ウエストサイズを事細かに述べた人すらおります。(数値フェチなんだろうか?あるいはそれは?)
それがどんなものであれ、(例えば少女のふくらみかけた胸がすき、膨らみ切ったのはもうNGといった、”反社会性”につながりかねないものも含めて)ここで問題にしているのは見かけです。「目の快感」といってもいいかもしれません。
それは個人によってこだわりの強い弱いはあるし、絶対性があったりなかったりするでしょう。必ずしもパートナーに求める条件であるとは限らないというか・・・・ほとんどの人はそういった好みの外でパートナーを得る気がしますが、「好み」そのものは心の中だか脳の中だかに生き残るはずです。ものすごくしぶとく。あるいは年齢とともに(?)すこしずつ薄まりながら。
あたしは今さらながら、自分の官能の中にある、うにゃうにゃとした好みを、改めて考えてみました。
あたしの好みには何か一貫性はあるのか?(先輩みたいに)知っていたほうがいいことはあるのか?
-さらにつづくかも
おひねりをもらって暮らす夢は遠く、自己投資という名のハイリスクローリターンの”投資”に突入。なんなんだこの浮遊感。読んでいただくことが元気の素です。よろしくお願いいたします。