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私は若くてバカだった

 還暦を迎えた記念に(?)自分の20代30代の時の恥ずかしいことを書きましょう。これはいわゆる「オレもやんちゃだったんだぜ」的なやんちゃ自慢じゃございません。なーんもやんちゃなことなどしなかった女の、ほんとにありゃバカだったな、の懺悔でございますことよ。

●年配おばちゃんのショーゲキ

 20代の頃でした。見かけは"今よりは”だいぶ可愛かったかもしれませんが、性格はとんがっていて、よく「可愛げがない」とか「あんたって生意気」と言われるタイプでした。
  それに対して「ふん。じきに生意気が似合うぐらいの実力を身につけてやる」とか、「ひがむんじゃねーよ」とか、腹の中で反抗しているような、やる気満々の、絵に描いたような(絵は描いているんですが)青いねーちゃんでしたの。

 その若いイラストレーターのねーちゃん(あたし)は、自分の担当だったある出版社の編集者(当時40代だったと思われます)に対して、今から思うとめちゃくちゃ不遜な質問を抱えており、その質問を、露出したものかしないでいようか、考えていました。記憶の限りでは結局口には出さなかったのじゃないかと思うのですが、似たようなことは言っちゃったかも。それに、思っていたことは言ったのと同じってぐらい、その編集者はあたしの「気」を読んでました。

  質問とはこうです。
「あなたは、なぜあまり可能性のなさそうな年配の人まで相手にするのですか?それは時間の無駄とは思わないのですか?」

 いやあ。冷や汗だわ。この冷や汗の成分こそがあたしのその後の「成長」を物語っているというかいないというか。「老化」は絶対物語っているけどな。


 編集担当者は勉強会を主催していて、毎週自分が担当する作家やイラストレーター、売り込みに来た新人などと一緒に人物デッサンをしてたのです。そこに自分も呼んでもらっていました。様々な人と出会いがあった思い出深い勉強会ですが、ある時そこにほとんど絵を描いた経験のない、しかも60代と思われる女性が入って来たのです。

 その女性が、孫のために絵本を作りたい、と言って絵本のストーリーのラフを持ってきたりしてました。一緒にイーゼルを並べて絵も描きましたが、「ぜんぜんなってないじゃん!」というオドロキが、この生意気な若いねーちゃんの頭を直撃したんですね。

  編集者に作品を見てもらいたい人はもっといるだろうに、なぜ彼はこれほど下手くそな、いくら育てたとて伸び代は知れているだろうような、しかもけっこううぬぼれちゃってるお年寄りを受け入れているのか????ここってそんなに門戸が広いの?的な。


 いや、あのね。その人が、普通に謙虚だったらあたしはそんな注目の仕方もしなかったかも知れません。この人はあたしたちに向かってこのように自己アピールをしたのです。「私は今までの人生で酸いも甘いもかみ分けてきたんだから」


 おばちゃん、だから何?若いあんたたちと違っていいものが作れるって意味ですか?若い者らとは違うんだから敬えって意味っすか?それを言いながら、この初心者があまりにもやりがちな、典型的なお間違いみたいな作品を持ってくるのか。「孫はこれ見て大喜びだったのよ」とか言って、人の批評も聴く気が無さそうな。

 「孫は喜んだ」、というセリフも素人カルチャーセンターであればうんざりするほどよく聞く非常に平凡な自己弁護だし、「だってこういう絵本よくあるじゃない」みたいな言説にはあたしは頭が煮えくり返りそうでした。
 
 そのへんによくあるようなものを作ってどうすんですか?え?言わせてもらえりゃこんな下手なの、そのへんにもないからよく見ろよ。プロの仕事をバカにするんじゃないよ。これのどこにそのご立派な人生がにじみ出ていらっしゃるの?それともあたしが若すぎて経験がなくてぺーぺーだから、この平凡を絵に描いた(絵は描いてあるんですけど)ような作品の奥深さがわからないとか思っていらっしゃるんでしょうか?はい?

 これらの言葉は飲み込まれ、口に出されることはありませんでした。あたしはただ目ん玉をひん剥いて、このご婦人の自慢話をきいて、驚き、毒舌を腹と頭の中でたぎらせて自家中毒を起こしていただけです。若いけど実に我慢強いあたし。(自分で言うなや)

 結果どうなったか。この「酸い甘いかみ分け夫人」はこの勉強会ではモノになりませんでした。しかしその後自分が絵本ではなく、絵が描きたかったのだ、ということを自覚するに至り、油絵をはじめました。目標は個展をすることにシフトして、実際個展をなさいました。
 出会ってから2、3年後だったと記憶しています。

 個展会場にあたしも行きました。彼女はげっそり痩せて、個展準備にどのぐらいエネルギーを割いたかがにじみ出ているお顔で、あたし(まだ20代で酸いも甘いもなんも噛んでない)の来訪を喜んでくれました。

 かなり上達していました。「上達しましたね」と言いましたが、出発点が出発点ですから、驚くような目覚ましい境地に達したわけではなかったです。でも、絵に取り組んで上達の階段を昇ったんですから、自分とプロの絵かきとの差がどれほどのものか、いくばくか見えたんじゃないかと思います。
 薄くなった体とカンバスの筆あとのありように、そういう「謙虚」がにじみ出ているのを、あたしはしかと見て取りました。

●同じ年代になってしまった

 ついでに言うならこのあたしも、あの勉強会ではモノになりませんでした。あの時点で表現ってものについて、彼女よりどれほど見る目があったか知れませんけども、また絵を描く職業の経験を積み重ねたか知れませんけど、まあ自慢するほどのことはないというか、件の編集者の立場から見たら、目をかけたけれども期待に応えてくれるには至らなかった、儲けさせてはくれなかった、ということにおいては、「酸甘夫人」(←どういう略しかただ)とたいしてかわりゃしなかったです。
 
 今、あたしはだいたい、あの時の彼女と同じ年代なわけです。たいしたことも成し遂げないままうっかり年取りました。ごめんなさい。可能性の暴力みたいだった若いねーちゃんは、おい先短い体力の足りないおばちゃんにスライドして、そしてまだ創作のエネルギーを持て余しております。

  どの面さげて、自分に関わる人たちに対して、「時間の無駄とか思わないでねー。年はとってても頑張るから」なんて言えるんでしょうね?いや、ほんと年のことは言わないで。お願い。

 それで、今現在の自分の野心のありようとか、意欲とか、あるいは迷いとか、諦観とか、表現者としては、今までくぐってきたモノどもが咀嚼されて発酵する状態なんかを見てみるにつけ、また違った感慨であの時の彼女を眺められる気がしてこんなもん書いてるわけですが。

●彼女の非凡さとは

 でも「年取って気持ちがわかるようになった」だなんて、嘘はつけません。今でも、あんな程度のものを持ってきて「絵本デビューしたい」とか、何も今まで経験のない分野の人に向かって言えません。恐れを知らないにもほどがある。勘違いもたいがいにせーよ、と思うわ(笑)。

  それから、確かにそれなり長い人生を背負ってみて、若い時よりは何らかの誇りやら自信やら(贅肉といっしょに)蓄えておりますけど、酸いとか甘いとかまあまあなんか食ってはきたけど、だからってそれを若い人に対して「差」として自慢する気にはなれないです。人生の長さが富んでいるからって深いモノが作れるとか、やっぱり思わないっす。経験なんかちょぼちょぼでも、番狂わせで彗星のように飛び越していく人がいる世界だからね。
 

 とはいえ、若い奴にむかって「見くびるなよ」って気持ちになるのは、すんごくわかるようになってしまいました。あはははは。
  
 この体や心の中にあるものが、人に伝わる形で外に出て、それが表現として形を成すってこと自体、奇跡のようにマジカルなことであり、やればやるほど難しい。そう。人生は短くて芸術は長いのよ。


 自分の中には彗星の飛び出す力が全くないわー、なんて物分かりのいい諦めの中に逃げる用意もなく、謙虚が忍び寄る。それが60代というものの気分だったんだね。
 うっかり年取ってしまいましたが、もちろんこれからもなんかやりますんで、そこんとこヨロシクな気分?

 あの時バカだったのは、件の編集者の気の長さや、何があるかわかんない表現世界への愛が、わかってなかった部分です。
 彼は可能性の歩留まりがいいか悪いかなんかで勉強会のメンバーを選んだりしてなかったのです。

 いろんな人がいました。そのことが重要だったと思います。酸甘夫人の存在も、結果的にはあたしには学びでした。彼女から、また他のことを学んだ人もあるかもしれません。
  そういう場を与えておこうと思ってくれた気持ちが、今はわかります。ゆっくりと人の成長を待つ気持ちがある人で、だからこそあたしのようなわからんちんとも関わってくれたのでしょう。

 彼もそれから20数年後、60代で亡くなりました。さぞ無念だったでしょうね。もっとゆっくりと待っていたいと思ってくれていたでしょうに。

  さて、若いあたしにはもうひとつ、見えてなかったものがありました。それは「酸甘夫人」の非凡さです。あの時あれほど平凡な、あきれ返るほどありがちなものを作りながらエラそうだった彼女ですが、やってることが平凡なのにいつまでもそれに気が付かないでいられる、それは実は非凡なことかもしれませんでした。

 あの自己肯定力!たかだか60を超えたぐらいで人生かみ分けちゃってる気になれる、そしてプロに対して自分を売り込んでゆくあの無知と勘違い力。同年代であれはめったにいないわー。マネができん。今思うに、貴重です。あの若者以上の自己アピール。だからこそあの勉強会に受け入れられていたんだね。


 この年になれば、謙虚及びそのポーズ(ポーズだけの人は多いです)は、珍しくもないです。むしろそっちが平凡ですね。
 君はすごかった、酸甘夫人。今どうしているかな?会いたくもないけど。
 あたしは君に比べたら平凡な60代だわ。今ならわかる。あたしは若くてバカでした。

  ここで天国から、件の編集者が「バカは今もやろ!」と突っ込みを入れる気も致します。(了)

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SYNDI
おひねりをもらって暮らす夢は遠く、自己投資という名のハイリスクローリターンの”投資”に突入。なんなんだこの浮遊感。読んでいただくことが元気の素です。よろしくお願いいたします。