自己肯定感というBuzzWord:その4
自分のコドモの頃の自己肯定感が実際どのようだったかってなことを(ちょっと嫌だけど)考えてみます。
●あたしにもあった『記憶の改竄』
今、たまたま母の家を片付けているところなのですが。
断捨離くそくらえでお買い物大好きで、生涯を通じてなんでもかんでも絶対取って置く、89年間お片付け大嫌いな女であった母の住処は、なんというか、タイムカプセルが不発弾みたいに埋まっている場所でもあります。
そこから、つい先日、アリがちな話ではありますが、出てきました。あたしと弟の小学校からの成績表がごっそり。
正直言って、(面白いけど)つぶさに見る気にはならないシロモノでございました。
あたしは自分の記憶の中で、だいたいコドモ時代の自分史をわかりやすい言葉でまとめておりまして、それは、10歳以前は夢想家で集団生活不適応だったが、親は心配せず、それ以降は世界の仕組みと理屈に目覚めて、「体育以外はオール5」の優等生になったのでなおさら心配されず、一方で数々コンプレックスにさいなまれ、難しい思春期と戦った末に優等生から転落し、絵を描くことを仕事にしようだなんて虫のいいことを考える立派な変人へと脱皮。しかし親は観念して許した(諦めた)、といったものです。
その、別に波乱も万丈なんもないけど、だいたいめでたしめでたしで終わる子供時代を得た理由として、自分が「学業成績が中学を終えるまでは問題のない生徒」であったからに違いない、と分析していました。
しかし、出てきた成績表はかなーり不安定だったのよね。「なんじゃこりゃ?見る人がみたら明らかに手を抜いてるのがバレバレのコドモじゃん」ていうか、「体育以外オール5ってどこが?」という(笑)。
どうやらあたしは5段階評価で5を取ったことのない科目は一個もない(体育ですら5の時があったのだった。2の時もあって親にびっくりされたのだが)ことを、脳内で編集しなおして居たんですね。自分勝手で大胆な編集ですこと!
●なんちゃって秀才のサバイバル戦略
我が家は学習塾を営んでおり、その家の子供というのは、いわば看板みたいなものでした。父はめっちゃ怖くて有名な、地域のカリスマ教師でした。
気迫と教える技術がとびぬけていて、その生徒たちは冗談抜きで成績が伸びることになっていたのです。
だからその子供は逃げ場が全くございませんで。「教師の子供はつらいよ」という部分が、常に重くのしかかっていたのです。
勉強はできて当たり前で、できなかったら大問題。よその子供に向けられる気迫と技術に、感情と面目と癇癪までがこてこてにまぶされた状態で、あたしら子供ふたりは見張られていたと言えます。
こわいのなんの。あたしはとても緊張していたし、努力もしていました。努力して成果を出しても、「いいなーお父さんに教えてもらえてずるい」とか、「いいなー頭良くて」とか、なんかねじくれたことを人に言われる、そういう環境でした。生徒も親もみんなあたしのこと知ってるし。
努力はしないわけにはいかない。特に勉強しなくても小中学校の成績ぐらい取れちゃう、というタイプは人口の2%ぐらいはいるもんですが、あたしの地アタマはそこまでよくはなく、記憶力も悪くて、回転も速い方ではない。
おっちょこちょいで集中力も続かなくて穴だらけ。のんびりしていてテスト向きでもない。持って生まれたものが少々恵まれていないわけです。
でも父親の立場ってもんがわかるぐらいにはませてて、何より地震より雷より怖い人でしたんで、あたしは「秀才の類に擬態」していることが必要でした。擬態のために頭を絞り、最低線というのをキープしていたわけです。
それはだいたい上から5%という計算でした。5がもらえる子も、当時は5%に決められておりました。(学校がまだ絶対評価を採用しておらず、相対評価だった時代のことです)40人クラスに2人という割合。まあだーいたい優等生ってクラスごとにふたり、「配置」されてませんでしたか?
これはあらかじめ選抜された地アタマいい子ばっかりの集団でも、全体の平均レベルは全く違うにせよ、2%は例外的に頭がよく、それを含む5%は成績が安定してよろしい、という分布は相似形をしているはずです。
本物の優秀さ、将来の成功がどうちゃらは、成績なんちゅーものとは必ずしも関係ないとあたしも知ってはおりますが、そういう真実やら洞察やらと、父のメンツは関係ありません。
教師のコドモにとって成績は大変「価値」がありますの。さらにウルトラ怖いとーちゃんを持つ身のあたしにとっては、「秀才への擬態」はサバイバル術として必須のものでもありました。
●何が何でも絵を描いていたかった
どういうサバイバルかというと、「過度の干渉からなるべく逃げて好きなことをする」という、「自分らしさ」のサバイバルです。あたしは絵を描いていたかったのです。
このサバイバルを、なんとか成し遂げた、というのがめでたしめでたしで終わる子供時代のダイジェストだったわけです。
生き延びた自覚はあり、あたしの自己肯定感はここを礎としております。
それをざっくり脳内編集した結果、「体育以外は(だいたい)オール5」で推移する中学校時代であった、という記憶の改竄が行われたんだと思われます。
いやいやいや、オール5が揃ったことなど一度もない。「証拠品」が物語るのは、「それができるポテンシャルを持っていたかもしれないが、なにごとも本気ではなく要領がテキトーにいいだけ」という、教師好みとは言えないキャラクターでした。
文字で書き込まれる生活評定の欄に、時には担任の先生の「イライラ」した気持ちがにじみ出ておりました。なんであんたは手を抜くの?できることはやんなさいよ、みたいな?
でもあたしは自分を「センセイ族には大体好まれる」コドモであったと認識していたのです。ちげーよ。好かれてもいないのに好かれていると勘違いしているなんて、恋愛負け組みたいな奴じゃんか。
●とりあえず自分の親にみてもらえていればいい(はず)
いや、あたしはおそらく、父のことしか見ていなかったのです。父は主要科目にしかこだわってなかったし、学校の成績より実際的に個々の単元が理解されているかどうか、ちゃんとがんばっているかはチェックしてましたが。
学校の教師のことも、父はちょっと見下げていた可能性があります。
主要科目の中でもあたしは国語は得意でしたが、その国語に4が付いたときに、父は言いました。
「お前に4をつける教師はバカだから気にしないでよろしい」と。
しかしたぶんね、この時あたしは授業態度が良くなかったのじゃないかしらね?きっとそうだと思う!
つまりあたしは学校で「よくできるお子さんですね」と言われるぐらいの印象操作に成功していたにすぎません。それにはオール5までは必要ではなく、主要科目を抑えていて、クラスにふたり「配置される」たぐいの生徒である必要はありました。
そういう生徒であったくせに、いまいち学校を甘く見ているというか、父のご機嫌ばかりを見ている、父が満足しているようなら、あとはなるべく手を抜くという、あたしはそういう子で、いかにもまじめな教師にはイライラされることなのに気が付かず、好かれているつもりでいい気にすらなってる奴だったんですね。
証拠が物語るあたしはそういう奴でしたが、記憶は「体育以外はオール5」であったと、記憶が改竄されていました。なんでまたそんな改竄がなされていたのか、あたしは考えてみました。
この稿つづく。