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お注射嫌い

不快なことって個人で違う

 個室で細やかなケアが受けられる緩和ケア病棟に移ってからの話のつづき。

 緩和ケア病棟でのクスリの使い方その他、ケアの考え方は徹底して「不快なことを避ける」方向でした。
 で。不快なことには個人差があります
 

 例えば注射ひとつでも、嫌いな人と、注射してもらうことで安心する人などがいます。
 お薬も、のんでいることで安心する人とか「体に悪いものをこんなにのまなきゃいけないなんて」と感じる人とかいるわけです。

 錠剤のみ込むのがへたくそとか、クスリの味がめっちゃ悪いとか、まあいろいろありましょう。
 
 母に関して言うと、極度に注射が嫌いでした。点滴も嫌いで、要するに体になにか「ちっくん」するのが大嫌いなんだよね。皮膚に穴があくのがイヤ、皮膚を傷つけることが不快、と言い換えてもいいか。
 あたしが小さい時から、虫刺されが痒いのを掻きむしっていたりすると非常に嫌がりました。自分の肌でなくても嫌なのですよ。

主治医は「好き嫌い」も配慮してくれた

 せっかく「不快を取り除く」のが目的の投薬であるのに「ちっくん」そのものが不快、ってんじゃ意味がないので、主治医はかなりぎりぎりまで飲み薬にしてくれていました。

 投薬を皮下注射や皮下点滴にするほうがコントロールはしやすいという事情があっても、患者の意志を尊重していたのです。

 「ちっくんのほうが楽だよ」と説得はしていましたし、説明は十分だったと思いますが、母は頑固に錠剤をのみ込んでいたのです。

 脊椎にできている腫瘍の痛みは、薬が切れれば耐えがたいほどのものになります。だから時間通りに投薬しないとならないんだけど、だんだん痛くなってくる時間とかもあります。
 それから、病状によって痛みにもたぶんムラはありますよね。

 だから、早めに投薬したり、増減があったり、同じ種類の薬を使いすぎないようにするとか、常に患者の「様子をみて決定する」部分があります。
 さらに徐々に悪化するということが避けられない状況でもありますから、薬の量はいずれ増えていくわけです。

 どういうタイミングで何を増やしていくか、今日は何をどのぐらい何時に使ったか、記録され、指示が細かく変わってゆくのでした。
 

 母はナースコールのボタンを握りしめてそれが「命綱」だと言っていました。痛みがやってくると、看護師さんを呼び、その時にできる投薬をしてもらうのです。
 時間的にまだ投薬出来ない時などは、あたしが背中をさすったり、マッサージをしたりしていました。そういうことも大事なことでした。

だんだんと「ちっくん」も受け入れる

 母があきらめて皮下点滴に応じたのは、何かをのみ込むことがつらくなってからです。
 クスリをのみ込む不快が、ちっくん嫌いを追い越したタイミングがあったわけです。

 点滴の他に、夜も寝る前に「ちっくん」をしてもらうとたちまち眠れるのでした。眠れるのは大事なことでした。悪夢を見ることはどうにもならないにせよ。


 母が薬でぼんやりしている時間は、だんだん増えてゆくことになります。クスリの量が増えた直後は特にいろいろとできなくなるってことは前に書きました。

 名前を書いたり、住所を思い出すこともできなくなったりして、本人もショックを受けます。
 薬に体が慣れるとまた彼女の明晰さが戻ってくるのですが、病状はかなり急激に変わって行きましたから、母が本来の母である時間も、急激に短くなっていったってことです。


 母にはいわゆる「脳転移」がありませんでしたから、最初のCT検査のあと、意識は最後まで自分自身であろうと言われていました。
 そのことはあたしたちを非常に安心させていた点です。人格が変わってしまうことはないのだ、という安心です。

 でも残り時間がそんなに豊富にあるわけじゃないのはわかっていました。

本音もだんだんと出てくる

 あたしたちは毎日病院に通っていましたが、夜になって帰る段になって、「どうしても帰らなきゃならないの?」と言い出す日がありました。
 「いや、どうしてもってことはないよ」とあたしは答えました。
 

 それで、母が毎日あたしたちが来るのを心待ちにしていて、そばに居ない時間そのものが「不快」なのだ、それが本音なのだということがわかったのです。
 それ以来、あたしはなるべく泊まり込んで、3日に一回ぐらい家の世話のために帰る、というペースになりました。


 最初に娘が泊まった日に、母はよく眠れたらしく、へんに自信をつけました。
 翌朝は朝食に牛乳をよくのみ、ヨーグルトぐらいは進んで食べて、声などもしっかりして、本人も何か力がみなぎった(?)気がしたのかもしれません。(といってもあたしが家に帰っている間に出た昼食は一切食べてなかったそうです)

 その夜また準備をして戻ってきたら、看護師さんに
「今日は娘がいますから、夜の注射は要りません」
と言ってました。
 いやいやいや、娘はクスリの代わりにはならんから!


 看護師さんは、「お薬の中には眠るだけではなくて、吐き気を止めるものも入っているのです。むかむかして目がさめるのはいやですよね?」などと丁寧に説明してくれました。

 結局は母納得し、ちっくんをしてもらっていました。やれやれ。
 

 このようにすべてのケアは本人の納得を確認してなされます。訳がわからないまま問答無用でされることはないのでした。

 それにしても、娘が居るから注射は要らないというのはまったく理屈になっていません。そのぐらい、ちっくんされるのが嫌いだったんだ、というエピソードです。

つづく


おひねりをもらって暮らす夢は遠く、自己投資という名のハイリスクローリターンの”投資”に突入。なんなんだこの浮遊感。読んでいただくことが元気の素です。よろしくお願いいたします。