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友達は心地よいとは限らない(容姿コンプレックスorigin33)

友達選ぶ権利ってあるようなないような

『親友はモテすぎる女』の続きです。リンク→ 前編後編

 その奥さんはあたしにとって数々印象的な言動を残した、つまりかなり魅力のある人でしたが、なんでそのようにつらい思いをしながらその”ミセス親友”と長いこと一緒にいなきゃいけなかったかについては語ってはくれませんでした。
 なんでなんだろう?そのミセス親友の少女時代の、どこが好きだったんだろう?

 中学、高校、大学、って時代の話でしたから、いわば友人を親友を「得る」時期です。いっぱい勘違いしながら付き合いを広げたり絞ったりしてたはずです。頭きたり、避けたり、近づいて嫌われたり、仲間はずれになったり、グループを乱すやつがいたり、まあいろいろあったわ。そんなもんでしょ?
 つまり親友というのは、作りましょう、と思ってぱぱっとできたりしない。親友と呼ぶからには、きっかけがあり、濃密な交流とか、長い時間とかがかけられているわけだわ。親しくなるには偶然も関与するでしょう。

 自分のことを思い出してみると、中学1年の時なんて、暗いし偏よってるし、やたらうにゃうにゃ自意識で躓いてておよそ光り輝いてない。なんかやたらと自分のことしか考えてないのに、苦しい。そういうヤツでした。
 だけど他の人も似たりよったりだったらしくて、自然と友達が出来ていきました。あたしはひとりが好きなタチで、友達を探してはなかったけど、だれかしら寄ってきては、試しに一緒に過ごすといったことを常にしていた気がします。あたしは「へー。寄ってくるんだ」みたいな。

 そんなだったけど、こっちにも愛着が湧いてくる相手がいて、それで親友ってのは定着していった気がするのです。あくまで自分のケースだけど、ひとりでいても平気ってところを除けば、けっこう一般的なんじゃないかな?

 だからその奥さんだって、12歳の幼い頭と発達過程にある巨大な可塑性を持って、そのモテモテ女と親しくなったってことだろうと想像するのです。自分もまだ未完成、友達もまだモテモテ歴が始まったばかり、みたいな時期じゃん?
 モテモテ女は女性からみてもなんか魅力的なところがあったかもしれません。センスがいいとか、頭の回転が速いとか、なんか心地よいものがある。そんなに深く考えないで、とりあえず一緒に過ごしてみるってところからやってみると思うんだよね。子どもだし。

 だけどその後、ほどなくしてつらい思いをする。だいたいお年頃だから、モテモテっていう特性はでかい事件を起こしてゆく。気に入った男の子が彼女に親友と自分をとりもってくれ、なーんてお願いしてきたりして、そういうつらいできことが、一度や二度ではなかったわけだよね。
 そういう時に、例えば傷ついたからって、この子とお友達でいるのはやめよう、と思うかどうか。というか、思えるのかどうか。

そのモテ女の態度はどうだったんだろう?


 思わなかったから一緒にいたわけでしょう?じゃあこのモテモテ女が彼女に対してとっていた態度はどんなもので、それはリーズナブルだったのかどうか、あたしは気になります。
 もしかして、何度めかには、「このひと私の気持ちはわかってないかも」と思ったかもしれません。だけど、その「友達がわかってくれない」という事象について、どのように解釈するかは、人によって違うと思います。

 友達っていうのは、楽しさや優しさを与えるだけのものじゃないからです。ものすごくなにか引っかかりがあったら、それがたとえ不快なものであっても、かえって離れることができなくなるのではないか、と考えます。
 いや、「もしあたしだったら」ってことなんだけど。

 あたしがこの奥さんだったとしたら、そして、たまたま12歳の時にモテモテ少女となんとなく親しくなって一緒にすごすうちに、ボロボロの目にあうことになったとします。
 憎からず思っている男子となんか親しくお話するなどの心躍る体験のあとに、その男子が「実は君のお友達のモテ子が好きだから、この手紙を渡してほしい」とか言ったとする。

  この男子はひでーな、と思う。人の気もしらんで、と思う。しかし真面目なので、そのモテ子のところにいって、手紙を渡す。
  仮にこの時に、モテ子は全く反応しなかったとします。「あら、困るわ」とか言って。となるとその男子がなぜか自分にとってすら、色あせて見えるなどのことがあるかもしれません。
 
  その後の処理のしかたとかはどのようにもあり得るけど、少女だった奥さんはなんとか自分の密かな気持ちを隠しおおせて、傷ついてはいるけど、平気なふりをして、彼女との親しさをキープしたとします。
 ところが、カップルが成立しないとみるや、他の男子からも話が来る。憧れのモテ子に直接言うのは勇気がいるけど、そのとなりにいる親友らしき女の子は、話しやすいし、物わかりが良さそうだし、きっと取り持ってくれるぜ、とばかりに手紙とか相談とかもって来るってことが始まったとします。またか、ってなことが次々にある。

これって辛いけど同時に面白いんじゃないか?

 なにせ12歳ぐらいの時のことですから、まあたとえ13歳でも14歳でも、まだ何かを断じるには非常に若すぎるじゃないですか。起きていることの理不尽さをはかるモノサシの持ち合わせがないわけです。
  あたしだったら、この時ひたすら考えます。「この差はなんだ?彼女のどこがそんなにいいのだ?自分とどこがちがうんだ?」好奇心の虜になります。
 
 そしておそらく見かけが一番違うのです。彼女は白くて自分は黒いとか、彼女はすらっとしてて自分はやたら小さいとか、彼女はくっきり派手な顔で自分は地味とか。

 ここで「容姿コンプレックス」の苗木が、もともとあった素地に植え付けられて育ち始めます。(素地は必ずあったはずです。親がもともとの下地を作るんですから)男はかくも見かけに弱い。みかけがいかさない自分はとかくつらい思いをするんだろう、どうせそうなんだろうという構えです。

 しかしそれは男の子がみかけに弱いからだけのことではないです。どっちかというとなんにも大事なものが見えてないのではないか、とあたしだったら考えます。そして、なんでまたこんなに見えてないやつらが自分ら女子の相手なのだろう?とかさ。

 モテ子の自分への態度は、なんかナイスなんだかそうじゃないんだかわからない。少なくとも何度かめには、こっちにだって、お年頃の思いがあるんだってことが、こいつってわかっているんだろうか?ほんの少しでも、自分が傷ついているってことに気がつくことってないんだろうか?などと疑問に思う。
 「いや、気がついてないぞ。っていうか、もしも気がついているんだとしたら、相当鈍いか、性格悪いかだぞ」と、あたしなら思います。「友達ってこれでいいんか?」と。

 だとすると、つまり、自分が好きだった男子ですら、そんなことは見えてない。顔しか見えてない。このモテ子の、鈍感や底意地の悪さ(そこまでのものかどうかわかんないが)が見えているのは自分だけだ。だけど自分が見えているってことに、モテ子もそれを崇める男子たちも気が付きはしないんだ、いや、いつまでもそうだろうか?そのうち気がつく人がいるんじゃないんだろうか?などと考える。

引っ込みがつかなくなる

 話しかけてくる男子が、自分が目当てじゃないくて、本当はモテ子を狙ってるのだとしても、それがどのぐらい続くのかはわからないぞ、と考える。ここらで、あたしなら引っ込みがつかなくなるんじゃないかと思います。

 ことに、もしもですが、モテ子が友人の自分が傷ついていることに気がついていなければいないほど、見届けたくなるね!この気が付かない女がいつかひどい目にあうところを。

 自覚的じゃないにしろ、無意識に見届けたくなると思うのです。こっちも相当性格が悪いですけど、こういういびつな固着っていうのが、十分ありえると考えちゃうんだよね。

 モテるってことは、そんなに価値がない。気にもしていない男の子が寄ってくるのって、むしろ怖いし、めんどくさいし、気持ち悪いです。きっとあの奥さんもそうだと思います。彼女が傷ついたのは、親友のほうがモテるからとか、そういうんじゃない。自分が思っている男子がいて、その子が自分に近づいてきた理由が、自分がモテ子のそばにいたからだ、という理由だった、という体験があったからでしょう。

 それってキョーレツだよね。話しかけてきて、話が合って、ほんとに仲良くなっているのに、仲良くなろうとした動機がそっちだったのかよ、というのは、相当ひどい体験じゃないでしょうか?
 それは親友が悪いわけでもなんでもないけど、絶望するわ。そしてあたしなら、そこにひっかかって、結果的に彼女をそばで観察することをやめることができなくなると思うのです。

 もしも仮にこのモテ子が素晴らしい女性で、ああ、この人なら仕方がない、さすがあたしが気に入った男の子は見る目があるんだわ、と思うなら救われますけど、多分あの奥さんはそうではなかったのじゃないかと思うのです。友達の気持ちにも気が付かないような人だが、どうもお顔が美しいとう理由で多くの異性の関心をひき、機会に恵まれている。自分にはそれがないばっかりに将来に渡って明るい展望が持てずに不安。しかしこれは人生にとってどういう意味があるんじゃろう?それが知りたい・・・・って感じだったのでは?

親友状態が壊れない条件は色々


 この状況なら、自分の傷に気がついて、モテ子が同情してきたりしたら、それは勝ち誇っているのとかわらないので、うざくなってそばにいられないけど、モテ子がわかってないなら、そばにいられるじゃん?
 これがあたしが仮定した、「親友状態」の誕生です。結果的に長く近いところにいることになった。そこには、コンプレックスによる固着があったんじゃないかと思ってます。コンプレックスが介在したから、なおさらに引っ込みがつかない。それは、奥さんが、ミセス親友を友だちとして大事に思っていたから、では必ずしもないんだろうと考えたのです。

 彼女の「開放」と「救済」は、時間がもたらしたものです。オバサンになってみたら、苦しかったあれこれが、何もかもどうってことなかった、とわかった。そう思えるまでそばにいたってことで、さまざまなはっきりした結論を得たんだと思うんだわ。

 モテ子が自分が味わったような苦しさを体験するなどの光景を見ることができたとは限りませんけど、それなりに平凡に収まっていることに関しては自分と大して大きな差が生じたわけでもなかろうと思います。だから今でもランチョンマットのあるおうちに遊びにいける。

 人妻になってすら誰かから求婚されている状況は、彼女のモテがホンモノの一生モノの才能であったことを証明したでしょうが、それが人生になんらプラスになっているようにも見えない。めんどくさい気持ち悪いことが、人よりずーっと長く続いているに過ぎないとも見えます。

 これらはあたしがものすっごく勝手にその奥さんの気持を想像して咀嚼してみて勝手に出している結論であって、ほとんどフィクションと言っていいし、実際の彼女とはほとんど関係がないとすら言えます。だけど、コンプレックスとその救済というものに向き合う自分にとって、かなり大きなきっかけでした。
  この奥さんとよくお話をしていた時、自分は未婚で28歳ぐらいだったんだけど、そんな未熟な自分からみて、これはコンプレックスと「時間」や「成熟」ってものがクロスする風景であったからです。
 

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おひねりをもらって暮らす夢は遠く、自己投資という名のハイリスクローリターンの”投資”に突入。なんなんだこの浮遊感。読んでいただくことが元気の素です。よろしくお願いいたします。