人の容姿に嫉妬する(容姿コンプレックスOrigin17)
どんぐりの嫉妬問題
姿形に天才がある”奇形”か、もしくは人前に美をさらすプロでもない限り、フツーの人の美醜はしょせん「どんぐりの背比べ」なんだと悟ってから、あたしのコンプレックスはすこーし楽にはなりました。
しかしながらすこーしだけであり、それ以降余計に「好み」であるとか、ディテールに対する「こだわり」に”遠慮なく”重きを置くようになっていったのです。
「北斎やミケランジェロのことを考えたら、その辺の野郎に嫉妬なんかしていられねーよ」と言っているような正しい美術愛好家が、やっぱり「片岡〇太郎なんかあんなくだらない絵なのに売れててうらやましい」とか言っちゃうようなものかもしれません。
話を落としすぎか。ははは。
美的感覚にも「嫉妬」が巧妙に忍び込む、というか、はっきり言ってそれが主要成分になって「好み」や「こだわり」が形成されているケースが多いのではないかと思うのは、以下のようなことがある時です。
自分にないものばかりを見てしまう
ある年上の主婦と話していて、ふと容姿容貌の話になりました。彼女は言いました。
「私は自分の顔にコンプレックスがあるの。だから、いわゆる見るからに顔がカワイイ人が憎らしくてたまらない。特に男受けする顔。Sさんみたいなの。ああいう人、どうせうぬぼれているんだろうな、とか思う」
「Sさんは確かにかわいいいけど、背が低いこととか、本人も色々気にしてると思うよ。うぬぼれてやしないよ」
「でも、あの手の顔が気に食わないの。すごくかわいいじゃない?」彼女は聞き入れません。
実はSさんと私は、その時独身で、ふたりで、その10歳も年上の主婦の、「贅肉が全くない平らなおなかと、とがった感じの若々しさ」をかげで讃えていたのです。言いかえるならひがんでいたの。「主婦のくせにぽやっと丸まってなくて素敵。くやしいよね」などと感心していたわけで。(「主婦のくせに」ってのは若い女子独特のアレですな。まあ大目にみといてな)
だからあたしは思い切って言ってあげたのです。「あなたを見るとあたしなんかはコンプレックスを刺激されるんだよ。あたしは肥満児だったから、最初から痩せている人がうらやましいの。人のおなかとウエスト周りばっかり観察しているんだよ」
「そうなの?そういえば夫は私が痩せてるのがものすごく魅力的だった、って言ってた。自分がぽっちゃりしているからだって」
なんだ。そうなんじゃん。彼女の美は報われているんじゃんよ。
そう思いながら、あたしは「またウエスト周りを絞り込まなきゃ」などと思ってました。「でも、ウエストを絞ると足が太いのがもっと目立つんだよな」とか。頭の中で。
余談ながら、Sさんとその主婦はあたしの大陸棚のように突き出たバスト、いや当時は突き出ていたバスト(今は過去形)に、かなりの関心を持っていました。ふたりは平らな胸のせいで華奢に見えるのですけどね。
別の人が「胸のことって、話題にするのが苦しいほどのコンプレックスになってる。ゼロというより、えぐれているんだもん」と言いました。
抜けるように色が白い女性です。きっと色黒を気にする女性なら、彼女の胸なんか目に入らないで、嫉妬にちりちりと燃えるでしょうに。
あたしはこの胸のせいで高価な輸入下着を買わねばならない、という愚痴を、やはり少し誇りを持って語るわけです。話題にするのがつらいほどって気持ちはあんまり理解できませんでした。
Sさんは「小さいときに、なんてかわいい唇でしょう、とかかわいい子だねー、とか言われながら育ったの」と語っていたことがあります。
主婦は夫にスレンダーな魅力を讃えられ、色白女性は一生”七難ばれることのない”アドバンテージのなかを生きるのに違いありません。
どんぐりたちの美はそれぞれ報われています。
そしてどんぐりたちは、それぞれ複雑に絡み合った”三すくみ”みたいに、お互いひがみあっているというわけです。
この項つづく。
おひねりをもらって暮らす夢は遠く、自己投資という名のハイリスクローリターンの”投資”に突入。なんなんだこの浮遊感。読んでいただくことが元気の素です。よろしくお願いいたします。