すごいブスの謎/後編(容姿コンプレックスOrigin28)
あれは引き立て役なのか
容貌に恵まれないひとばかりを、お友達に選ぶに奥さまに関して、あたしの父が「なぜ?」という疑問を持ったという話のつづき。
その父のお友達の奥さんは、あたしとは気が合うところがありませんで、したがってそれまであたしは特に彼女を注目はしておりませんでした。
といったって、あっちにしてみればあたしなんか若過ぎのしょんべんくさい小娘でしょうし(まだ成人になるかならないかぐらい)、気が合う方が不思議かもしれません。
彼女は声が大きくて、体も大きく、思ったことはすぐ口に出すし、ケバ目のおしゃれをしているし、たぶん世間では目立つ女性だったと思います。
目立つのが好きみたいだったし、すごいミーハーで、芸能人の追っかけをしてエネルギーを発散するようなことろもありました。
で、しょんべんくさい小娘としては「なんか気が知れないよ、ああいうのはな。まあどうでもいいか」などと、つい斜めに見てしまうわけですね。
だけど父がそのように”彼女の精神のありようには何かある”みたいな言い方をする上に、それがこうもロコツに「容姿容貌」に関することでしたので、あたしはにわかに彼女が気になりだしました。
一番ありそうな話としては、「引き立て役を選ぶ」という発想です。自分を引き立ててくれるような人、ということです。彼女の華やかさを脅かすことはない人。全く逆のタイプの友人。
彼女は見てすぐはっきりわかるほど、”主役体質”だったからです。その場で一番目立っていないと気がすまないようなところがあるのです。
それがお友達とふたりのときでも、ついつい相手より目立とうと競ってしまうのだとしたら、「私そういう闘志はないんです」といったタイプの人の方が疲れなくて居心地がいいでしょう。
お友達って何なのか
しかし。そんなみえみえな自分って、恥ずかしくないのか?
あたしは考えます。
っていうか、お友達ってものの機能を見間違えてない?友達を選ぶ時にそんな条件にしたら、人生において友人から学べるはずのものも限られてしまうでしょう。その損失はいかばかりかと・・・・あ、いや”人生”なんてあたしが言ってはいけないよな。あっちのほうがおとな、なんだから。
あたしはそこで、「憶測にしろ、こんな安っぽい発想をした自分ってはずかしい」と思って腹が立ちました。
人を安っぽく断じる人は、自分が安っぽいのです。
父にして見たら、私が若い娘らしく勝手なことをズバズバ発言するのを聞いて、あはははは、そうかもねー、などと言って笑いたかったのかもしれません。
父は決して自分の解釈は述べずに、疑問を投げかけ、あたしの意見を待つ、という態度でいました。若い女性の意見をきいてみたいというのがよくわかりました。父はけっこうずるいのです。
だからあたしもずるく立ち回ることにしました。
あくまで「わかんないよー」という答えに徹しておきました。
思いついたまま軽薄なことを言うのは嫌でした。自分の理想の中で迷子になってしまいそうなほど、理想というものに苦しんでいるというのに、自分が発した薄くとがった言葉で怪我をするのはごめんです。
私は「親しい友人」という言葉にこだわっていました。そもそも自分が勝ち誇るための友人など親しい友人ではありえないでしょう。
友人は共通点があるか、あるいは全く別の、自分にはない魅力を持っている人。違っていたとしても、理解し合えるひと。お互いを尊重しあえる人、あるいは・・・・・たとえ嫌いでも、気になって仕方がなかったらそばにいるかしら?
本気で問題にしていなくても、自分を好きでいてくれるなら、一緒に行動するかしら?
となると、いっしょに行動していても、”親しい友人”とは限らないでしょう。父にわざわざ紹介するにしても、特別大切な友人である必要なんかないのではないかしら?
そもそも父は何で彼女と友達なんだろう?ああ、彼女の夫の方と先に親しくなって、それから家族ぐるみになったのか・・・・。
父は面白がっていた
あたしが”ずるい答え”に逃げてからしばらくして、その奥さんが父にこういっているのを目にしました。
「ねえ、私ってわりといい女よね。そうでしょう?そう思わない?」
彼女が父にからんだりつっかかったり、甘えたりするのは珍しくもないことです。
「うるさいね、お前は」父はわざと彼女を怒らせるようなことをいいます。口の端が笑っています。
彼女はしつこくいいつのります。「いい女だと思っているんでしょう?違うの?」
その場には他の友人たちもいて、彼女はお酒を飲んでいたかと思います。来る前からのんでいたかも知れません。
あたしは少しうんざりして、それを無視して、お客さんたちにお茶を淹れなおしました。
母は全く意に介していませんでした。小気味いいほどあっさりと無視していました。
「バカだなこの奥さんは」
あたしは思いました。「パパがどういう女が好きだか全然わかってない」
だけど、それがほんとにわかっていたら、この家に遊びに来ることもできないでしょう。
父は明らかに面白がっていました。自分に認めてもらいたがっている、中年の女性を面白がっていました。
自負とコンプレックスの間を揺れ動き、間違ったところであがいていて、それが誰の目にも明らかでばればれになっていても気にしない、そんなダサい感性を面白がっていました。
それを酔っ払いのたわごととしてあっさり無視する自分の女房や、「ばっかでえ」と思いながらお茶を淹れる自分の娘を面白がっていたかどうかはわかりませんが、ともあれ、自分の家の中にはない、異質な想念を面白がっているのはわかりました。
父とその奥さんは古い友達でしたが、そういう構図をなす関係でした。それも友情といえばそうなのでしょう。
自分のやりくちが通用しない男は、その奥さんにとっても刺激的だったのでしょうし、父にとって彼女は、見ていて飽きない、新鮮で異質な空気を運んでくる相手だったのでしょう。
主役のように振舞いながら、彼女は父の人の悪さや、ユーモアを引き立てていました。
母の落ち着いた賢さを引き立てていました。
そのあけすけさが、あたしのずるさも引き立てていたかもしれません。
おひねりをもらって暮らす夢は遠く、自己投資という名のハイリスクローリターンの”投資”に突入。なんなんだこの浮遊感。読んでいただくことが元気の素です。よろしくお願いいたします。