親友はモテすぎる女/後編(容姿コンプレックスorigin32)
彼女の開放
親友が超ド級にモテる女であったがために青春が傷だらけであった奥さんの話のつづき。
彼女がその傷を口に出して人に言えるようになったきっかけは何なのか?その傷はどうやってふさがったのか?
その質問に彼女はあっさり答えました。
「オバサンになったからよ。最近よ。すごく楽になった」
「は?」
その頃あたしはまだそういう感覚がよくわからなかったので、息がとまってしまいました。
”オバサン化”というのは、女性がもっとも避けるコースなのでは?それでいいの?
だいいち目の前の奥さんはいわゆるオバサンには見えませんでした。言わなかったら子供がいるとも思われないでしょう。
「まだまだ女としてイケてる」っていう道の方には行かないでいいのか・・・・そんなあっさりオバサン道のほうにずれ込んで行ってしまっていいのか。もったいない。
このときあたしはけっこうショックを受けていたと思います。
とはいえ、実のところ「オバサン」について、若いときの自分はなんて単純で表面的な定義をしていたことだろう、と、10年もしないうちに気ががついたんですけどね。それはともかく。
オバサンになれば、男がこっちを見ないのも当たり前、オバサンは恋愛してないのが普通、オバサンはあけすけにホンネを言っても似合う、彼女はそのように並べ立てました。
「こんな楽でいいなんて、と思って、解放されたの」
「親友はどうなの?昔とかわった?」
「さあ。少しずれているかも。家でランチしてもテーブル・セッティングして、ランチョン・マット出して、ただの味噌汁でもスープ皿とスプーンだったりする」
「何か楽にはなってないような感じだね」
ランチョン・マットが何を象徴するにせよ、彼女の親友に対する描写は、非常にさめていて、、単に「そういう人なのよ」という感じの喋り方でした。その中に批判も羨望も嗅ぎ取れませんでした。
恋愛沙汰の価値の下落?
「彼女の方は、まだ恋愛沙汰があるわけだよね」あたしはききました。
「別に恋愛しているわけじゃないんじゃないかな。ただその男に旦那と別れていっしょになってください。待ってます、とか言われているみたいよ」
そんな事をいう男の気か知れない、とでも言うように、彼女はあっさりと言いました。
”ミセス親友”のありようは、普通とはいえないでしょう。人妻に対する性的な誘惑は(あるいは独身のときよりも)多い、ということはあたしはあると思っていますけれど、付き合っているわけでもない男から、いきなり求婚される人妻というのは、めったにいないでしょう。
思春期の彼女は、その普通じゃないレベルの、なんだか濃い空気の中に巻き込まれて、自分の位置が見えなくなり、そこで苦しんでいたのだと思います。
ずば抜けた英才としか付き合ってなかったために、自分がとんでもないバカの役立たずだと思い込んでいた、みたいな感覚かもしれません。
自分の位置が見えて、年齢的にコンペティティブなステージから降りるところまで来て(?)楽になったら、「傷が癒えて、口に出せるようになった」、そういうストーリーなのかい?
自分も結婚して、あれこれ色恋沙汰があることになど価値がなくなった、もっと大事なことがある、ってライフサイクルに差し掛かったら、「モテることがなんぼのもんじゃい。人生長いぞ」ってことになったってこと?
それでもあたしはしつこくひっかかっていました。
その親友にとって、彼女はなんなのか。彼女がそれほどに傷ついていたことに対して、何か感じていなかったはずはないだろうに・・・・と。
親友って言ってたけど、親友がそれでいいんか?ってところにもひっかかっていたかもしれません。近いところにいることが普通になっている相手に対して、なんか無神経というか、固定化された死角みたいなものがお互いあって、ズタボロを抱えつつ、それをちゃんと見せたりしたらもっとズタボロになっちゃうから見せてこなかった、みたいな・・・・・つまりそいつってあなたのこと見てなかったに等しいよね?というひっかかりです。
親友問題は、ここで問題にする容姿コンプレックスのありようと絡んではいるけど、本質的には別のことです。だけど、近しい人物はその人に基準を与えてしまうんで、そりゃあ影響は強い。
彼女の中で起きた「開放」について、もうちょっとひっかかってみます。
つづく。
おひねりをもらって暮らす夢は遠く、自己投資という名のハイリスクローリターンの”投資”に突入。なんなんだこの浮遊感。読んでいただくことが元気の素です。よろしくお願いいたします。