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入院はこんなだった

母のケース

 早いもので四九日の法要ってのが終わってしまいました。
 お葬式やそれにまつわるいろいろは、暮らしの中の一大テーマを成してますよね。まあ悲喜劇です。
 でもそれはおいといて、時間が若干経ったあとに、強調して思い出されることってのを書いてみます。
 単に個人の1ケース、「うちの母はこうでした」ってことですけど、高齢の親を持つ人には共通した何かがあるかもしれません。

 母は亡くなる2か月半前までいろいろと痛い体を抱えてはいたけれども、普通に暮らしていました。痛いなんてことは老人には珍しくもない事だし、本人は心配もしてませんでした。だいたい楽天的でした。

 ラッキーってことを何度書いても足りないんだけど、まずこの性格がラッキーだったです。それは本人にとっても、こどもたちであるあたしと弟にとって、もです。母はへこたれることがなかったのです。

予兆はあったのかも知れないけれど

 1年半ぐらい前に膝が痛くて歩くのが困難になって、自宅で階段を上ったり普通に入浴することが難しくなったことがあって、1か月ぐらい床を這って暮らしていましたが、近所によい整形外科があり、膝にヒアルロン酸を打ってもらったらまた復活しました。

 そのときには医者の経験値で治療効果はまるっきり違うんだということがわかりました。大病院の整形外科では同じヒアルロン酸であっても、そんな効果はなかったのですから。


 母の家は古くてバリアフリーのまったく真逆、バリバリにバリアだらけみたいなものですから、不自由な体で、例えば歩けなくて車いすなどになったら自宅で介護生活をするのは無理でした。いよいよ来たか、と覚悟したものが、そのときも「大丈夫」だったのです。

 14年前、75歳の時には大腸癌を切っています。いろいろとリスキーなことのあった入院でしたが、人工肛門になることもなく、抗癌剤治療にも人が言うほどは苦しむこともなく、順調に寬解しております。だから母は最後の14年間、一応健康な人として生活したのです。

わがままOK!老人医療についての基本的な考え方

 あたしと弟は、この14年前の大腸癌の時に、老人医療と本人の納得、治療の効果とQOLについて、かなりのことを考えさせられる結果になりました。


 例えばですけど、たとえ検査や治療の方針がまちがってなくても、医者との相性によって、入院は簡単に辛いものになるってことです。
 医者不信が、たとえこちら側の無知やら好き嫌いやらの理不尽なところから来ていたとして、じゃあそれは「取るに足らないこと」なんだろうか?

 そうじゃないよね。あたしたちは、「75年も生きているんだから、わがまま言ったっていい」「不快は事実なんだから、この医者が嫌いって理由で転院したっていい」「老人はものわかりのいい患者でいる必要なんかない」と結論しました。
 これが人生の終わりかもしれないのに、何とかすれば何とかなることについて我慢させることはないんじゃないかという考え方です。

 首都圏ですから、病院なんかいくらでもある(案外そうじゃないですけど)と考えたのです。あの時、転院を真剣に考えました。

 結果として、検査で(この時も)悪性腫瘍がみつかり、院内で消化器外科に転科しましたから、母と相性の悪い若い女医とは自動的に離れることができました。

 問題はこの時腫瘍の特定に、2か月近くもかかり、著しく老人の体力を奪った、ということです。長引く検査と点滴で体調がくずれて薬が増えてゆく中で、医者の顔を見るだけで具合が悪くなる、と母は言いました。限界だったかもしれません。でも間に合いました。

 そのときに、弟が本人を代弁して病院に強い要求を出したことで、病院の態度が変わったことを、あたしは忘れません。術式を説明してもらう会談でも、あたしたちはなるべく勉強して質問を用意していましたが、そういうことで病院側の扱いや構え方、要するに「やる気」が、少なからず変わるのを感じました。

 気のせいかもしれないけど、その伝わってくる「気」というものが、人間には医療と同じぐらい大事なのです。患者への関心のありかたが人間的でなかったら、信頼なんかできないし、信頼できないのにまな板の上に乗って体を切ってもらうなんてことができるでしょうか?

母の気持ちを代弁すること

 そういう経緯があったので、今回の入院についても、弟に医者とのやりとりの窓口を任せることについて不安はありませんでした。
 弟は母の心情について大変細やかに気が付くし、専門家が相手でも、言うべき時に言いそびれる気の弱さもなかったからです。


 我が家には家族同然に気にかけてくれる友人たちが幾人かあるのですが、伯母さんを納得のいかない形で見送ったことがある幼なじみのSちゃんも、亡き父と兄妹同然に育ったN子さんも、弟の14年前の対応には感心していました。

 体を預ける本人は、なかなか病院に対して言いたいことが言えないし、余計なことをしてもらっても困るのですから、代弁者の力が入院生活のQOLには大きく響いてくるのです。家族には役割があるってことです。

 そういうあらかじめの信頼ってのがあって、あたしが弟に全部まかせっきりだったことで、後で看護師さんたちによけいな心配をかけたこともあったんですけど、それはまた別の話です。

そう、治療をしてよみがえる入院と、いよいよ命を見送るかもしれない入院とでは、また少し話が違うのでした。

つづく。


おひねりをもらって暮らす夢は遠く、自己投資という名のハイリスクローリターンの”投資”に突入。なんなんだこの浮遊感。読んでいただくことが元気の素です。よろしくお願いいたします。