母の入院:入れ歯ラプソディー4
見慣れたお顔に戻ること
自分の入れ歯がパズルになっちゃってた、って話のつづき。
母は時には笑いながらそのパズルを解いていました。だって可笑しいものね。
母がそのパズルに何回てこずっていたか、入院期間はたったの2か月半でしたから、数えることだってできるのです。あたしがここで「毎日そのようにしていた」と書いたとしても、それは短い入院期間の中の短い毎日のことでしかありません。
母の「変化」は何事によらず、大変はやくて、それはよい知らせではありませんでした。命が終わりに向かっていくことがわかっている限り、「はやい変化」はそれがより短いことを告げるサインであるからです。
誰かのお見舞いがあるとわかっている時、その人たちはもちろん母とお話がしたいですから、見慣れたお顔になっていなくてはならないし、発音もちゃんとしていないとなりません。
したがって入れ歯は相変わらず必需品でしたが、そのことに変化が現れたのは、母がもうまるっきりものを食べなくなってからです。
胃癌があることがわかってましたから、徐々に食べることが難しくなることも予想されていました。
でも、入院当初は食欲がありましたし、ベッドから出られなくなって食欲が落ちても、あれこれ味にはうるさく、食べたものは消化され、排泄されていましたから、母の体がその機能を保っている限り、あたしたちは希望を失ってはいませんでした。
希望というにはささやかなものだけれども、いっしょにやってみたいことはさまざまあったのです。
でも、本格的に食べられなくなるということが、思っていたよりうんとはやくやってきてしまいました。そのことと符合するように、母は入れ歯をしなくなりました。
食べなくなってからもあたしは
「さしすせそ、の正しい発音のために入れ歯をしておきましょうか?奥様」などと言ってなんとか母を本来のお顔にしておこうと試みましたが、聞きいれられたのは一回ぐらいです。
身体は省エネ運転に移行して、すべてが面倒になってゆくのですね。
意志の疎通は問題ありませんでしたが、話ができる時間も、日に日に減って行き、うとうとと眠る時間が増えてゆきました。
母が入れ歯をしたがらなくなったのは、たぶん体全体が痩せてゆき、入れ歯の違和感がそれによって増してしまったこともあるでしょう。
最後の歯科の診断書に、「入れ歯の調整の要あり」と書いてあります。しかしその微調整がされることはありませんでした。
歯科に来てもらうことも、またはベッドのまま歯科のフロアまで降りてゆくことも、大変体力を使うことだからです。
入れ歯の優先順位は下がっていました。
入れ歯係の役目
また、「大変よくできた」吸い付きの良い上顎の総入れ歯は、一度はめると、はずすのにもコツが要るのです。
自分自身の指の力が弱くなって、それすら助けなきゃならなくなった段階で、あたしたちはそのコツも学習しなきゃなりませんでしたが、きちんとマスターするまではムリな力が入り、「いてててて」みたいなことになった時もあります。
でも、どのようにはずし、どのようにはめるのか、あたしは真剣におぼえていました。
また、使わなくなった入れ歯も洗浄して、きちんと管理していました。いつかみたいに「どこに行った?」なんてことがないように。
自分は入れ歯との付き合いがないので、あのピンク色の樹脂がどんなものなのか、よくは知りません。
「もしや保存中も乾燥させないほうがいいのではないか。乾きすぎると変形するかもしれない」と思い、洗ったあとも水につけ、毎日点検しました。少なくとも濡れていることがデフォルトの素材ですから、水に漬けておけば間違いはないでしょう。
それは、いよいよお別れの日が来て、この場所を出てゆく時が来たら、絶対にもう一度この入れ歯を入れて、母をそれまでの見慣れたお顔に戻さねばならないと思っていたからです。
そのことだけは絶対にあたしがしなければならないと心に決めていました。そしてその日、その通りにしました。
動かなくなった母の口をあけて、あたしは管理していた入れ歯をはめてあげました。
お別れに来る人が何人あるかわかりませんが、その人たちにとって、母らしい、いつものお顔に戻っていなければ、申し訳ないと思いました。
お見舞いに通った身内の者以外には、入れ歯のない彼女の顔などいまだに「秘密」なのですから。
母のお顔は元通りになり、あたしはほっとしました。それが最後のお世話でした。
おひねりをもらって暮らす夢は遠く、自己投資という名のハイリスクローリターンの”投資”に突入。なんなんだこの浮遊感。読んでいただくことが元気の素です。よろしくお願いいたします。