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容姿に甘やかされた精神発達(容姿コンプレックスOrigin25)

あたしが見ていたのは顔ではなかった

 あたしがわざわざつきあいにくい男子を選んでいる、という点が明らかになった話のつづき。

 「日本語すらがいまいち通じない男子」から、「友達ウケが最低の愛想なし男子」へと移行したあたしは、幼なじみの彼女に「面食い」と断じられてうなだれていました。
 でも、真にうなだれるべきは、その点ではなかったのです。
 
 そもそも、彼らはなぜつきあいにくいのか?
 これらのケースでは、他人のことがよく読めない、あるいは気持ちを読むのにえらく時間がかかるから、でした。
 彼らに限って言えば別に凡人より頭が良すぎてずれる、とか、ド変人だから、とかではありませんでした。

 幼なじみ女子は、たいへん鋭いタイプなので、あれらの男子が「とろい」ことを見抜いていたと思います。「とろくて、取り柄は顔だけ」だと。彼女にはそう見えたのです。

 しかし。実はあれらの男子は、乱暴な言い方をすると、「あんまり姿に欠点がなかったがためにとろく育った」タイプだったように思います。取り柄が顔だけ、なのではなくて、顔に幾ばくかの取り柄があったがために、本来社会的に持っていた方がいいような武器が(まだ)発達していない若者だったように思えるのです。
  で。彼らの名誉のために言っておきますが、めっちゃ若い時の話ですんで、そういう人だったということではない。15歳とか20歳とかの時点で、早熟ではなかった、といった意味ですわよ。念のため。(とは言えそのとろくて疎いところが中年すぎても保存されている男性もいなくはありません。それが甘やかされ方の多寡によるものであるケースも無くはないでしょう)

 これは、特に問題のない子が、周囲とぶつかることがないせいでノーテンキに育ってしまうのと同じ理屈ですね。あるいは、勉強しなくてもいい成績が取れるがために、こつこつ努力する習慣を伸ばし損ねる、といったことも同じです。

 容姿にマイナス要因がない、または恵まれていて、黙っていても異性に好意をもたれたり、かわいがられて育った人というのは、気が利かなくて、何となく受け身的なまま思春期を迎えてしまうことがあるのではないかしら?
 これで一生いけるほど世の中甘くはないですけども、若い男子時代ですから、そういう未発達が残っているタイミングでした。

 そして。
その「とろい」ところが、あたしには重要だったのすよ。
 当時はそれを認める事ができなかったのですが、今は認めざるを得ません。

 だってあなた。コミュニケーションに対してとろい男子って、あたしから見たら、まるで”止まっている”かのように見えるのです!

 野球で、ピッチャーが投げてよこした球が、スローモーションでこっちに来るような感じ。 あたしはそれをゆっくり観察しながら、「どっちに打ってやろっかなー?」と心ゆくまで作戦が立てられるのです。

 まるでスーパージェッター状態ですね。(古すぎ!誰もわからなかったらどうしよう?)「時間よ止まれ!」などという妖術をつかって、完全にイニシアチブを握っていることができます。サイボーグ009か、JOJOかそれの元ネタの「砂の惑星」のヴォイス使い、でもいい、とかご指摘をいただいたたとえですけど、まあそういうことですよ!野球で言うと川上哲治か榎本喜八の様な心境???(あたしは野球がわからないんだが)

 ともあれ。「自分が知らないうちに何か重要な事が起こってしまう」なんて事が全くないため、たいへん安心なのです。

 そんなわけでとろいタイプの安心感が、コミュニケーションに苦労する不便よりも勝っていたのですが、それはあたしが支配欲が強いってことではありません。これもコンプレックスのなせるわざでした。 

「値踏みの視線」がチョー嫌い

 なんというか、あたしは、”女の子を一瞬で値踏みするある種の視線”が、とても苦手だったのです。

 そういう視線を持っている男の人(女の人もですが)は気がついていないかも知れませんが、女の子に会って、すぐさま、かしゃかしゃと”計算機”の音をさせているようなことがあるものです。
 顔、脚、バスト、ウエスト、声、髪、肌、歯並び、服装、態度、言葉使い、話題、・・・・かしゃかしゃかしゃかしゃ・・・あああああ、値踏みの音がする。

 これは、女として自信のない人を、とても萎縮させるのですよ。

 「チーン」”計算終わり!”のしるしが顔に見えたりすると、「ふざけるんじゃないよ、何も知らんくせによ」と怒りさえ浮かびますね。はい。

 たとえば好きな人の親に「ご出身の学校はどちらかしら?」などといきなり問われたり、新しくできた知り合いに「おまえ数学の偏差値いくつ?」と問われる時、銀行員に「年収を書き入れてください。だいたいでかまいませんので」と言われる時、自信のある人は何も気にしませんけど、コンプレックスを抱えて世の中に対しておびえている人は、居心地がわるーいはずです。
 
 とろいひと、というのはそれをしません。そういうところが発達していないのです。人を裁きません。

 幼なじみは、その男子を
「感じが悪い」といいましたが、あたしから言わせると、
「感じを悪くする知恵もない」プリミティブな状態でして、
「感じ良く振る舞うまではまだ10年ぐらいかかりそう」なだけで、
「失礼以前」、心の中では失礼なことは何もしていない、といった人でした。

 要するにあたしは、先回りされるのも、イニシアチブを取られるのもイヤで、まして値踏みをされるのは耐え難いと思っていました。コンプレックス故にそう思っていました。

 こういうあたしに安心感を与える男子が、容姿に恵まれていたとしても、それは結果的には偶然だったと思います。
 あたしは、容姿に甘やかされて未発達を抱えている男子を選んでいたのです。
 ”間接的面食い”だった、ということでしょうかね?

 つづく。

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