さよなら。

もう3年ぶりになる喫茶店のドアを開けてすぐ左の席に座った。
8人掛けの大きなテーブルの先は大きな硝子張りで、道行く人の姿が見える。
斜め向かい、いちばん窓際の席に、もう80になろうかと思われる細身で小柄なご婦人がひとり、今年初めての雪が舞うのをゆったりと眺めながらランチを食べていて、私はイタリアンスパゲティを注文した。


いろんなSNSで、いろんなことを、みんなが発信する、あたしもそうだ。
誰かに見せたい見てもらいたい。共感に生きる時代と言われる今、そうすることは確かに、1つの方法なのだろう。
そして人はいつしか、カメラで撮ったものを載せるというよりも、載せるためにカメラを起動させるようになった。
いつものようにSNSを開いてスクロールするあたしは急に客観的になり、みんなが同じようなことをしているのが気持ち悪くなってきた、そしてあたしもそのひとりなのではないかと思った瞬間、もっと気持ち悪くなってきた。


席を立って、店の少し奥にある本棚から手にした、タイトルだけで選んだその本は柔らかな印象で、初めて目にする作家のものだった。
いくつか綴られいる物語を、私は最初のページから読んだ。
間もなくスパゲティが運ばれてきて、さあどうぞ召し上がれと丁寧に置かれたスパゲティも添えられたスープもそれは美味しそうな香りに溢れ湯気がふんわりと私を包み、やがて作った人の愛が私を包んだ。
カメラを起動させそうになる手を膝の上に置き直し、手を合わせたあと、少しお行儀がよろしくないかと思いながら私は、物語を読み進めながら一口ずつ口に入れ、噛むスピードをいつもの半分に落として味わいながら、口から鼻に抜ける香りを確かめながら、また物語に目を落とした。

スズメの物語、私たちにはわからないけれどほんとうはランドセルを背負って黄色い傘も持っているみたい、メダカの学校も出てきた、私たちにはわからないけれどみんなお顔が違うみたい、幼い頃に耳にしたことのある動揺を微かに思い出しながら、私は読み進めた。
次に、キツネとタヌキの物語。息子が小学4年生のときに合唱コンクールで歌ったごんぎつねの歌を思い出した。
温かく切ないそのお話は、少し凹んで愚痴っぽくなっていた私の心の奥にある何か大切なものに触れて、同時に私の視野に入ったご婦人は何かしら外に向かって微笑んで、その姿がまた美しく、私の心の奥にある何か大切なものに触れた。


あたしにとってのSNSの位置付けは、自分の居場所の不確かさを穴埋めするかのように、誰かもわからぬ相手あるいは、大して親しくもない相手に、一生懸命自己主張をするようなものだったのかもしれない。


ご婦人の視線の先大きな硝子窓越し、小雪の舞うなか2歳くらいの男の子がお母さんを追ってまだおぼつかない足取りで歩いていたけれど、ご婦人に気づいたその子は立ち止まり、その子に気づいたご婦人は彼に手を振ったのち「こんにちは」と口を動かしながら何度も頭を何度も下げて見せた、先を歩いていたけどその姿に気づいたお母さんも一緒にご婦人に微笑んで、男の子は膝を曲げ伸ばしして応える、またご婦人は頭を下げて見せ、また男の子はご婦人を真似て膝を曲げ伸ばしした。
その光景はとても美しくて私の心の奥にある大きな大きな何か大切なものに触れ、涙が止まらなくなった。


自己主張に夢中になりカメラを起動させて、今この瞬間目の前で起こる美しい光景や風景と一体になることをすっかり忘れていつからか私は、なんてたくさんの瞬間を感動を温もりを逃してきたのだろう。
いつから私は、こんなふうになっていたのだろう、さあどうぞ召し上がれと丁寧に置かれたそれは美味しそうな香りに溢れた湯気がふんわりと私を包み、やがて作った人の愛が私を包んだはずなのに、そんなことよりも’映え’に夢中になった。
なんてたくさんの瞬間を感動を温もりを逃してきたのだろう。

世界中の共通項を持つ人たちと繋がれて、自分の所属するコミュニティの規模が大きくなったような気でいたけど、気のせいなんじゃないだろうか、共有のエネルギーを手のひらサイズの画面へ向けることで、むしろ自分が本来抱きしめるべき小さくもあたたかな愛を私は、蔑ろにしたのではないだろうか。
スマホを持つ手は本当は、助けを求める誰かに差し伸べ大好きな人の手を放さないために、慌ただしくスクロールさせるその人差し指は本当は、道に迷う人に道を教え綺麗な夜空星を数えるためにあるのに。


SNSがない頃私は、カメラでたくさんの景色を撮った、家族、人、モノ、どれも美しかった、そしてそれを何度も何度も眺めてはそのときの温かさを思い出して、抱きしめた、誰に見せたいでもない、ただただそのシーンを残したくて純粋に撮って、気に入ったものは印刷して飾ったり、動画にしたりした。


デジタルでない頃父は、Nikonのプロ用のフィルムカメラや大きくて重いVictorのビデオカメラを使って、私や母の姿を撮った、家には大量のアルバムやビデオテープがあって、学生のころ私は、父や母と写り映る幼いころの私を何度も開き再生した、もしかしたら、反抗期真只中父母のことを大嫌いでありながら、その中にいつだってある父や母の私への愛情を感じ取っていたのかもしれない。
私が父や母との思い出を描くとき、直接の記憶よりもアルバムで見た光景の方が多い。

誰から’いいね’がもらえたか、’いいね’の数がいくつか、再生数が何回かそんなこと、今のあたしにはもうどうだっていい、知り合いのこともこと細かに知る必要はない、会ったときに「元気だった?」それでいい気がする、そこで話が広がることも、そうでないこともあるだろうけど、それでいい気がする。


「コロッケ、とても美味しかったわ、里芋かしら?美味しかったわ。」
ごはんを食べ終えたご婦人は、お皿を下げようとするスタッフにそう伝えた。
「厨房の者に伝えますよ、ありがとうございます」と言いながらお皿が下げられ、ご婦人はまた、道行く人たちをぼんやりと眺めていて、その横顔にはガラス窓からいっぱいの太陽の光が差し込んでなんとも美しかった。



私は書くことが好きで、大嫌いで苦手だったはずの本を読むことも今では、こんなにも好きになった。


カメラを首から下げて歩き、
撮りたいものを撮って、
喫茶店で本を読み、
植物を愛でて、
物書きをして、
いつだってできる大切な人との会話を大切にする。
今のあたしには、それが心地よい。


さようなら。今までの私。
SNSがない時代に生きた父や母に、ちょっと近づきたい。
さようなら、今までの私。

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