NPOの中の人の『想い』を伝えたい!Piece of Syria代表の中野さんインタビュー
「キャンペーンや団体ページには記載されない、団体の中の人の『想い』を伝えていきたい」という目的で始まった新企画。トップバッターの今回はPiece of Syria(ピースオブシリア)代表の中野さんに来ていただきました。
中野さん、よろしくお願いいたします!
#Piece of Syriaとシリアの紹介
◆Piece of Syriaの紹介をお願いいたします。
Piece of Syriaはシリアをまた行きたい国にするということをビジョンに掲げている団体です。
行っていることは主に2つあります。
1つはシリアの国内で支援が届きにくい場所への教育支援、
もう1つはシリアの課題以上に「魅力」を伝えるというやり方で平和について考える機会を届けるという活動を行っています。特に1つ目のシリア国内での教育支援で、Syncableを活用した寄付集めをしています。
◆活動しているシリアはどんな国ですか?
シリアは2011年に戦争が始まり、今もずっと続いている状況です。戦争前については就学率が99.6%、大学まで無料なのでシリアの人たちにとって教育を受けることが当たり前の状況でしたが、2011年に始まった戦争の後には、就学率が一時期6%まで下がった地域があり、
現在も数年前まで半分ぐらい、今年は3分の1ぐらいの子どもたちが、まだ学校に行けてない状況です。
学校に行けないことによって起こるデメリットは、子どもたちが教育の機会を失ってしまい、武装勢力の兵士になったり、物乞いになってしまいかねないことです。本来その子どもたちは、シリアの復興や平和構築の主役になっていく子どもたちなので、そのような観点からも教育がとても大事です。
◆シリアの教育について、詳しく聞かせてください。
戦争の中で先生たちのお給料が出ていない状況で、学校があって建物はあるけど先生たちのお給料が出ないと、先生達が学校を続けらず、先生達が学校を去ってしまう。「じゃあ学校閉鎖しましょうね」となるのが大きな課題としてありました。
それに対して僕たちがやっているのは、まず先生たちのお給料を届けること、そして継続的に教育施設が運営されることを寄付を通じて活動しています。
特に幼稚園での活動を行っています。幼児教育のうちに基礎教育、子どもたち同士で遊んだり、心のケアを実施しています。
◆幼稚園での活動は、どのような目的でしょうか?
基礎教育や心のケアがなければ子どもたちは治安のこともあり、家に閉じこもっている状況が続いてしまいます。外で遊ばない、友達と遊ばない、ずっと家にいる。その状態で小学校に入れる年齢になっても、小学校に行かなくなる。 途中で辞めてしまう。基礎教育、読み書きができないから諦めてしまうという状況になりかねません。
子どもたちが小学校に行った後、中等教育、高等教育につなげていくための基礎として、基礎教育と学校に行くという習慣が身につくような、学校が楽しい、幼稚園が楽しいと思ってもらえるような、心のケアが重要になっています。
幼稚園の中で、心のケアと基礎教育を学ぶことを通じて、子どもたちが将来、小学校、中学校、高校と進んでいく時に、勉強を続けていく習慣や基礎を身につけることを目指しています。
◆様々な教育施設がある中で、中等教育や高等教育ではなく、幼稚園での活動を選んだきっかけはどのような理由でしょうか?
現地で一番ニーズが高く、支援が一番入っていないからです。
小学校以降については他のNGOなどの団体が動いているケースはありますが、いきなり小学校に入ってもドロップアウトする子どもが多く見られました。
そのため、基礎教育を、幼稚園のうちにやっておく必要性というのが、明確になっているため、幼稚園での教育を実施しております。
◆トルコに住むシリア難民向けの活動もしていると聞きました。トルコにはシリア難民がいるのですか?
難民の中で世界で一番多いのがシリア難民なのですが、その中で最も多くのシリアの難民を受け入れているのがトルコです。トルコにいるシリア難民は360万人ぐらいいるので人口比率でいうと、もともとのシリアにいた15%ぐらいの人たちが、現在トルコに住んでいる状況です。隣の国で100年前まで同じ国だったので、そういう意味でも受け入れていました。
当初は、シリアと同じカリキュラムで、アラビア語(シリアの母国語)で授業していたのですが、アラビア語での教育を禁止にして、トルコの学校に入ってね、トルコ語で授業を受けてね、トルコの文化を受け入れてねとなりました。
最初はゲストなのでいいよって言ってたら家に5年ぐらいお客さんが住み続けて「あれ?いつまでいるの?」と思うのと同じように、戦争が長引くにつれトルコの文化を受け入れてねという話になりました。
◆その状況でどんな活動をしているのでしょうか?
シリア難民の子どもたちはトルコで生まれてトルコで育つのですが、そうなると母国語であるアラビア語が分からないという状況になります。ただし、親世代は母国語として、アイデンティティとしてアラビア語を忘れないでいてほしいという想いがあります。
またトルコでは学校教育が無料ですが、3人に1人の子どもが学校に行けない状況です。文化や言葉の問題が要因と言われています。
なので補習校という形で6歳から15歳のシリアの子どもたち200人に対し、
トルコの普通の学校に戻るためのサポートをしながら、アラビア語を忘れないためのアラビア語の授業を実施しています。
◆ありがとうございます。国内での講演活動なども活発に行っていると聞きました!どのような活動をしているのでしょうか?
初めは写真展を企画して、その後講演会などでシリアが昔どういう状況だったのかということを伝えていました。なぜなら多くの場合シリアって聞いた時に「難民」「テロ」「戦争」が連想されているからです。
実はそれって戦争が始まる前からずっとそうで、僕がシリアにいた時からも同じようなことをずっと言われていました。中東=戦争のイメージがあり、その戦争が行われているところで、戦争がもう一回起こって、シリアは大変そうだね。100年ぐらい前からずっと戦争してるよねって言われたりする。
けれども2010年まで僕は青年海外協力隊としてシリアで住んでた時に、学校教育レベルももちろん高いし、治安で言うと犯罪遭遇率が日本の20分の1で日本より治安が良くて、人もすごい親切でおもてなしがすごくって。
◆2010年ごろのシリアはどのような国だったのですか?
バスに乗ったら隣の人が僕のバス代を払ってくれているとか、のど乾いたらその辺の家をノックすればお茶が出てきて、ご飯が出てきて、パジャマが出てきて、泊まっていけみたいなことが日常的にありました。
本当におもてなしが日常的で、治安もよくて。昼の2時まで働いたら家に帰って家族でご飯食べて、働き方改革ってなんやねんみたいな。
家族との時間、近所の親戚とかコミュニティの人たちとの時間って意味でもすごい豊かで、自給率も108%だったので 野菜も果物も安く、医療の教育も無料です。
そうなると生きていくのに困らないので、ストリートチルドレンやホームレスもいない状況でした。
僕としてはめっちゃいい国だったんだよなって想いがあります。
シリアが「難民」「テロ」「戦争」みたいなのは、全然違うけどと言いたいし、
お世話になった人たちがそのように言われてるのはやっぱ悔しいっていうのもあります。
もちろん戦争が今行われているのは事実。世界で一番多くの難民が発生している国であるのも事実。だからそこはもちろん大事なのですが、大変な人がもっと大変になって、「彼らの基本姿勢としてはテロリストだ」みたいな話ではなくて、めっちゃ親切で、心も豊かで、すごい良い暮らしもしてた人たちが難民でキャンプの中で暮らしてますということを伝えたい。
大変な人たちが大変だったっていうよりも、僕ら日本人とあまり変わらなかった人たちが大変な状況になってしまった。
◆シリアは危ない国ではなく、平和な国だったのですね。
実際難民になった人たちを尋ねて周った時に、「僕たちの夢は、僕の夢は家族でみんなでご飯を食べることだ」と言っている人もいました。でもそれって戦争が始まる前は本当に日常だったこと、当たり前だったことです。
彼はその家族が本当に今バラバラになっていて、「家族でご飯を食べるのが夢だ。でもその夢は生きてる間に叶わない」と言っていました。
19歳の子がそんなことを言っていて、なんか当たり前のことが叶わない夢になるっていうのが戦争だったりとか、一方で別のシリア人は、「あんな平和なシリアで戦争が起こったんだから、どこの国で起こってもおかしくないよね」って話をしてて。
戦争ってもともと危ない状況にあった人たちが巻き込まれていくって思っているけど、そうじゃなくて普通にのどかに暮らしている人たちでさえ、巻き込まれてしまう可能性がある。
だったらその人たちが普通に戻れるためのお手伝いをするということを大事に思っております。
#団体を立ち上げたきっかけ
◆中野さんは、なぜそこまで当事者意識を持って、団体を立ち上げられたのですか?
2010年にシリアから日本に帰ってきた時は、「シリアってイメージと違って平和だったんだよね」と話していたのですが、シリアで戦争が始まり、僕が住んでた街が今どうなってるか全然分からない、連絡も取れない、どうなってんのかなと、まず知りたいと思ったのがきっかけです。
そこから難民になったシリア人や、そのシリア人を支援する方々の話を聞き、伝えるということを個人で始めました。
そうすると「あなたの話を聞いてどうすれば良いの?」と聞かれるようになり、
「どこでも良いから支援してみてください。」と最初は伝えていました。
また、講演活動をしていると、新聞から取材されることがあり、『シリアをよく知る男性の講演』と記載されていて、『男性』って書かれ方に違和感がありました。
そこから活動としては一人でやっているのですが、『シリア支援団体の代表』と名乗り始めました。
そこから実際に支援を始めようとなった時に、一番支援が届きにくいところはどこかを考えました。トルコなどにいる難民に対しては様々な国がサポートしていたのですが、シリアの国内は支援が手薄になっていました。
そして、たまたまトルコで出会ったシリア人が教育の活動をシリア国内で行っていたので、シリアでの教育の活動を始めました。
◆最初は「知る」と「伝える」から始まったのですね。そもそも青年海外協力隊を選んだのはどういったきっかけですか?
小学校の卒業文集に、国際協力をしたいみたいなことを書いてました。
世界平和、いや宇宙平和を目指すと言っていた12歳でした。
ただ、中学校・高校と進むにつれ、その目標がよく分からなくなって。大人になって仕事をするというイメージが湧かなくなり、何をすれば良い人生になるんだろうと考えていました。
◆そもそも小学生で世界平和を考えたのはどういうきっかけだったのですか?
小学生の頃、アフリカでガリガリに痩せている人の写真を見て、自分はご飯を残しているけど世界にはご飯を食べられない人もいるんだと感じました。
それを子どもなので、純粋に「なんで?」と思っていました。
また、すごいネガティブだったので、自分が生きる価値とは?みたいなことをずっと考えていました。猿と人間は何が違うのかみたいな。
◆そこから就職まではどのように過ごしたのですか?
大学では、国際協力を仕事にできる可能性があるような学部に入りました。
ところが、勉強すればするほど「あれ、国際協力ってなんかデメリットも結構あるな」と知りました。
ダムを作ったせいで悪い影響も出たとか、食糧支援したせいで隣の国で農家が自殺したとか。「国際協力ってなんなんだ」みたいなことを思いました。
国連職員になるにはみたいな本を読み、日本の会社で何年経験して、英語ともう一カ国語をペラペラにならなくてはいけなくて、「無理!」と思いました。
「やばい夢なくなった。」となったのですが、
「伝えること」は出来るかもしれない。
僕が一枚の写真を見て変わったように、僕一人では何も変えれないかもしれないけれど、
変えられる人が増えることで何か生まれるかもしれない。「じゃあジャーナリストだ」みたいな感じで新聞記者を受け続けました。
「世界を平和にしたいんですよね。」と言ったら、「それは記者の役目じゃないね」って言われて結果落ちました。
「やばい。また夢なくなった。」となったので、
海外で働ける仕事を探して、専門商社に入りました。国際協力に繋がる仕事をする、英語で仕事をする、経験を積もうと思ってました。
◆そこからどのようなきっかけで青年海外協力隊に参加したのですか?
入社式の前に、本では読んだけど現場を知らないなと思って、NPO法人アクセスがやっているスタディーツアーを通じてフィリピンのスモーキーマウンテンに行きました。
本当に6時間ぐらい飛行機に乗るだけで、ゴミ山と呼ばれている場所の中で生活をして、地面がゴミで、ゴミで作った家で過ごし、ゴミの中から換金できるものを探して生活をする人がいました。
その人たちを見た時に自分はどんなことができるかと思って参加したものの、どんな顔をしてこの人たちの話を聞けばいいかさえ分からなくなり、
笑顔で話聞くのも、「お前はいいよなぁ」みたいに思われるのかなと思って、笑顔も違うな、でも可哀想みたいな顔するのも失礼だな。
最初はどんなことが出来るか?と考えていたのに、気づけばどんな顔をすれば良いか分からないと思ったことがショックでした。
実はそのスタディーツアーから帰ってきたのが入社式の2日前か3日前でした。そしてそのフィリピンでの経験を会社で話しても、全然共感されず、ここでは話が合わないのかと感じました。
なので、仕事の合間にボランティアを3つ掛け持ちしたり、色々な勉強会に参加していました。その中で、国際協力をするには青年海外協力隊が最初のステップとしてオススメだよ、と教えてもらったのですが、全く自信がなかったので聞き流していました。
しかし、様々な場所で色んな方にお会いする中で、協力隊の経験者の方からあなたは青年海外協力隊が向いているよと言ってもらって青年海外協力隊に行こうと思い、会社を辞めました。その後フィリピンに行っている間に合額通知が届き青年海外協力隊としてシリアに行くことになりました。
#活動の大変なところ 、やりがいを感じるところ
◆どんどん活動規模が拡大しているPiece of Syriaですが、活動の中で大変な部分はありますか?
一つ目は、全然忙しさがマシにならないことです。ずっと忙しい(笑)。
「やるべきこと」と、「やりたいこと」と、「やった方が良いこと」がある時に「やるべきこと」が多くなってしまいます。
例えば、イベントページ作ったり、アンケート用紙作ったり、イベント参加者への連絡、現地とのやり取りや、メディアからお問い合わせがきてそれに答えるなど様々です。最近はスタッフにそうした仕事を任せられるようになりました。
作業としてしんどいことはあります。でも、やっていることは楽しく、やりがいもあり、辞めたいと思ったことはありません。
もう一つはNGOの運営というよりも、シリアという国で活動する難しさです。
今まで小さな団体だったので何とかなることも多かったのですが、活動が大きくなるにつれて、例えばシリア政権や現地で活動するスタッフを気にしながら、バランスを取りながら発言をしていかないといけないと感じています。
#今後の展望
◆最後に今後の展望を教えて下さい!
Piece of Syriaは「シリアをまた行きたい国にする」というビジョンを掲げているのですが、どうやったら達成できるのかを考えていて、まずシリアが平和になってもらわないことにはどうしようもないので、シリアを平和にしていく、そのための教育支援があります。
ただし、ニュースは数ヶ月すると風化してしまいます。10年以上続いているシリアの戦争に対して寄付が減っていく中で、いかに支援を届けられるのかが大事です。継続性と成長がすごく重要だと感じています。
そしてもう一つ「シリアをまた行きたい国にする」に向けて、「シリアって怖いんだよね」というイメージを変えていくことが必要だと思っています。
僕たちのイメージは、ディズニーランドの修復だと思っていて、
「スプラッシュマウンテンが破壊されています。みなさんお金下さい。」
というよりかは、
「ディズニーランドめっちゃ楽しいんです!。ただ、ここは修繕したいんですよ。」
と話した時の方が、継続的でもあり、見守りたくなり、参加したいと思うかなと考えています。
そして、スプラッシュマウンテンを直す途中で3分の1まで作ったら、もういっかとはならないと考えています。「私が遊びに行くまで続けてよ」みたいな。
やっぱりそこは継続性に繋がるかなと思っています。
じゃあディズニーランドってどう楽しいのって話した時に、例えば見た目が美しいという話だけじゃなくて、実はこんなエピソードがあってと話すのと同じように、
シリアでは昔どのような文化を持っていて、
日本が縄文時代ぐらいの時からずっと街で、今も街、そんな歴史があります。
その頃には既に貿易が行われていて、ビールやパン、法律だとかって古代のシリア辺りで産まれたんだよとか、ワクワクしませんか?
文化的な楽しさを知ってもらうことで、もっと知りたいと思う人が増えてくれば良いと思っております。
それこそワンピースの考察をするような感覚で、シリアの文化を深掘りする人が出てくる、もっと知りたい、そんな角度で見たことなかったと思う人が増えるような伝え方をしていきたいです。
僕たちに寄付することでシリアを知ってもらい、現地では教育を通じて支える。その両輪の量と質を高めていけるかが今後の展望としてあるので、僕自身ももっと勉強したいと思っております。そういう意味でも団体として大きくなっていくことは大切にしています。
◆Syncableを通じてPiece of Syriaや他の団体に寄付している人も多くいます。寄付している人や寄付を検討している人へメッセージがあればお願いいたします。
多くの寄付に対する疑問っていうのが、「1,000円で何が変わるの?」だったり、「ちゃんと使われてるのか?」ではないかなと思います。
NPOによってもちゃんとした団体や、ちゃんとしていない団体があると思いますが、
団体のメンバーや団体自身が信用できるかなということを確かめることはすごく大事だと思います。
一回寄付してみて、違うと思ったら止めることもできると思うので、一歩踏み出してほしいですし、
一歩踏み出したことによって知る、そして行動を変えることにも繋がると思います。
もっと気軽にやっていただけると嬉しいです。
そして1,000円の重みはすごく感じていて、
本当に月500円、月1,000円の寄付で現地に確実に届けられているものがあるので、そこは信用してほしいなと思います。
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中野さんお忙しい中ありがとうございました!
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