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息をするように、書く。

なぜnoteを書いているんだろう。

純粋に書くとこが楽しいため。
自分の考えを整理するため。
誰かに伝えたい想いがあるため。
自分がこの世に生きた証を綴るため。
自分はもっと大きな何かだと、多くの人に知ってもらうため。

いや、一番最後のそれだ。
自らの首を緩やかに締めつけ、モノを書くこと、今のこのオンラインソーシャルな時代を緩やかに泳ぐことを息苦しくしているのは。

私は書くことが好きだし、
書くことで自分の思考を深め、整理するのが大好きだし、
こんな自分でも、誰かの役に立つかもしれないちょっとした小言は書き続けることができるし、
何より、その軌跡は私がこの世に生きた間違いの無い証だ。

2006年、社会人に飛び出した時にアメブロを書き始め、
Wordpressをインストールし、お気に入りのドメインで書き始め、
今まで所属した組織・企業でもたくさんのことを書いてきた。
今は、時代の並みに乗るようにnoteに何かを書くことが多い。


書くことは呼吸することに似ている。

息を吸うように日々受けた刺激を燃料に、
息を吐くように書き殴り、
また息するように文字を通じて呼吸を続ける。

書きたくなるからインテークが捗るし、
吐き出したその空気は稀に波紋となって自らに跳ね返ってくる。
まぁ、別に跳ね返りが無くてもいいんだよな。
それはただの呼吸なんだから。

それは私にとって、やはり生きる上で基礎体力として必要な反芻であり、筋トレであり、呼吸である。

小気味の良い、自分が心地よいと感じる日本語、文章が好きだ。
ネットではあまり文章を読まない。
というか長文が読めなくなってきた。歳なのか、意固地なのか。
だから読むのはもっぱら本だし、kindleも「便利」という角度以外は340度ぐらい好きになれない。
別に「本」好きでもないし、「本」に対して特別な感情はもっていない。
残念ながら君にはたいへんニュートラルなんだけど、でも「本」がいい。
「本」に没入して、文章に浸かる時間が好きなんだろう。
ただ、私はたまたまそういう人間だったということにすぎないのだが。


生きることの最小単位は、多分「呼吸」だ。

吸って吐いてを繰り返し、今日も我々はなんとか生きている。
ググると1日の呼吸回数は28,000〜30,000強らしい。

この小さな小さな積み重ねが、私たちの生活、人生をカタチあるものに積み上げている。

なのであれば、呼吸するように、もっと自然に、当たり前のように。
日々吸い込んだ新鮮なモノたちが、新鮮なうちに吐き出しておこう。

よし、「呼吸。」にもっと吐き出して行こう。

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