文言伝(ぶんげんでん)【易経】~十翼~
このNOTEは原文(漢文)と書き下し文を確認したい時などに参考にしてもらえたらと思います。
修正&更新(2022/02/16)
十翼のなかのひとつ文言伝(ぶんげんでん)の原文(漢文)と書き下し文です。
【文言伝】
「第一節」
「文言曰。元者善之長也。亨者嘉之會也。利者義之和也。貞者事之幹也。
君子體仁。足以長人。嘉會足以合禮。利物足以和義。貞固足以幹事。
君子行此四德者。故曰。乾元亨利貞。」
「文言(ぶんげん)に曰(いわ)く、元(げん)は善(ぜん)の長(ちょう)なり。亨(こう)は嘉(か)の会(かい)なり。利(り)は義(ぎ)の和(わ)なり。貞(てい)は事(こと)の幹(かん)なり。君子(くんし)は仁(じん)を体(たい)すればもって人(ひと)に長(ちょう)たるに足(た)り、嘉(か)を会(かい)すればもって礼(れい)に合(がっ)するに足(た)り、物(もの)を利(り)すればもって義(ぎ)を和(わ)するに足(た)り、貞固(ていこ)なればもって事(こと)に幹(かん)たるに足(た)る。君子(くんし)はこの四徳(よんとく)を行(おこ)なう者(もの)なり。故(ゆえ)に曰(いわ)く、乾(けん)は元亨利貞(げんこうりてい)と。」
(ぶんげんにいわく、げんはぜんのちょうなり。こうはかのかいなり。りはぎのわなり。ていはことのかんなり。くんしはじんをたいすればもってひとにちょうたるにたり、かをかいすればもってれいにがっするにたり、ものをりすればもってぎをわするにたり、ていこなればもってことにかんたるにたる。くんしはこのよんとくをおこなうものなり。ゆえにいわく、けんはげんこうりていと。」
「第二節」
「初九曰。潛龍勿用。何謂也。子曰。龍德而隱者也。不易乎世。不成乎名。遯世无悶。不見是而无悶。樂則行之。憂則違之。確乎其不可拔。濳龍也。
九二曰。見龍在田。利見大人。何謂也。子曰。龍德而正中者也。庸言之信。庸行之謹。閑邪存其誠。善世而不伐。德博而化。易曰。見龍在田。利見大人。君德也。
九三曰。君子終日乾乾。夕惕若。厲无咎。何謂也。子曰。君子進德脩業。忠信所以進德也。脩辭立其誠。所以居業也。知至至之。可與幾也。知終終之。可與存義也。是故居上位而不驕。在下位而不憂。故乾乾。因其時而惕。雖危无咎矣。
九四曰。或躍在淵。无咎。何謂也。子曰。上下无常。非爲邪也。進退无恆。非離羣也。君子進德脩業、欲及時也。故无咎。
九五曰。飛龍在天。利見大人。何謂也。子曰。同聲相應。同氣相求。水流濕。火就燥。雲從龍。風從虎。聖人作而萬物覩。本乎天者親上。本乎地者親下。則各從其類也。
上九曰。亢龍有悔。何謂也。子曰。貴而无位。高而无民。賢人在下位而无輔。是以動而有悔也。」
「初九(しょきゅう)に曰(いわ)く。潜竜(せんりゅう)用(もち)うるなかれとは、何(なん)の謂(い)いぞや。子(し)曰(いわ)く、竜徳(りゅうとく)ありて隠(かく)れたる者(もの)なり。世(よ)に易(か)えず、名(な)を成(な)さず、世(よ)を遯(のが)れて悶(うれ)うるなく、是(ぜ)とせられずして悶(うれ)うるなし。楽(たの)しめばこれを行(おこ)ない、憂(うれ)うればこれを違(さ)る。確乎(かっこ)としてそれ抜(ぬ)くべからざるは、潜竜(せんりゅう)なり。
九二(きゅうじ)に曰(いわ)く。見竜(けんりゅう)田(でん)に在(あ)り、大人(たいじん)を見(み)るに利(よ)ろしとは、何(なん)の謂(い)いぞや。子(し)曰(いわ)く、竜徳(りゅうとく)ありて正中(せいちゅう)なる者(もの)なり。庸言(ようげん)これ信(まこと)にし、庸行(ようぎょう)これ謹(つつし)み、邪(じゃ)を閑(ふせ)ぎてその誠(まこと)を存(ぞん)し、世(よ)に善(よ)くして伐(ほこ)らず、徳(とく)博(ひろ)くして化(か)す。易(えき)に曰(いわ)く、見竜(けんりゅう)田(でん)に在(あ)り、大人(たいじん)を見(み)るに利(よ)ろしとは、君徳(くんとく)あるなり。
九三(きゅうさん)に曰(いわ)く。君子(くんし)終日(しゅうじつ)乾乾(けんけん)し、夕(ゆう)べに惕若(てきじゃく)たり、厲(あや)うけれども咎(とが)なしとは、何(なん)の謂(い)いぞや。子(し)曰(いわ)く、君子(くんし)は徳(とく)に進(すす)み業(ぎょう)を修(おさ)む。忠信(ちゅうしん)は徳(とく)に進(すす)む所以(ゆえん)なり。辞(ことば)を修(おさ)めその誠(まこと)を立(た)つるは、業(ぎょう)に居(お)る所以(ゆえん)なり。至(いた)るを知(し)りてこれに至(いた)る、ともに幾(き)を言(い)うべきなり。終(おわ)るを知(し)りてこれを終(おわ)る、ともに義(ぎ)を存(ぞん)すべきなり。この故(ゆえ)に上位(じょうい)に居(お)りて驕(おご)らず、下位(かい)に在(あ)りて憂(うれ)えず。故(ゆえ)に乾乾(けんけん)す。その時(とき)に因(よ)りて惕(おそ)る。危(あや)うしといえども咎(とが)なきなり。
九四(きゅうし)に曰(いわ)く。あるいは躍(おど)りて淵(ふち)に在(あ)り、咎(とが)なしとは、何(なん)の謂(い)いぞや。子(し)曰(いわ)く、上下(じょうげ)すること常(つね)なきも、邪(じゃ)をなすにはあらざるなり。進退(しんたい)すること恒(つね)なきも、群(むれ)を離(はな)るるにはあらざるなり。君子(くんし)徳(とく)に進(すす)み業(ぎょう)を修(おさ)むるは、時(とき)に及(およ)ばんことを欲(ほっ)するなり。故(ゆえ)に咎(とが)なきなり。
九五(きゅうご)に曰(いわ)く。飛竜(ひりゅう)天(てん)に在(あ)り、大人(たいじん)を見(み)るに利(よ)ろしとは、何(なん)の謂(い)いぞや。子(し)曰(いわ)く、同声(どうせい)相(あ)い応(おう)じ、同気(どうき)相(あ)い求(もと)む。水(みず)は湿(うるお)えるに流(なが)れ、火(ひ)は燥(かわ)けるに就(つ)く。雲(くも)は竜(りゅう)に従(したが)い、風(かぜ)は虎(とら)に従(したが)う。聖人(せいじん)作(おこ)りて万物(ばんぶつ)観(み)る。天(てん)に本(もと)づく者(もの)は上(うえ)に親(した)しみ、地(ち)に本(もと)づく者(もの)は下(した)に親(した)しむ。すなわち各々(おのおの)その類(るい)に従(したが)うなり。
上九(じょうきゅう)に曰(いわ)く。亢竜(こうりゅう)悔(く)いありとは、何(なん)の謂(い)いぞや。子(し)曰(いわ)く、貴(たか)くして位(くらい)なく、高(たか)くして民(たみ)なく、賢人(けんじん)下位(かい)に在(あ)るも輔(たす)くるなし。ここをもって動(うご)きて悔(く)いあるなり。」
(しょきゅうにいわく。せんりゅうもちうるなかれとは、なんのいいぞや。しいわく、りゅうとくありてかくれたるものなり。よにかえず、なをなさず、よをのがれてうれうるなく、ぜとせられずしてうれうるなし。たのしめばこれをおこない、うれうればこれをさる。かっことしてそれぬくべからざるは、せんりゅうなり。
きゅうじにいわく。けんりゅうでんにあり、たいじんをみるによろしとは、なんのいいぞや。しいわく、りゅうとくありてせいちゅうなるものなり。ようげんこれまことにし、ようぎょうこれつつしみ、じゃをふせぎてそのまことをぞんし、よによくしてほこらず、とくひろくしてかす。えきにいわく、けんりゅうでんにありたいじんをみるによろしとは、くんとくあるなり。
きゅうさんにいわく。くんししゅうじつけんけんし、ゆうべにてきじゃくたり、あやうけれどもとがなしとは、なんのいいぞや。しいわく、くんしはとくにすすみぎょうをおさむ。ちゅうしんはとくにすすむゆえんなり。ことばをおさめそのまことをたつるは、ぎょうにおるゆえんなり。いたるをしりてこれにいたる、ともにきをいうべきなり。おわるをしりてこれをおわる、ともにぎをぞんすべきなり。このゆえにじょういにおりておごらず、かいにありてうれえず。ゆえにけんけんす。そのときによりておそる。あやうしといえどもとがなきなり。
きゅうしにいわく。あるいはおどりてふちにあり、とがなしとは、なんのいいぞや。しいわく、じょうげすることつねなきも、じゃをなすにはあらざるなり。しんたいすることつねなきも、ねれをはなるるにはあらざるなり。くんしとくにすすみぎょうをおさむるは、ときにおよばんことをほっするなり。ゆえにとがなきなり。
きゅうごにいわく。ひりゅうてんにあり、たいじんをみるによろしとは、なんのいいぞや。しいわく、どうせいあいおうじ、どうきあいもとむ。みずはうるおえるにながれ、ひはかわけるにつく。くもはりゅうにしたがい、かぜはとらにしたがう。せいじんおこりてばんぶつみる。てんにもとづくものはうえにしたしみ、ちにもとづくものはしたにしたしむ。すなわちおのおのそのるいにしたがうなり。
じょうきゅうにいわく。こうりゅうくいありとは、なんのいいぞや。しいわく、たかくしてくらいなく、たかくしてたみなく、けんじんかいにあるもたすくるなし。ここをもってうごきてくいあるなり。)
「第三節」
「潜龍勿用。下也。見龍在田。時舍也。終日乾乾。行事也。或躍在淵。自試也。飛龍在天。上治也。亢龍有悔。窮之災也。乾元用九。天下治也。」
「潜竜(せんりゅう)用(もち)うるなかれとは、下(しも)なればなり。見竜(けんりゅう)田(でん)に在(あ)りとは、時(とき)舎(す)つるなり。終日(しゅうじつ)乾乾(けんけん)すとは、事(こと)を行(おこ)なうなり。あるいは躍(おど)りて淵(ふち)に在(あ)りとは、みずから試(こころ)みるなり。飛竜(ひりゅう)天(てん)に在(あ)りとは、上(かみ)にして治(おさ)むるなり。亢竜(こうりゅう)悔(く)いありとは、窮(きわ)まるの災(わざわ)いあるなり。乾元(けんげん)の用九(ようく)は、天下(てんか)治(おさ)まるなり。」
(せんりゅうもちうるなかれとは、しもなればなり。けんりゅうでんにありとは、ときすつるなり。しゅうじつけんけんすとは、ことをおこなうなり。あるいはおどりてふちにありとは、みずからこころみるなり。ひりゅうてんにありとは、かみにしておさむるなり。こうりゅうくいありとは、きわまるのわざわいあるなり。けんげんのようくは、てんかおさまるなり。
じょうきゅうにいわく。こうりゅうくいありとは、なんのいいぞや。しいわく、たかくしてくらいなく、たかくしてたみなく、けんじんかいにあるもたすくるなし。ここをもってうごきてくいあるなり。)
「第四節」
「潜龍勿用。陽氣潛藏。見龍在田。天下文明。終日乾乾。與時偕行。或躍在淵。乾道乃革。飛龍在天。乃位乎天德。亢龍有悔。與時偕極。乾元用九。乃見天則。」
「潜竜(せんりゅう)用(もち)うるなかれとは、陽気(ようき)潜蔵(せんぞう)すればなり。見竜(けんりゅう)田(でん)に在(あ)りとは、天下(てんか)文明(ぶんめい)なるなり。終日(しゅうじつ)乾乾(けんけん)すとは、時(とき)とともに行(おこ)なうなり。あるいは躍(おど)りて淵(ふち)に在(あ)りとは、乾道(けんどう)すなわち革(あらた)まるなり。飛竜(ひりゅう)天(てん)に在(あ)りとは、すなわち天徳(てんとく)に位(くらい)するなり。亢竜(こうりゅう)悔(く)いありとは、時(とき)とともに極(きわ)まるなり。乾元(けんげん)の用九(ようく)は、すなわち天(てん)の則(のり)を見(しめ)すなり。」
(せんりゅうもちうるなかれとは、ようきせんぞうすればなり。けんりゅうでんにありとは、てんかぶんめいなるなり。しゅうじつけんけんすとは、ときとともにおこなうなり。あるいはおどりてふちにありとは、けんどうすなわちあらたまるなり。ひりゅうてんにありとは、すなわちてんとくにくらいするなり。こうりゅうくいありとは、ときとともにきわまるなり。けんげんのようくは、すなわちてんののりをしめすなり。)
「第五節」
「乾元者。始而亨者也。利貞者。性情也。乾始能以美利利天下。不言所利。大矣哉。大哉乾乎。剛健中正。純粋精也。六爻發揮。旁通情也。時乘六龍。以御天也。雲行雨施。天下平也。」
「乾元(けんげん)は、始(はじめ)にして亨(とお)るものなり。利貞(りてい)は、性情(せいじょう)なり。乾始(けんし)は能(よ)く美利(びり)をもって天下(てんか)を利(り)し、利(り)するところを言(い)わず、大(だい)なるかな。乾(けん)は大(だい)なるかな、剛健(ごうけん)中正(ちゅうせい)、純粋(じゅんすい)にして精(せい)なり。六爻(ろっこう)発揮(はっき)して、旁(あまね)く情(じょう)を通(つう)ずるなり。時(とき)に六竜(ろくりゅう)に乗(じょう)じて、もって天(てん)を御(ぎょ)するなり。雲(くも)行(い)き雨(あめ)施(ほどこ)して、天下(てんか)平(たい)らかなるなり。」
(けんげんは、はじめにしてとおるものなり。りていは、せいじょうなり。けんしはよくびりをもっててんかをりし、りするところをいわず、だいなるかな。けんはだいなるかな、ごうけんちゅうせい、じゅんすいにしてせいなり。ろっこうはっきして、あまねくじょうをつうずるなり。ときにろくりゅうにじょうじて、もっててんをぎょするなり。くもいきあめほどこして、てんかたいらかなるなり。)
「第六節」
「君子以成德爲行。日可見之行也。潛之爲言也。隱而未見。行而未成。是以君子弗用也。
君子學以聚之。問以辯之。寛以居之。仁以行之。易曰。見龍在田。利見大人。君德也。
九三。重剛而不中。上不在天。下不在田。故乾乾。因其時而惕。雖危无咎矣。
九四。重剛而不中。上不在天。下不在田。中不在人。故或之。或之者。疑之也。故无咎。
夫大人者。與天地合其德。與日月合其明。與四時合其序。與鬼神合其吉凶。先天而天弗違。後天而奉天時。天且弗違。而況於人乎。況於鬼神乎。
亢之爲言也。知進而不知退。知存而不知亡。知得而不知喪。其唯聖人乎。知進退存亡。而不失其正者。其唯聖人乎。」
「君子(くんし)は成徳(せいとく)をもって行(おこ)ないを為(な)し、日(ひび)にこれを行(おこ)ないに見(あら)わすべきなり。潜(せん)の言(げん)たる、隠(かく)れていまだ見(あら)われず、行(おこ)ないていまだ成(な)らざるなり。ここをもって君子(くんし)は用(もち)いざるなり。
君子(くんし)は学(がく)もってこれを聚(あつ)め、問(もん)もってこれを辯(わか)ち、寛(かん)もってこれに居(お)り、仁(じん)もってこれを行(おこ)なう。易(えき)に曰(いわ)く、見竜(けんりゅう)田(でん)に在(あ)り、大人(たいじん)を見(み)るに利(よ)ろしとは、君徳(くんとく)あるなり。
九三(きゅうさん)は重剛(ちょうごう)にして中(ちゅう)ならず。上(かみ)は天(てん)に在(あ)らず、下(しも)は田(た)に在(あ)らず。故(ゆえ)に乾乾(けんけん)す。その時(とき)に因(よ)りて惕(おそ)る。危(あや)うしといえども咎(とが)なきなり。
九四(きゅうし)は重剛(ちょうごう)にして中(ちゅう)ならず。上(かみ)は天(てん)に在(あ)らず、下(しも)は田(た)に在(あ)らず、中(なか)は人(ひと)に在(あ)らず。故(ゆえ)にこれを或(わく)す。これを或(わく)すとは、これを疑(うたが)うなり。故(ゆえ)に咎(とが)なきなり。
それ大人(たいじん)は、天地(てんち)とその徳(とく)を合(あわ)せ、日月(ひつき)とその明(みん)を合(あわ)せ、四時(しじ)とその序(じょ)を合(あわ)せ、鬼神(きしん)とその吉凶(きっきょう)を合(あわ)わす。天(てん)に先(さき)だちて天(てん)違(たが)わず、天(てん)に後(おく)れて天(てん)の時(とき)を奉(ほう)ず。天(てん)すら且(か)つ違(たが)わず、しかるをいわんや人(ひと)においてをや、いわんや鬼神(きしん)においてをや。
亢(こう)の言(げん)たる、進(すす)むを知(し)って退(しりぞ)くを知(し)らず、存(ぞん)するを知(し)って亡(ほろ)ぶるを知(し)らず、得(え)るを知(し)って喪(うしな)うを知(し)らざるなり。それただ聖人(せいじん)か。進退(しんたい)存亡(そんぼう)を知(し)って、その正(せい)を失(うしな)わざる者(もの)は、それただ聖人(せいじん)か。」
(くんしはせいとくをもっておこないをなし、ひびにこれをおこないにあらわすべきなり。せんのげんたる、かくれていまだあらわれず、おこないていまだならざるなり。ここをもってくんしはもちいざるなり。
くんしはがくもってこれをあつめ、もんもってこれをわかち、かんもってこれにおり、じんもってこれをおこなう。えきにいわく、けんりゅうでんにあり、たいじんをみるによろしとは、くんとくあるなり。
きゅうさんはちょうごうにしてちゅうならず。かみはてんにあらず、しもはたにあらず。ゆえにけんけんす。そのときによりておそる。あやうしといえどもとがなきなり。
きゅうしはちょうごうにしてちゅうならず。かみはてんにあらず、しもはたにあらず、なかはひとにあらず。ゆえにこれをわくす。これをわくすとは、これをうたがうなり。ゆえにとがなきなり。
それたいじんは、てんちとそのとくをあわせ、ひつきとそのみんをあわせ、しじとそのじょをあわせ、きしんとそのきっきょうをあわわす。てんにさきだちててんたがわず、てんにおくれててんのときをほうず。てんすらかつたがわず、しかるをいわんやひとにおいてをや、いわんやきしんにおいてをや。
こうのげんたる、すすむをしってしりぞくをしらず、ぞんするをしってほろぶるをしらず、えるをしってうしなうをしらざるなり。それただせいじんか。しんたいそんぼうをしって、そのせいをうしなわざるものは、それただせいじんか。)
「坤為地」
「文言曰。坤至柔而動也剛。至靜而德方。後得主而有常。含萬物而化光。坤道其順乎。承天而時行。
積善之家。必有餘慶。積不善之家。必有餘殃。臣弑其君。子弑其父。非一朝一夕之故。其所由來者漸矣。由辯之不早辯也。易曰。履霜堅冰至。蓋言順也。
直其正也。方其義也。君子敬以直内。義以方外。敬義立而德不孤。直方大。不習无不利。則不疑其所行也。
陰雖有美。含之以從王事。弗敢成也。地道也。妻道也。臣道也。地道无成。而代有終也。
天地變化。草木蕃。天地閉。賢人隱。易曰。括嚢。无咎无誉。蓋言謹也。
君子黄中通理。正位居體。美在其中。而暢於四支。發於事業。美之至也。
陰疑於陽必戰。爲其嫌於无陽也。故稱龍焉。猶未離其類也。故稱血焉。夫玄黄者。天地之雜也。天玄而地黄。」
「文言(ぶんげん)に曰(いわ)く、坤(こん)は至柔(しじゅう)にして動(うご)くや剛(ごう)なり。至静(しせい)にして徳方(とくほう)なり。後(おく)るれば主(しゅ)を得(え)て常(つね)あり。万物(ばんぶつ)を含(ふく)んで化(か)光(おお)いなり。坤道(こんどう)はそれ順(じゅん)なるか。天(てん)を承(う)けて時(とき)に行(おこ)なう。
積善(せきぜん)の家(いえ)には必(かなら)ず余慶(よけい)あり。積(せき)不善(ふぜん)の家(いえ)には必(かなら)ず余殃(よおう)あり。臣(しん)にしてその君(くん)を弑(しい)し、子(こ)にしてその父(ちち)を弑(しい)するは、一朝一夕(いっちょういっせき)の故(こと)にあらず。その由(よ)って来(きた)るところのもの漸(ぜん)なり。これを弁(べん)じて早(はや)く弁(べん)ぜざるに由(よ)るなり。易(えき)に曰(いわ)く、霜(しも)を履(ふ)んで堅氷(けんぴょう)至(いた)ると。蓋(けだ)し順(じゅん)なるを言(い)えるなり。
直(ちょく)はそれ正(せい)なり、方(ほう)はそれ義(ぎ)なり。君子(くんし)は敬(けい)もって内(うち)を直(なお)くし、義(ぎ)もって外(そと)を方(ほう)にす。敬義(けいぎ)立(た)てば徳(とく)孤(こ)ならず。直(ちょく)・方(ほう)・大(だい)なり、習(なら)わざれども利(よ)ろしからざるなしとは、その行(おこ)なうところを疑(うたが)わざるなり。
陰(いん)は美(び)ありといえども、これを含(ふく)んでもって王事(おうじ)に従(したが)い、あえて成(な)さざるなり。地(ち)の道(みち)なり、妻(つま)の道(みち)なり、臣(しん)の道(みち)なり。地(ち)の道(みち)は成(な)すことなくして、代(かわ)って終(おわ)り有(あ)るなり。
天地(てんち)変化(へんか)して、草木(くさき)蕃(しげ)く、天地(てんち)閉(と)じて、賢人(けんじん)隠(かく)る。易(えき)に曰(いわ)く、嚢(ふくろ)を括(くく)る、咎(とが)もなく誉(ほま)れもなしと。蓋(けだ)し謹(つつし)むべきを言(い)えるなり。
君子(くんし)は黄中(こうちゅう)にして理(り)に通(つう)じ、正位(せいい)にして体(たい)に居(お)る。美(び)その中(なか)に在(あ)って、四支(しし)に暢(の)び、事業(じぎょう)に発(はっ)す。美(び)の至(いた)りなり。
陰(いん)、陽(よう)に疑(うたが)わしきときは必(かなら)ず戦(たたか)う。その陽(よう)なきに嫌(うたが)わしきがために、故(ゆえ)に竜(りゅう)と称(しょう)す。なおいまだその類(るい)を離(はな)れず、故(ゆえ)に血(ち)と称(しょう)す。それ玄黄(げんこう)は、天地(てんち)の雑(まじわ)りなり。天(てん)は玄(げん)にして地(ち)は黄(こう)なり。」
(ぶんげんにいわく、こんはしじゅうにしてうごくやごうなり。しせいにしてとくほうなり。おくるればしゅをえてつねあり。ばんぶつをふくんでかおおいなり。こんどうはそれじゅんなるか。てんをうけてときにおこなう。
せきぜんのいえにはかならずよけいあり。せきふぜんのいえにはかならずよおうあり。しんにしてそのくんをしいし、こにしてそのちちをしいするは、いっちょういっせきのことにあらず。そのよってきたるところのものぜんなり。これをべんじてはやくべんぜざるによるなり。えきにいわく、しもをふんでけんぴょういたると。けだしじゅんなるをいえるなり。
ちょくはそれせいなり、ほうはそれぎなり。くんしはけいもってうちをなおくし、ぎもってそとをほうにす。けいぎたてばとくこならず。ちょく・ほう・だいなり、ならわざれどもよろしからざるなしとは、そのおこなうところをうたがわざるなり。
いんはびありといえども、これをふくんでもっておうじにしたがい、あえてなさざるなり。ちのみちなり、つまのみちなり、しんのみちなり。ちのみちはなすことなくして、かわっておわりあるなり。
てんちへんかして、くさきしげく、てんちとじて、けんじんかくる。えきにいわく、ふくろをくくる、とがもなくほまれもなしと。けだしつつしむべきをいえるなり。
くんしはこうちゅうにしてりにつうじ、せいいにしてたいにおる。びそのなかにあって、ししにのび、じぎょうにはっす。びのいたりなり。
いん、ようにうたがわしきときはかならずたたかう。そのようなきにうたがわしきがために、ゆえにりゅうとしょうす。なおいまだそのるいをはなれず、ゆえにちとしょうす。それげんこうは、てんちのまじわりなり。てんはげんにしてちはこうなり。)