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記号創発スタディノート#4 どんな分野とつながっているのか? ~学術融合で発展する記号創発システム論

こんにちは、記号創発アウトリーチチームです。本連載「記号創発スタディノート」は、京都大学の谷口忠大(通称:たにちゅー)教授を中心に10年以上にわたり展開されてきた「記号創発システム論」について、その可能性と意義、中心的な手法、今後の展望についてコンパクトに解説するシリーズです。

◆これまでの回:
第1回:なぜ、いま記号創発システム論なのか? ~生成AI時代の「意味」の新学理へ
・第2回:記号創発システム論は何を問う? ~記号接地問題から「記号創発問題」へ
第3回:記号創発システムとは何か? ~認知・社会と記号のループ構造

復習:記号創発システム

前回(第3回)は「記号創発システム」の全体像に辿り着きました。その概略図を再掲します。

上図の通り、記号創発システムとは、エージェント(人間やロボット)が物理的世界(環境)と相互作用しながら社会を構成し、コミュニケーションを行う中で、「創発的な記号システム」が自己組織化し、それが個々人に制約を与える構造全体を記述したものです。記号創発システム論は、このシステムが現実にどのように作動しているのか/しうるのかを、数理モデルやロボットを駆使したモデル化によって解き明かすことを目指します。次回以降、その具体的な方法や研究事例を見ていきます。

その前に今回は、記号創発システム論の他の学問との関係を見ておきたいと思います。15年ほど前に構想が生まれた記号創発システム論は、まだまだ若い、エマージングな領域です。多くの既存分野と対話し、その蓄積を取り込みながら、発展を遂げているさなかにあります。では、記号創発システム論は、どのような分野を土台とし、どのような分野と協働し、どのような分野における応用が見込まれるのでしょうか

読者の皆様が、それぞれの専門分野や興味関心を足がかりに、記号創発システム論との接点を考えるヒントになればと思います。

記号創発システム論は「学術融合」で創られる

学問は分野(discipline)に分かれています。それぞれの分野は、研究の目的や手法や対象を同じくする人々がコミュニティを形成し、知識を交換・蓄積するための言葉(専門用語)を共有しています。研究分野に区切り目があることは、コミュニティの関心に沿って効率的に学術探究を進めるうえで合理的な面もありますが、一つの分野で対応できないこともありますし、学問の発展にとって学問分野の狭間の領域にフロンティアが見つかることもあります。そこで、各分野の知見を持ち寄り、それぞれの言葉を翻訳しながら同じ問題を解こうとする、学際的(interdisciplinary)な議論の重要性が強調されます。過去数年の日本の科学政策では「総合知」が一つのキーワードとなってきました。

記号創発システム論は、そうした学際性から一歩進んで、学術融合(学融)的な議論を目指します。つまり、既存の各分野の視点から記号創発システムを分析するだけでなく、記号創発システム論という新しい体系ないし枠組みを他分野との協働のもと作ろうとしているのです。その過程では、記号創発システム論に固有の新しい概念も創られていきます(例:「創発的記号システム」、「集合的予測符号化」など)。諸分野の蓄積から学んで新しい枠組みを整備した暁には、協働してきた隣接分野の問題を、今度は記号創発システム論の概念を通して捉え直すこともできるようになります。

記号創発システム論の5つの顔

記号創発システム論は、人の心の現象から社会現象に至るまでに多くの現象を対象とするため、とりわけ多彩な学問領域との学術融合の可能性を秘めています。記号創発システム論は、他分野との関係性において様々な顔を持つフレームワークであると言えます。すでにみられるコラボレーションの状況を参照しつつ、ここでは記号創発システム論の「5つの顔」をあげてみたいと思います。

  1. 「意味」をめぐる人文学を引き継ぐ記号創発システム論

  2.  AI・ロボティクスへのアプローチとしての記号創発システム論

  3.  認知科学の新フレームワークとしての記号創発システム論

  4.  社会現象を捉える理論枠組みとしての記号創発システム論

  5.  AI共生社会を捉える世界観としての記号創発システム論

なお、この5分類は、本記事で多様な分野との接点を紹介するための便宜的な整理です。記号創発システム論と他分野とのリンクの引き方は当然これに限りません。それこそ、今後の分野の展開とともにいくらでも「創発」していくものでしょう。ここではあくまで暫定的に、この5つに沿って見ていきましょう。

1.「意味」をめぐる人文学を引き継ぐ記号創発システム論

記号創発システム論は、「意味」をめぐる人文学の諸分野を土台としながら創られてきました。その代表が、第1回で触れたパースの記号論です。同じくパースが重要な役割を果たしたプラグマティズムの哲学や、発達心理学者の草分けであるジャン・ピアジェの発生的認識論もベースになっています。また、「情報」概念の捉え直しを行った20世紀後半のオートポイエーシス論などのネオサイバネティクス、その系譜の中にある西垣通氏(東京大学名誉教授)を中心に展開されてきた基礎情報学からも、記号創発システム論は影響を受けています。社会的相互作用のなかでの意味形成を論じてきた文化心理学との関係性も探索されています。

これらの学問に共通するのは、第2回でみたような静的なコンピュータの「記号」ではなく、記号やその意味、あるいは情報という概念を動的なものと見る視点です。記号創発システム論とネオサイバネティクスやプラグマティズムを深いレイヤーで比較し、互いの視点を翻訳する対話がすでに進んでいます(例:『未来社会と「意味」の境界』)。その他の人文学との接点としては、近年ブームが再来しているアンリ・ベルクソンの時間・記憶の哲学との接点も生じ始めており、今後の展開が期待されます。

2.AI・ロボティクスへのアプローチとしての記号創発システム論

記号創発システム論の提唱者である谷口忠大(京都大学教授)は機械工学の出身であり、この分野はロボティクスを中心に展開してきた経緯を持ちます。2000年代に浅田稔氏(大阪大学名誉教授)が提唱した認知発達ロボティクスの系譜の中に位置付けることもできます。2010年代のディープラーニング(深層学習)の登場後、いち早くそのロボティクス応用の可能性を見出し「深層予測学習」を掲げた尾形哲也氏(早稲田大学教授)は記号創発ロボティクスの中心人物の一人です。記号創発システム論のモデリングには統計的機械学習の手法が多く使われるほか、自然言語処理の課題や環境から自ら学習するロボットへの応用にもつながる研究が展開されています。

大規模言語モデルの登場により、言語処理で卓越したAIの次のフロンティアとして現実世界で動くロボットの知能が着目されるなか、その中心的な概念となる世界モデルの学習を記号創発システム論の枠組みで捉える研究も進んでいます。

3. 認知科学の新フレームワークとしての記号創発システム論

「科学としての記号創発システム論」が最も多くの問いを共有しているのは認知科学の諸分野ではないでしょうか。記号創発システム論における「内的表象の表現学習がどのように起こるのか?」という問いは、認知科学の中心的な問いです。より具体的には、「子どもはどのように言語を取得するのか?」「情動/感情とは何か?」「好奇心とは何か?」といった問題に対して、記号創発システム論からのアプローチが可能です。さらに、近年盛り上がる意識研究(人間や動物の「意識」とは何か、どのように生じているのかを哲学、数理、神経科学、認知科学などから考える学際的分野)と記号創発システム論との接点も生まれ始めています。また、言語習得に関する記号創発システム論を言語(とくに英語)教育に応用しようという試みもあります。

認知科学のなかでは、認知の機能を「脳」に局限して考えるのではなく、身体や環境の役割に着目する流れがあり、その代表例がエナクティビズムと呼ばれる枠組みです。エナクティビズムと関連の深い哲学の伝統的分野である現象学との対話も始まっています。神経科学生物学とも、問いや概念的道具立てを多く共有している部分があります(例:能動的推論予測符号化)。

4.社会現象を捉える理論枠組みとしての記号創発システム論

記号創発システム論は社会に関するシステム論でもあります。言語を代表とする記号システムは、あるときは倫理的規範として、またあるときは明示的に文章化された法律として、私たちの社会の秩序を形作ります。そのような規範や法システムの創発を記号創発システム論の視点からとらえる余地があるため、倫理学法学との接点がありえます。また、社会科学の中では、個人と社会のミクロ・マクロ・ループを数学的に議論してきた経済学はとりわけ相性がよい分野かもしれません。

歴史を通してどのような文化や言語が生成・変化するのかを問う文化進化論言語進化も記号創発システム論と関係の深い分野です(共同研究例)。研究者コミュニティが集団的に行っている科学(学術)研究の営みそのものが、まさに一種の記号創発システムであることに着目した、科学のモデル化の試みも始まっています。科学的な営みを科学する、メタサイエンスとしての記号創発システム論の役割も今後期待され、そこでは科学哲学との対話が重要になります。

5.AI共生社会を捉える世界観としての記号創発システム論

本連載の第1回では、記号創発システム論は「生成AI時代の意味の学理」であるというお話をしました。AIがこれほどまでに社会に入り込んできたときに、私たちの社会や言葉がどのように変化していくのか、これを包括的に語る学問は現時点で存在していません。AIの振る舞いを、人間や人間集団の意図や価値観と整合させるという問題意識はAIアライメントと呼ばれますが、集合的なAIアライメントの理論としての記号創発システム論の構築が急がれます。

さらに、記号創発システム論の研究者以外にとっての意義についても強調しておきたいと思います。記号創発システム論は世界を捉える一つのレンズの役割を果たします。社会の秩序をつくり私たちの行動を規定する言葉の意味をダイナミックな視点、「人間を超えていく知能」としてではなく人間とともに意味を創発する存在としてのAI観。個々人の行動が記号創発という「遅い」プロセスを介してトップダウンの作用を通して戻ってくるというシステム論的な視点——記号創発システム論は、これからAIと共生する私たち一人一人にオルタナティブな世界観(ワールドビュー)を提供できる可能性もあります。そうした「世界観としての記号創発システム論」をより見通し良く提示していくことも、今後課題と言えるでしょう。

以上の1~5をまとめたのが下図です。

おわりに

以上、足早に記号創発システム論の関連分野を見てきました。繰り返しになりますが、以上は一つの整理案でしかありません。また、上記以外の多くの学問分野との接点が生まれてくるはずです。

このように多くの分野と協働できる点は、記号創発システム論の特徴と言えます。どんな学術研究も、着目する現象や対象を、ある「系(システム)」として切り出すことから始まりますが、記号創発システム論が着目する「記号創発システム」という系はとりわけ大きく、しかも「内的表象」と「外的表象」をどちらも可変項としているために表現力が高く、多くの学問分野の問いを記号創発システム論の問いとして扱うことができるのです(ただし当然、それは記号創発システム論に「還元」できることを意味しません)。

すでに、それぞれの分野との協働で具体的な成果が多く出てきており、今後もますますの展開が期待できます。ぜひ関心を持っていただいた方は、自身の分野から議論の輪に入っていただき、学術融合領域としての記号創発システム論の発展の一員となっていただければと思います。また、これから専門分野を決める学生の皆様は、記号創発システム論の研究室に進学するのも良いですし、いったん別の分野を学んでから、そこと記号創発システム論の接点を探るのも良いと思います。

ここまでで、大まかに記号創発システム論のモチベーションと世界観を示したPart 1の終了です。次回は、記号創発システムをどう数学的にモデル化するかについて見ていきます。


【さらに学ぶための参考文献】
谷口忠大(編)『記号創発システム論』(新曜社、2024)…ワードマップの形式で記号創発システム論と接点があるコンセプトを広く網羅。その分野の第一線の研究者が解説。興味のある著者・興味のある学問分野を扱っている章からぜひ読んでみてください。

谷口忠大・河島茂生・井上明人(編著)『未来社会と「意味」の境界:記号創発システム論/ネオ・サイバネティクス/プラグマティズム』(勁草書房、2023年)…「意味」というキーワード巡って、記号創発システム論と、プラグマティズム、ネオサイバネティクスの諸分野の研究者が議論し、まとめた共著書。「学術融合的な議論」を体感できる一冊です。

◆横澤一彦(編)『認知科学講座4 心をとらえるフレームワークの展開』(東京大学出版会、2022年)…認知科学の新展開ともいえる最先端のフレームワークを提示する共著書。「プロジェクション科学」「自由エネルギー原理」「圏論による認知の理解」といったトピックに並んで、第6章で「記号創発ロボティクス」が取り上げられています(分担執筆者:谷口忠大)。心の理論に興味のある方や、認知科学をバックグランドとする方はこのシリーズから入門するのもおすすめです。


監修:谷口忠大教授
執筆:丸山隆一(記号創発アウトリーチチーム)
謝辞:谷島貫太先生はじめ、R-GIRO記号創発システム科学創成PJの皆様

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