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慢性炎症と21世紀病の背後にあるマイクロバイオームの変化
人はなぜ生まれるのだろう?
この問いについていろんな角度から眺めるのも楽しそうだけれど、生物学的には適切な時期に精子と卵子が出会うという原因があり、母親のお腹で10ヶ月ほど過ごすという過程はそれほど変わらない。
一方、人が死ぬ原因や過程はいろいろある。
いろんな死因を並べ立てると悲しくなってくるのでここでは書かないけれど、天寿をまっとうして老衰で亡くなる以外に、事故や病気による急死、じわじわ悪くなる病気などのさまざまな死因が知られている。
ほんの100年200年前までは、主な死因は肺炎、胃腸炎、結核などのいわゆる感染症が占めていた。それが今では、がんや心疾患などの生活習慣病がトップに躍り出ている(1)。
これは、抗生物質などの登場のおかげで感染症で命を落とす人が減ったということだけが理由だろうか。おそらく違う。
生活習慣病は、死因の表彰台に上がっただけではない。
直接の死因にならなくとも、がん、Ⅱ型糖尿病、高血圧症、脂質異常症などは実際に罹患数が増えている疾患だ。先述の「じわじわ悪くなる病気」は、圧倒的に増えている。
単なる過体重ではない肥満は「肥満症」と呼ばれ、これはれっきとした病気扱いになる(2)。
実は、生活習慣病と並んでここ50年ほどで急増している疾患はたくさんある。
アレルギー疾患、精神疾患、炎症性腸疾患、過敏性腸症候群、自閉スペクトラム症など、挙げればきりがない。これらの疾患は、生活習慣病と併せて「21世紀病(3, p45)」と呼ばれることもある。
21世紀を迎える前後で、急激に増えてきたからだ。
・本文中のカッコ付き番号は、記事下部の参考文献の番号を表しています。
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21世紀病はふつうの存在
ふつうとは、なんだろう?
多くの場合、ふつうとは多数派または平均的であることを指す。
「ふつうの成績」「ふつうの服装」「ふつうの年収」「ふつうの暮らし」
普通なんて存在しないぜ! というしごくもっともな正論もあるが、目安として多数派または平均からそれほど逸脱していないことを「ふつう」と呼んだりする。
では、健康であることは「ふつう」で、病気であることは「特別」だろうか?
健康であることの定義にもよるけれど、医学的な疾患を持たないということがそこに含まれているとすれば、今の時代に健康な人は多数派ではないかもしれない。
祖父母や両親ががんにかかったことはないだろうか。
あなたの子ども、あるいは子どものクラスに、食品アレルギーを持つ子は何人いるだろう。
習い事の先生の姪っ子さんが、Ⅰ型糖尿病だと聞かなかっただろうか。
会社の上司が健康診断にひっかかったと言っていないだろうか。
職場でひとりかふたり、うつで休職している人はいないだろうか。
久しぶりに会った学生時代の友人の子どもが、発達障害ではなかっただろうか。
付き合っている彼氏が、お腹の弱いタイプではないだろうか。
彼女は生理前にすごく体調が悪くなり、イライラしていないだろうか。
あなたは、彼らに囲まれてただひとり「ほとんど毎日、心身ともに健康である」幸運な人だろうか。
それともあなたも、ああ、花粉症という季節限定の病人だろうか。
国民の平均点よりは上の健康度であっても、こういった疾患の少なくとも1つは持っているという人はゴマンといる。
不思議なことに、こういった病気を持つ人の多くは先進国に生まれ、ある程度恵まれている生活を送っているという共通点がある。
しかも、本来は健康であるはずの若い人に多く発症しているのだ。
21世紀病と慢性炎症
同じ時期に、同じような場所で同じような属性の人々のあいだで急速に蔓延した21世紀病。これらは、特定の病原体にその原因を帰結させる従来の感染症の定義には当てはまらないように見える。
では、これらの病気はたまたま同時に流行りはじめたのだろうか? ちょっとそうは考えにくい。
では、感染症が目立たなくなったおかげで流行っているように見えているのだろうか? 診断がわかりやすいⅠ型糖尿病の罹患数を見ても、その推測は外れだ。
明らかな共通の原因が見つからないまま、21世紀病は同時に増えはじめた。
では視点を変えよう。
21世紀病では何が起こっているのだろうか。そこには共通点と言えるようなものがあるのだろうか。
アレルギー内科、精神発達科、消化器科など各専門家が多くの患者を観察し、ある共通点が見えた。
それは、免疫システムの暴走による慢性炎症状態と、腸の不調だった。
私たちの体で炎症が起こっている。
それ自体は、決して悪いことでもおかしなことでもない。
免疫というシステムは、私たち自身の身体が外部の病原体などの異物に乗っ取られないために、炎症を起こしてそれらを排除する。
けれど、免疫システムがなんらかの原因で、ありもしない異物(または自分自身)に過剰に働いてしまうと、それはかなり困ったことになる。
慢性的に炎症が起こり、私たちの体は常に傷つけられ、本当に必要なときに免疫システムがうまく作動しない。
この「慢性炎症」と呼ばれる状態は、心疾患やがん、糖尿病、慢性腎臓病、非アルコール性肝炎、自己免疫疾患、精神疾患と深くつながっていることがわかってきた(4)。
どうして慢性炎症なんてものが起こるのだろう?
どうして私たちの免疫システムは、ちょっとおバカになってしまったのだろう。
この原因を説明するひとつの説は「衛生仮説(5)」だ。
公衆衛生が発達し、私たちの免疫システムは病原体を含む多くの異物に出会うことが極端に減ってしまった。それゆえ、免疫細胞たちは学習機会を逃し、アレルギー反応などのおかしなふるまいをするようになってしまったという仮説だ。
現時点では、慢性炎症の原因とされるものは他にもある。
慢性炎症は細胞が老化する際に起こる現象のひとつとされていて、自分が原因のものとしてはDNAの損傷やテロメアの機能不全、エピゲノミックな(もともとの遺伝子以外の装飾的な)混乱、酸化ストレスなどが挙げられている。
外からの原因としては、慢性感染症、生活習慣病としての肥満、マイクロバイオームの撹乱(ディスバイオシス)、食事、社会または文化の変化、環境的または工業的な毒物が挙げられる。
実は近年、慢性炎症の原因の中でも特に注目されているのがマイクロバイオーム(微生物)だ。
慢性炎症とマイクロバイオーム 〜pathogen(病原体)からpathobiome(病原生態系)へ
マイクロバイオーム(細菌などの微生物)と免疫システムの関係は切っても切り離せない。
そもそも免疫は病原体としての微生物を排除するためにあると言っても過言ではないが、それだけが理由ではない。
私たちの体には、何十兆もの、あるいはそれ以上のマイクロバイオームが共生している。彼らはどうして免疫システムに排除されないのだろう?
実は、彼らの存在こそが免疫システムの過剰暴走を止める役割を果たしていることが最近になってわかってきた。
衛生仮説の新たなバリエーションとして、その仮説は「旧友仮説(old friends hypothesis)」(6)と呼ばれる。
つまり、こういうことだ。
私たちの体には、先祖代々受け継がれてきた共生マイクロバイオームたちがいて、彼らが免疫システムの手綱の一部を握ってくれていた。
けれど、公衆衛生の向上や抗生物質の使用、出産方法の変化などによって、その絶妙な共生バランスが崩れてきた。
その結果、私たちの体は「旧友」を失い、免疫システムは無鉄砲になりはじめているというのだ。
微生物、特に細菌やウイルスに対して、私たちはここ数百年のあいだ神経質になりすぎていた。彼らは病原体(pathogen)になりうることが多々あったし、それは命取りになったからだ。
けれど、病原体以外の様々な細菌たちはどうだろう。彼らをも遠ざけることで、私たちは病気を近づけているのかもしれない。
特定の病原体がいるから病気になるのではなく、その他大勢の微生物たちの不在によって、21世紀病が爆発的に増えているとしたら。
いなくなってしまったのは、誰なのだろう。
アフリカの原住民たちのマイクロバイオームにその一端を垣間見ることはできても、失ってしまった私たちの旧友たちの姿は、今では想像するしかない。
慢性炎症に関わる疾患を引き起こす微生物の不在。
それを、科学者たちは病原体(pathogen)に代わって”pathobiome”(病原生態系)(7)と呼ぶ。
その生態系は、本来の共生バランスがとれている生態系とは異なり、異常な構成をとる。特に、抗生物質などによって一部の細菌だけがダメージを受けたあとなどは、この「共生バランス失調(8, p226)」状態に陥りやすい。
バランスの崩れた生態系は、すぐに世界を終わらせるわけではない。
けれど、明らかに持続可能ではない。偏った種構成はいつか何かを枯渇させたり、予期せぬ影響を運んでくるだろう。
1. 人口動態100年の年次推移. Accessed March 8, 2024. https://www.mhlw.go.jp/www1/toukei/10nengai_8/hyakunen.html
2. The Examination Committee of Criteria for `Obesity Disease’ in Japan JS for the S of O. New Criteria for `Obesity Disease’ in Japan. Circ J. 2002;66(11):987-992. doi:10.1253/circj.66.987
3. Collen A, アランナコリン. あなたの体は9割が細菌: 微生物の生態系が崩れはじめた. 河出書房新社; 2020.
4. Furman D, Campisi J, Verdin E, et al. Chronic inflammation in the etiology of disease across the life span. Nat Med. 2019;25(12):1822-1832. doi:10.1038/s41591-019-0675-0
5. Ege M, Rompa S. The Hygiene Hypothesis of Allergy and Asthma. In: Ratcliffe MJH, ed. Encyclopedia of Immunobiology. Academic Press; 2016:328-335. doi:10.1016/B978-0-12-374279-7.16004-7
6. Rook GAW. The old friends hypothesis: evolution, immunoregulation and essential microbial inputs. Front Allergy. 2023;4. doi:10.3389/falgy.2023.1220481
7. Vayssier-Taussat M, Albina E, Citti C, et al. Shifting the paradigm from pathogens to pathobiome: new concepts in the light of meta-omics. Front Cell Infect Microbiol. 2014;4:29. doi:10.3389/fcimb.2014.00029
8. ロブ・デサール, パーキンズスーザン・L. マイクロバイオームの世界――あなたの中と表面と周りにいる何兆もの微生物たち. 紀伊國屋書店; 2016.