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抗菌薬がヒトにも家畜にも爆発的に使われるようになった背景
前回の記事は、抗菌薬の発見によって人々がどんなに安心して暮らせるようになったか、その幸福感を思い浮かべながら書いた。
今回の記事では、安全で奇跡的な効き方をする抗菌薬に人々が虜になり、さらには家畜にまで使うようになった背景を見ていく。
本記事は「腸内細菌を語るうえで絶対に外せない抗菌薬を語る」のシリーズ記事です。
最初から順番に読むとより理解が深まります。
・本文中のカッコ付き番号は、記事下部の参考文献の番号を表しています。
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抗菌薬はいくら使ってもいい?
抗菌薬が安全で効果の高い薬だとわかると、製薬会社はこぞって抗菌薬の開発に乗り出した。
その結果、薬の値段は下がり、少なくとも先進国においては誰もが気軽に使える薬となった。
大きな外科手術を控えた人に、予防的に抗菌薬が処方された。
あるいは生死にかかわる深刻な感染症に罹った人以外にも、抗菌薬が処方されるようになった。
それも、生半可な規模ではない。
副鼻腔炎や抜歯後の感染予防、ニキビ治療にもたしかに抗菌薬は効く。
人々は、細菌に対してどんどん我慢できなくなってきた。
典型的な風邪症状である気道感染症は、ほとんどがウイルス性によるもので細菌には効かない。けれど、小児科での抗菌薬処方のうちの80%が気道感染症に対するものだ。
子どもが診察に来て、鼻や喉から粘液を採取して風邪の原因になるであろう細菌がいるかどうか、毎回培養検査しているのだろうか?
そんなはずはない。
多くの場合、20%未満の確率である細菌感染症だったケースに備えて、抗菌薬が処方されている。
さらに付け加えるなら、風邪のときに増える細菌は、普段は私たちの鼻腔内で他の無害な菌たちと暮らしているのだ。
それらは本当に悪い菌なのだろうか?
でも、そんなことをいちいち患者たちと議論するほど臨床医は暇ではない。
あとあと文句を言われないよう、念の為に抗菌薬を処方する場合もあれば、効かないとわかっていても親の精神安定剤的に処方する場合もある。
いいじゃないか。
多少の医療費はかかるけれど、抗菌薬そのものには何の害もないのだから。
長いあいだ、そう思われてきたのだ。
畜産農家にとっての福音
お肉は好きだろうか。
分厚いステーキ、ぐつぐつ煮えた豚しゃぶ、揚げたての鶏の唐揚げ。
好みの問題で肉をあまり食べない人もいるし(私だ)、菜食主義や宗教上の理由で食べない人もいる。
地球温暖化を理由に食べない人もいる。
けれど西洋化した食事に慣れた人々の多くにとって、肉食は幸福の象徴だ。
畜産農家たちが肉を安価にたくさん作ってくれるようになって、人々は幸福になった。
戦時中にさつまいものツルばかり食べていた人たちが、自分や自分たちの子どもに肉をいっぱい食べさせたいと思うのは自然な感情だろう。
その結果、牧場や原っぱで家畜たちが草をついばむ光景はほとんど過去のものとなった。
畜産農家たちは、立派な飼育場や養鶏場を作り、そこで家畜たちを効率的に育てるようになった。
みんなに肉を安く届けたい。
畜産農家のみならず、消費者まで続く長いサプライチェーン全体にあるその心意気や需要は、高度資本主義経済のもとでますます加速していった。
その延長線上として、抗菌薬が家畜を提供するのにプラスの役割を果たすことが見出された。家畜たちに抗菌薬を与えると、成長が促進されるのだ(Moore et al., 1946; Visek, 1978)。
抗菌薬を抽出したカビの残り物が家畜の餌にされていたことが発見のきっかけとなった。
この具体的なメカニズムは、動物の腸管内でビタミンB12を合成する細菌に有利な条件が生み出されることなどが知られている。
とにかく家畜はぶくぶく太り、抗菌薬入りのカビの残り物は「神々の食物」とさえ言われた。
家畜が早く成長すれば、その分多くの肉を出荷できる。畜産農家たちはおそらくはほとんど何のためらいもなく家畜たちに抗菌薬を与え続けた。
抗菌薬は細菌にしか害を及ぼさないし、窮屈で不衛生な飼育場で暮らす家畜たちの感染症予防にもなったからだ。
その結果、何が起こっただろう。
スーパーマーケットに並ぶ肉からは抗菌薬が検出され、肉には抗菌薬を使っても死なない「薬剤耐性菌」が見つかるようになった。
これはヒトに感染することも知られている。
20世紀の終わり、抗菌薬の使用を適正化するために、スウェーデン、続いてEUが家畜の餌に成長促進目的で抗菌薬を使用することを禁止した。
この取り組みにおいては、ヨーロッパがもっとも進んでいて、アメリカやアジアは遅れている。
そのヨーロッパでさえ、未だに家畜の餌に抗菌薬は使われている。法律には抜け穴が存在し、法律違反も横行している。
2024年に出たばかりの論文でも、イタリアの養豚場のあちらこちらで薬剤耐性遺伝子が見つかっている(Scicchitano et al., 2024)。
薬剤耐性菌の何が悪いのか?
肉に残る抗菌薬が多少私たちの体に入ったところで、どんな害があるというのだろう?
このnoteをお読みの多くの方には自明なことだろうけれど、ここで一度「抗菌薬の影」に目を向けてみたい。
次週「抗菌薬の影 〜耐性菌編〜」
参考文献
Moore, P. R., Evenson, A., Luckey, T. D., McCoy, E., Elvehjem, C. A., & Hart, E. B. (1946). USE OF SULFASUXIDINE, STREPTOTHRICIN, AND STREPTOMYCIN IN NUTRITIONAL STUDIES WITH THE CHICK. Journal of Biological Chemistry, 165(2), 437–441. https://doi.org/10.1016/S0021-9258(17)41154-9
Scicchitano, D., Leuzzi, D., Babbi, G., Palladino, G., Turroni, S., Laczny, C. C., Wilmes, P., Correa, F., Leekitcharoenphon, P., Savojardo, C., Luise, D., Martelli, P., Trevisi, P., Aarestrup, F. M., Candela, M., & Rampelli, S. (2024). Dispersion of antimicrobial resistant bacteria in pig farms and in the surrounding environment. Animal Microbiome, 6, 17. https://doi.org/10.1186/s42523-024-00305-8
Visek, W. J. (1978). The Mode of Growth Promotion by Antibiotics. Journal of Animal Science, 46(5), 1447–1469. https://doi.org/10.2527/jas1978.4651447x