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たべっ子どうぶつ殺人事件

第1章:「ライオンの静寂」

朝の光が薄暗い部屋に差し込むころ、警察の鑑識チームが静かな住宅街に並ぶ一軒家を取り囲んでいた。その家の中では、一人の男性が冷たい床に横たわっている。彼の名は藤井修平。地元の企業で営業部長を務め、外では陽気で人当たりの良い人物として知られていたが、部下からは「笑顔の裏に潜む暴君」と陰口をたたかれることもあった。

遺体はリビングルームにあり、倒れたまま胸の上に奇妙なものが置かれていた。茶色いビスケット。見覚えのある「たべっこどうぶつ」のシリーズで、ライオンの形をしていた。

「たべっこどうぶつ?まるで子供のお遊びみたいだな。」
黒崎真治はビスケットを見つめながら呟いた。中堅刑事の彼は現場にある物すべてを見逃さないよう目を光らせていた。隣には相棒の白石理奈が立ち、タブレットで現場の状況を記録している。

「でも、これがただのお遊びじゃないのは明らかね。普通、殺人の現場にお菓子を置く理由なんてないわ。」
白石はビスケットの写真を撮りながら分析的に言葉を続けた。
「現場には争った形跡もあるし、ライオンの置物が壊されている。強い力で殴られた痕跡が被害者の頭部にあるけど、動機がはっきりしないわね。」

黒崎は現場を見渡しながら、ふと壁に目を留めた。そこには藤井と彼の家族の写真が飾られていたが、どの写真にも彼が真ん中に立ち、誇らしげな表情を浮かべている。
「典型的な成功者の顔だ。これじゃあ恨まれる理由の一つや二つあってもおかしくないな。」
黒崎の言葉には冷たさがあったが、彼なりの直感が働いていた。


同じ日の午後、藤井の会社で聞き込みが行われた。元部下である山下悟の名前がすぐに浮上した。山下は数週間前に突然退職し、同僚たちは藤井とのトラブルが原因だと噂していた。

警察署での取り調べ室。黒崎と白石は山下を目の前にしていた。細身でおどおどした山下は、明らかに緊張していた。
「山下さん、最近藤井部長と何か問題があったと聞いていますが。」
黒崎が低い声で切り出す。山下は口を開きかけたが、少し黙った後、ようやく言葉を絞り出した。
「…確かに、部長にはよく叱られていました。でも、それだけで僕がこんなことをするなんて、思うのは早計です。」

白石がタブレットを見せながら問いを続ける。
「退職する直前、かなり激しい口論があったと同僚が証言しています。その理由を教えてもらえますか?」
山下は頭を抱えたような仕草をし、深いため息をついた。
「確かに、僕がミスをしてしまったんです。部長からはいつも叱責されて、耐えきれなくなった。それで辞めました。でも、その後は部長には一切関わっていません。事件があった夜は家にいました。一人でしたけど…。」

黒崎はじっと山下を見つめた。彼の態度は不自然に思えたが、証拠がなければ決定的なことは言えない。
「今の話は全部記録します。後日また話を聞かせてもらうかもしれない。そのときはよろしくな。」
そう言って黒崎は立ち上がり、白石とともに部屋を出た。


署に戻った後、黒崎と白石は机に向かい、現場の証拠を整理していた。
「山下には怪しいところもあるけど、彼一人に絞るのは危険ね。ライオンのビスケットが彼の言い分と一致しない。」
白石がデータを整理しながら言う。

黒崎は椅子に深く腰掛け、天井を見上げながら呟いた。
「ライオン…力強さ、支配者、あるいは王?何を伝えたかったんだ?」

謎は深まるばかりだった。被害者の人間関係を掘り下げる必要があるのは明らかだったが、事件の核心にはまだ手が届かない。

第2章:「ペンギンの氷結」

冬の冷たい空気が漂う住宅街に、警察車両の赤いライトが静かに回っていた。今度の現場は、静かなマンションの一室。被害者は遠藤美香、不動産会社で働くキャリアウーマンだ。冷徹で計算高い性格から、社内では恐れられる存在だった。そんな彼女が、想像を絶する状況で命を奪われた。

「冷凍庫に押し込まれるなんてな。」
黒崎真治は眉をひそめ、部屋の中を見回した。殺害現場となったキッチンはきれいに整えられているが、大型の冷凍庫の蓋が開いたままになっており、鑑識班がその周りを念入りに調べていた。冷凍庫の上には、またも「たべっこどうぶつ」のビスケットが置かれていた。今回はペンギンだ。

「これはただのいたずらとは思えない。殺人者がメッセージを残しているのは明らかね。」
隣で立ち尽くす白石理奈は、冷静に状況を観察していた。ペンギンのビスケットを目にした彼女は、眉を寄せて続けた。
「ペンギンは寒冷地の象徴よね。この殺害方法と関連があるのか、それとももっと深い意味があるのかしら。」

黒崎は冷凍庫の中を覗き込んだ。遠藤の顔は凍りつき、恐怖と苦痛が入り混じった表情を浮かべていた。遺体を見下ろす彼の目には、鋭い光が宿っていた。
「単なる偶然じゃない。ライオンの次はペンギン。これは何かの順番だ。きっと犯人の中で明確な意図がある。」


数時間後、遠藤の職場での聞き込みが始まった。遠藤が部下に厳しかったことは広く知られていた。とりわけ、原田尚子という若い女性社員との関係は劣悪で、数日前には遠藤が彼女を解雇する意向を示していたことも明らかになった。

警察署の取り調べ室に呼ばれた原田尚子は、青ざめた顔で椅子に座っていた。黒崎と白石が向かいに座ると、緊張感が部屋を支配した。
「原田さん、あなたが遠藤さんからひどい扱いを受けていたという話を聞いています。」
黒崎が静かに切り出した。
「解雇される可能性があったとも聞きました。そのことで、遠藤さんに怒りを覚えていたんじゃないですか?」

原田は怯えた表情を浮かべながら首を振った。
「怒っていました。でも、それだけです。あの人が私を追い詰めていたのは事実ですけど、私は何もしていません…。」

白石が追及するように口を開いた。
「事件のあった夜、あなたはどこにいましたか?アリバイを教えてください。」
「家にいました。友人と電話していました。それは確認できるはずです…。」
原田は震えながら答えた。

黒崎は彼女の目を見つめたが、それ以上は何も言わなかった。部屋を出ると、白石が首をかしげながら呟いた。
「彼女の怯え方は、嘘をついているようには見えなかったわね。でも、動機としては十分にあり得る。」


その夜、捜査は遠藤の自宅にあったPCの解析に移った。白石が画面を操作しながら声を上げた。
「これを見て。『PENGUIN』という名前のフォルダがあるわ。」
フォルダを開くと、数年前に遠藤と藤井が交わしたメールが見つかった。その内容は、二人が共通のプロジェクトに関わっていたことを示していた。しかし、プロジェクトの詳細は記されておらず、不明な部分が多かった。

「ここに何かあるな。」
黒崎は画面を覗き込みながら言った。
「藤井と遠藤、この二人を結びつける過去。これが鍵だ。」

白石はさらに解析を続けながら、眉をひそめた。
「これで少なくとも、今回の事件が藤井の事件と無関係ではないことがわかったわ。でも、ペンギンの意味はまだ掴めない。」


現場の手がかりとデジタルデータが少しずつ繋がり始めたが、肝心な部分がまだ見えてこない。犯人の意図とたべっこどうぶつのメッセージ。黒崎はその難解な謎を解く決意を胸に、次の行動を考えていた。

第3章:「キリンの記憶」

夕暮れが迫る郊外の展望台。ここは地元住民が眺望を楽しむ静かな場所として知られていたが、今は警察車両が周囲を取り囲み、物々しい雰囲気に包まれている。その中央に、森下健二の遺体が横たわっていた。

彼は地元議員の秘書として誠実な働きぶりで知られていたが、その真面目さの裏に隠された顔を知る者もいた。首にはロープが巻き付けられ、残酷に絞殺されている。そして、首からぶら下がるように「キリン」の形をしたたべっこどうぶつのビスケットが吊るされていた。

「またたべっこどうぶつか…犯人は随分と執着しているな。」
黒崎真治は現場を見下ろしながら呟いた。彼の隣では、白石理奈が展望台の手すりを指さし、手袋越しに触れていた。
「見て、これ。手すりに何かの跡があるわ。恐らくここで犯人がロープを固定したんじゃないかしら。」
「なるほどな。手際がいいのか、それとも単なる計画性か…。どっちにしろ、ただの衝動的な犯行じゃない。」
黒崎は顎に手を当て、現場の細部を目に焼き付けるように観察した。


翌日、警察署では森下の交友関係についての情報が集められていた。地元議員の秘書という立場から、彼には敵も多かったが、その中で特に注目を集めたのが記者の菅原祐介だった。

警察署の取り調べ室。黒崎と白石は、目の前に座る菅原を睨むように見つめていた。菅原は冷静な表情を保ちながらも、その目には何か隠しているような光があった。
「菅原さん、あなたが森下さんを取材しようとして拒否されたという話を聞きました。その理由について教えていただけますか?」
黒崎が静かに切り出すと、菅原は軽く笑って答えた。
「理由も何も、彼は単に自分の都合で話したくなかったんでしょう。僕が執筆している記事に関心を持たせようとしただけです。それ以上のことはありません。」

白石が即座に反論するように言葉を続けた。
「でも、あなたがその記事で過去の地元企業のスキャンダルについて追及していたという話を聞いています。それは森下さんにとって都合の悪い話だったのではないですか?」
菅原は一瞬言葉を詰まらせたが、すぐに態勢を立て直した。
「スキャンダル?確かに彼の名前が出てくる噂話もありました。でも、それが真実かどうかは別の話です。僕はただのジャーナリストです。そんな行き過ぎたことをする動機なんてないですよ。」

黒崎はじっと菅原の目を見つめながら、静かに話を切り上げた。
「わかりました。ひとまず話を聞かせてもらい感謝します。でも、必要があればまた呼ばせてもらいますから、そのつもりで。」
菅原が部屋を出た後、白石がため息をつきながら言った。
「彼、何か隠しているわね。でも、それだけで犯人と決めつけるのは危険だわ。」


その日の夜、遠藤のPCから解析されたメールの一部が新たな手がかりを示した。森下、遠藤、藤井の名前が出てくるメールの内容が、彼らがかつて同じ地元企業の立ち上げに関わっていたことを明らかにした。その企業は数年前に解散していたが、裏には不正な取引や経済的トラブルが潜んでいる可能性があった。

「これで三人の被害者が繋がったわね。」
白石は画面を見つめながら言った。
「それに、キリンの意味も少し見えてきたかもしれない。キリンは遠くを見通す力の象徴よね。森下さんが他の二人には知られたくない何かを知っていたのかも。」

黒崎はソファに腰掛け、腕を組んで考え込んだ。
「遠い視点…あるいは俯瞰的に物事を見ていた。それが奴の命を奪う理由になったのかもしれないな。」
「だとしたら、次の標的は彼ら三人の過去に関係する誰か。犯人の狙いを早く突き止めないと…。」
白石の言葉に黒崎は頷いたが、その目にはまだ霧がかかったような焦燥感が漂っていた。


森下の死と共通点を持つ二つの事件。黒崎と白石は次なる犯行が起きることを確信していた。犯人が残す「たべっこどうぶつ」の謎。それは単なる装飾ではなく、過去の秘密を暴露する挑戦状のようだった。黒崎は拳を握りしめ、次の一手を決める決意を固めた。

第4章:「ゾウの静寂」

冷たい風が吹き抜ける中、黒崎と白石は地元の高層ビルにあるオフィスの一室で、村上翔と向き合っていた。村上は洗練されたスーツに身を包み、余裕を感じさせる笑顔を浮かべていたが、その瞳の奥には緊張が見え隠れしていた。

「つまり、次は私が狙われる可能性があると、そういうことですか?」
村上は落ち着いた声で尋ねたが、手は微かに震えていた。

「村上さん、これはただの可能性ではありません。」
白石が手元のタブレットを操作しながら言った。
「実は、警察が被害者の関係者を調査している過程で、あなたの名前が浮上しました。そして今日、あなたの秘書の方が奇妙なメールを受け取ったと連絡をくれました。」
彼女はタブレットを村上の前に差し出した。そこには、秘書が警察に転送してきたメールが映し出されていた。添付された画像には、「ゾウ」の形をしたたべっこどうぶつのビスケットが映っている。

村上は画面を見つめながら、小さく息を吐いた。
「なるほど…。ですが、なぜ私が?藤井、遠藤、森下とはもう何年も連絡を取っていません。それに、ビスケットだなんて、悪戯のようにしか思えませんが。」

「悪戯で済むなら、私たちがここに来る理由はない。」
黒崎が低い声で言った。
「あなたには何か心当たりがあるはずです。これまでの被害者たちと、過去にどんな関係があったのかを教えていただけますか?」

村上は一瞬言葉を詰まらせたが、笑顔を作り直しながら答えた。
「ただの古い仕事仲間でしたよ。それ以上の関係はありません。」

白石は鋭い目つきで問い詰めた。
「本当にそれだけですか?私たちが把握している限り、これまでの被害者たちは、かつてあなたと一緒に会社を立ち上げていました。そしてその会社で、何か重大な出来事があったのではありませんか?」

村上は一瞬だけ視線を逸らし、深いため息をついた。
「…わかりました。でも、これは簡単な話ではありません。」


村上の話によると、藤井、遠藤、森下、そして村上自身は10年以上前に地元の企業を共同で立ち上げた。しかし、会社の拡大を目指す中で、ある不正取引に手を染めてしまったという。その取引は莫大な利益を生む一方で、地元のある一家を犠牲にする形となり、彼らは家族を失った。その一家は姿を消し、事件の責任を問われることもなかったが、彼らの間には「この件については一切口外しない」という暗黙の了解ができていた。

「私は、あれ以来ずっと後悔しています。」
村上は遠くを見つめながら語った。
「でも、今さら何を言っても手遅れです。他の三人はあのことを完全に忘れたかのように振る舞っていました。だから、今回の事件が本当に関係しているなら、犯人はあの一家の生き残りに違いありません。」


翌日、村上を守るために警察は護衛を配置し、自宅とオフィスを厳重に警備した。しかし、犯人の動きは予想以上に巧妙だった。

その日の夜、村上の秘書がまた新たなメールを受け取った。メールには、「真実を語らない者に未来はない」という文言と、手書き風の「ゾウ」の絵が添付されていた。村上の顔は青ざめ、震える声で言った。
「…これは私への宣告だ。私の命を奪うつもりだ。」

白石はそのメールを調べながら冷静に答えた。
「でも、犯人はまだ時間を与えています。メッセージを通じて、あなたに何かを選ばせようとしているように見えます。」
「何かを語る…?」
村上は唇を噛み、目を伏せた。

黒崎はその様子をじっと見つめ、ゆっくりと話し始めた。
「隠し通せると思うな。犯人はお前たちの過去を完全に把握している。黙っている限り、奴は容赦なく命を奪い続ける。それでも黙るつもりか?」

村上は何かを言おうとしたが、その言葉は口に出せなかった。真実を語れば全てが終わるかもしれないが、それは自分自身の人生をも破壊する行為だった。


翌朝、村上のオフィスに侵入者が現れた形跡が見つかった。防犯カメラには、マスクを被った人物がビルに忍び込む姿が映っていたが、その特定はできない。机の上にはたべっこどうぶつの箱が置かれており、中には「ゾウ」のビスケットが一枚だけ入っていた。

「これは挑発だ。」
黒崎は拳を握りしめた。
「犯人は次の一手を準備している。奴の狙いを突き止めないと、間に合わないかもしれない。」

白石は村上の過去に焦点を当てた新たな調査を始めた。全てのピースが繋がる日は近いが、犯人の手が迫るスピードもまた加速していた。

第5章:「たべっこの復讐」

夜の帳が降りる中、警察の監視班が村上翔の自宅周辺を見張っていた。犯人が次に村上を狙う可能性が高いと判断した黒崎と白石は、現場に向かっていた。村上の家の中には怯えた様子の彼が閉じこもり、護衛の警官が緊張した面持ちで配置についていた。

「村上が何かを隠しているのは明らかだ。」
車を走らせながら、黒崎は口を開いた。
「ただ、それが犯人を追い詰める決定打になるかどうかは別問題だな。」

助手席で資料を見直していた白石は、眉を寄せながら頷いた。
「確かに。村上の証言が完全ではない以上、犯人の動機を直接暴く必要があるわ。これまでの事件からして、犯人は相当な計画性を持っている。次も簡単にはいかないでしょうね。」


その時、無線から緊急連絡が入った。
「村上宅に侵入者の痕跡あり!護衛の警官が犯人らしき人物を目撃、追跡中!」
黒崎はハンドルを切り、スピードを上げた。
「やっぱり動いたか。奴の次の手を止めるぞ。」

到着した現場は静まり返り、緊張感が張り詰めていた。村上は無事だったが、青ざめた顔で立ち尽くしていた。黒崎が状況を確認する中、白石がリビングのテーブルの上に目を留めた。そこには、最後の「ゾウ」のビスケットが置かれていた。

「犯人はここに来た。そして次のステージを予告している。」
白石はそのビスケットを見つめながら、低い声で呟いた。

村上は震える声で言った。
「…彼女だ。高橋玲奈だ。彼女がやっているんだ。」

黒崎が顔を上げた。
「高橋玲奈?誰だ、それは。」

村上は椅子に腰を下ろし、全てを語り始めた。彼女はかつて藤井たちが運営していた会社でアルバイトとして働いていた若い女性だった。しかし、彼らの不正取引が発覚しかけた際、玲奈の家族がスケープゴートにされ、会社の罪を被せられたという。その結果、高橋の家族は経済的に破綻し、両親は自ら命を絶った。玲奈はその後、姿を消したが、彼女の存在が村上たちの心に暗い影を落とし続けていた。

「だから、あの時私は何も言えなかった。全てを失った彼女が、今さら復讐をしているんだ…。」
村上は頭を抱え、うなだれた。


追跡は市街地へと移り、警察の捜査班が玲奈の行方を追い始めた。そして深夜、ある倉庫街で犯人らしき人物の姿が確認された。黒崎と白石は現場へ急行した。

倉庫の中に入ると、玲奈が村上を前に立っていた。村上は震えながら後退りしている。その手には「ゾウ」のビスケットが握られていた。玲奈は冷たい目で村上を見つめ、低い声で言った。
「これで終わりにする。私の家族を奪ったあなたたちに、同じ苦しみを味わわせてやる。」

「玲奈、高橋玲奈!」
黒崎が倉庫に響く声で叫んだ。玲奈は驚いたように振り返り、視線を向けた。
「それ以上やる必要はない。ここで終わらせろ。」

玲奈の目に一瞬ためらいが浮かんだが、すぐに憎しみが戻った。
「彼らは私の全てを奪った。あなたたち警察には理解できない。正義を語るな!」

白石が一歩前に出て言った。
「玲奈さん、これ以上手を汚せば、あなたの家族が望んでいたことから遠ざかってしまうだけよ。彼らを追い詰めることはできても、あなた自身が壊れることになる。」

玲奈の手が震え、目に涙が浮かんだ。その瞬間、黒崎が飛び込み、玲奈の手からビスケットを奪った。玲奈は抵抗したが、警官たちが駆け寄り、彼女を取り押さえた。


翌朝、警察署で玲奈は全てを自供した。家族の無念を晴らすため、彼女は長い間復讐を計画していたのだ。
「でも、これで何もかも終わった。もう何も残らない。」
玲奈はそう呟き、涙を流した。

黒崎は白石と共に彼女を見送りながら静かに言った。
「たべっこどうぶつ…子供の頃の思い出の象徴を、こんな形で使うことになるなんてな。彼女の心の奥底にあった純粋な記憶が、歪んだ形で復讐の道具になったんだ。」

白石は窓の外を見つめ、そっと呟いた。
「でも、少なくともこれ以上の犠牲者は出ない。玲奈さんの家族の悲劇は終わったのよ。」

事件はそこで一つの幕を閉じたが、玲奈の残したたべっこどうぶつのメッセージは、関わった全ての人々の心に深い傷を残すこととなった。

第6章:「メッセージの行方」

冷たい雨が拘置所の窓を叩く朝、高橋玲奈は面会室に座り、黒崎と白石を迎えた。彼女の表情は穏やかで、どこか達観したような静けさが漂っていた。事件後、彼女はすべての罪を認め、被害者たちとの関係を語り、家族の無念を晴らすために復讐を計画していたことを供述していた。

「玲奈さん、これが最後の面会になると思います。」
白石が切り出すと、玲奈は微かに笑みを浮かべた。
「そうですね。でも、もう何もありません。私はすべてを語りました。そしてすべてを終わらせました。」

黒崎はその表情に違和感を覚えながらも、尋ねた。
「一つだけ聞きたい。あなたが言っていた“次のたべっこどうぶつは私自身”という言葉の意味だ。あれはどういうことだ?」

玲奈は一瞬だけ目を伏せ、静かに答えた。
「簡単なことです。私は彼らに裁きを与えました。でも、最後に裁かれるべきなのは私自身。私は何もかもを奪われてしまったけど、たべっこどうぶつだけはずっとそばにあった。それが、私が心の中で唯一信じていた“無垢”でした。でも今、その“無垢”を壊したのは私です。」

彼女の言葉は静かだったが、そこに込められた痛みと覚悟が二人に深く突き刺さった。


その翌日、拘置所から突然の連絡が入った。高橋玲奈が独房内で自ら命を絶ったという報せだった。彼女の机の上には、たべっこどうぶつの箱が置かれており、中には「空っぽ」の状態の袋が一つだけ残されていた。

黒崎は現場を確認しながら深い息を吐いた。
「次のたべっこどうぶつは私自身…そういう意味だったのか。」

「彼女は、“無垢”を取り戻すために、自分自身を終わらせるしかなかったのかもしれないわ。」
白石はその箱をそっと閉じながら言った。
「たべっこどうぶつは、玲奈さんにとって唯一の希望であり、復讐の象徴でもあった。だけど、彼女自身がその“無垢”を壊してしまったと気づいてしまった時、もう自分の存在すら耐えられなくなったのね。」


玲奈の死により、事件は一応の解決を見た。しかし、その余韻は黒崎と白石の胸に重く残っていた。警察署の一室で、黒崎は一人コーヒーを飲みながら、壁に貼られた事件の資料を見つめていた。

「たべっこどうぶつなんて、ただの子供のお菓子だと思ってたが…こんな風に使われるなんて想像もしていなかった。」
独り言のように呟く黒崎に、白石が隣の椅子に腰を下ろして応えた。
「たべっこどうぶつは、玲奈さんにとって幼い頃の幸せな記憶そのものだったのよ。それが、復讐のツールに変わってしまった時点で、彼女の“無垢”は終わっていたのかもしれないわ。」

黒崎は頷き、カップを置いた。
「たべっこどうぶつは無邪気なものだと思っていたが、人の心にある記憶をどう使うかで、無邪気なものですら凶器になるんだな。皮肉な話だ。」

白石は窓の外を見つめながら、静かに答えた。
「でも、それはきっと玲奈さんだけじゃない。他の誰かが同じように、自分の記憶に囚われて歪んでいく可能性だってある。私たちにできるのは、それを少しでも防ぐことかもしれない。」


雨が止み、薄曇りの空から微かな光が差し込んだ。黒崎と白石は事件ファイルを閉じ、次の仕事に向けて歩き出した。しかし、その胸にはまだ拭えない疑問が残っていた。玲奈の残した「たべっこどうぶつ」というメッセージは、果たして完全に消え去ったのだろうか。それともまた、誰かの心に新たな形で芽生えるのだろうか。

物語は一応の終焉を迎えたが、その行く末に不穏な影を残しながら、静かに幕を閉じた。

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