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異世界時刻表ミステリー - 魔導列車30分の壁

第1話 転移の衝撃

大学の講義を終えて帰ろうとしていたあの日。いつものようにスマホで時刻表を確認して、「あと5分で電車が来るな」と当たり前に思った瞬間に――あれは、ほんの一瞬の出来事だったはずなのに、いまや何もかもが遠い記憶だ。

 僕の名前は八雲。世間から見ればいわゆる「鉄道オタク」で、電車の走行音やダイヤの変化にやたらと興奮する大学生だ。仲間と集まって乗り鉄の計画を立てたり、ミステリ小説を読み漁ったりするのが日課。大学のサークルでは研究室の隅に転がっているような古い路線図を見つけるだけでテンションが上がる。そんな僕が、あの日もいつも通り電車に乗ろうとしていたのに……。

 「うわっ――」

 ホームを歩いていたはずの僕は、視界の隅で何かが猛スピードで迫ってくるのを感じた。音もなく、気づいたときには身体ごと弾き飛ばされていたらしい。反射的に、これはまずいぞと思ったけれど、そこで意識は途切れてしまった。

 どれくらい時間が経ったのか。目を開けると、見覚えのない街並みが視界に飛び込んできた。レンガ造りの建物が並んでいて、どう見てもヨーロッパ風の中世都市のような雰囲気。しかし、ところどころにやたらと近代的な設備を感じる。街の石畳に沿う形で線路らしきレールが敷かれ、人々が「魔力だ」「転輪がどうの」と言いながら列車を見送っているではないか。

 「何だこれ……。映画のセット、にしては手が込みすぎだろ」

 目の前には、蒸気機関車のようなフォルムだけれど、先端に不思議な紋章があしらわれていて、煙ではなくうっすらと淡紫色の光が立ち上っている車両が止まっている。車両の側面には見慣れない文字が刻まれているが、どうやら「アルト・エレヴィア行き」と読めそうだった。英語でもローマ字でもない文字なのに、不思議と意味がわかるような感覚がある。

 「お兄さん、もしや旅人かい? ここは王都行きの魔導列車の発着所さね」

 急に声をかけてきたのは、腰にエプロンのようなものを巻いたおばさん。僕が呆然と立ち尽くしているのを見て親切心で教えてくれたのか、にこやかに微笑んでいる。彼女の背後では、荷車に大量の野菜が積まれていて、どうやら出稼ぎに行く準備をしていたらしい。

 「ま、魔導列車……? それって、えっと、何なんですか?」

 しどろもどろに返事をすると、おばさんはまるで僕が当然のことを知らない子供でも見るように目を丸くした。

 「おやまあ、変わった人もいるもんだよ。魔力を注ぎ込んで動かす列車さ。ほら、見えるだろう? 先頭の魔導転輪に刻印された紋章から魔力が流れて、車両を引っ張るってわけさ」

 確かに、車両の先頭には車輪のような形をした金属パーツがあって、中心部に奇妙な光が収束している。蒸気ではなく、魔法で走る列車――聞いたこともない代物だ。つい先ほどまで僕は日本の駅で電車を待っていたはずなのに、こんなファンタジー全開の世界が現実にあるなんて理解が追いつかない。

 熱を帯びた視線を送ってしまったのか、おばさんはちょっと照れたように「もし乗るんなら駅員に相談してみるといい。私も同じ便に乗るからさ」と言って去っていった。僕が呆然としている理由もわからず、彼女はただ善意で言葉をくれたのだろう。

 周囲を見回すと、そこら中で人間だけじゃない“何か”が普通に歩いている。人間の姿をしているけれど耳が尖っている、いわゆるエルフのような種族。毛並みのいい動物の姿をした獣人もいる。どこかの冒険者風の集団が、剣や槍を携えて駅のホームらしき場所へ向かっているし、ナイト風の鎧を着込んだ兵士が列車を警護している。

 「ここ、どこだ……マジで……?」

 ぼそりとつぶやいたものの、答えてくれる者は誰もいない。まるでゲームやラノベの世界観をそのまま持ち込んだような場所で、自分が生きていることすら信じられない。手や足を動かす感覚ははっきりあるし、夢とは思えないリアリティがある。むしろ日本にいた頃の記憶が夢だったのかと錯覚しそうだ。

 焦って財布を探し、スマホを確認してみたが、電池残量も表示もまったく出ない。ただの黒い板切れのように反応がない。仕方なくバッグを覗いてみると、大学の教科書と時刻表の冊子だけがちゃんと入っていた。だがこの「時刻表」は日本の電車のもので、ここの“魔導列車”にはまるで用をなさないだろう。

 「ハハ……。どうするんだよ、これ」

 駅舎の端にある丸い時計台を見上げて、軽くため息をつく。見れば時計の数字もこの世界独自のものらしく、読み方すらわからない。でも奇妙に惹かれるのは、時間を刻むという行為そのものが、僕の中で特別な意味を持っているからだろう。鉄道オタクとしては、ダイヤと時刻表があってこそ世界が回るように思えてならないのだ。

 時を刻む世界で、僕は生きている。そんな当たり前のことが心の支えになるなんて、思ってもみなかった。今ここでじっと立ち尽くしていたって、誰も助けてはくれない。とにかく動こう。そう決めて、僕は魔導列車の発着所と書かれた看板の方へ歩き出した。

 まだわけのわからない異世界に放り込まれたばかりだが、まずは情報を集めるしかない。そして――見慣れない列車に一目惚れしてしまった自分がいるのも事実だ。この不可思議な鉄道を知りたいという純粋な好奇心が湧いてくる。混乱と戸惑いの最中にあるはずなのに、どこかワクワクしている自分が不思議だった。

 いつまでたっても現実だと信じられないけれど、目の前にあるこの駅と魔導列車はごまかしようのない事実だ。日本で慣れ親しんだ線路やダイヤのことを思い出しながら、僕は心を落ち着けようとして深呼吸をする。ここがどこであれ、電車――いや、列車が走る世界ならば、何かの偶然で俺の知識が活かせるかもしれない。

 そう考えたところで、ふと一人の青年がこっちを気にするように目を向けているのに気づいた。光沢のある鎧を身につけ、腰には剣を携え、制服のようなマントをまとっている。その瞳には真面目そうな色が宿っていた。彼は騎士だろうか。 「迷子なら、俺が助けるけど」

 短く発せられた言葉には人を安心させる響きがあった。今の僕の境遇を全然知らないはずなのに。

 こうして僕、八雲の“異世界生活”は静かに始まった。右も左もわからないが、とにかく列車があるなら調べたい。そう思うと、心の奥底に火がついた気がする。世界が一変してしまったのは間違いないけれど、今はまだ混乱するより、前に進む選択のほうが僕には向いている。

 何が起こっているのかはわからない。けれど、もうホームに立っていたって電車は来ないのだ。ならば僕が探しに行くしかない。魔導で走るという、不思議な列車の謎を。引き寄せられるように僕は魔導列車のホームへと足を運んだ。そこにはどことなく、見たこともない世界が詰まっている気がしたからだ。

第2話 新たな暮らしと好奇心

翌朝、雑踏のなかを歩いていたら、昨日ちらりと視線を交わしたあの騎士がひょっこり姿を見せた。襟元に王都騎士団の紋章をあしらったマントを纏っている。彼はやや警戒しながらも近づいてきて、まるで合図でもするように浅く頭を下げた。

「昨日は悪いことをした。いきなり声をかけたせいで、驚かせてしまったかもしれない。俺はリアンといって、王都騎士団に属している。何か困っているなら案内をしようと思ったんだが……どこか宛は決まったか?」

 リアンという名前らしい。こちらとしては藁にもすがりたい状況なので、まずは誠意を感じさせる彼の態度にほっとする。

「ええと、実は泊まる場所も見当たらなくて。こちらの世界の仕組みもわからないから、手探り状態なんです」

 正直に話すと、リアンはほんの少し考え込むように視線を伏せ、頬に手を添えた。

「王都の外れに、面倒見の良い古書店の主人がいるって話を聞いたことがある。噂だと部屋を間借りさせてくれるらしいから、紹介するのはどうだろう?」

 ここで選択肢を迷う余裕はなかったので、その提案にすぐ乗ることにした。だがせっかくだから少し周囲を見回して、この街の雰囲気を肌で感じておきたかった。駅を出ると、大きな噴水を囲む円形広場があり、その先には立派な大聖堂がそびえ立つ。広場から何本も放射状に伸びる石畳の通りには、屋台がぎっしり並んでいる。夜だけでなく朝からも活気があるのが印象的だった。

 リアンが先導してくれるおかげで、迷わず目的地へ到着できた。古書店の看板には、筆記体のような文字で「アルノルトの蔵書房」と読める銘があった。店の扉を開けると、埃っぽい紙のにおいと、狭い店内に所狭しと積まれた本の山が目に入る。思わず息を呑んでしまった。

 「あら、いらっしゃい」

 奥の方から落ち着いた声が響き、やせ型の白髪混じりの店主が姿を見せる。やわらかな笑みを浮かべた表情からは、頑固さよりも好奇心旺盛な雰囲気が伺えた。

 「こいつは八雲。宿を探しているらしくてな。アルノルトさん、話を聞いてもらえないかな」

 リアンが紹介してくれたおかげで、僕の境遇を何とか説明する機会を得た。店主はとくに怪しむ様子もなく、「なるほど」と頷いて本棚の隅を指さした。

 「二階は物置にしてたが、布団を敷けば寝るくらいは可能だ。代わりと言ってはなんだが、うちの帳簿整理や店番を少し手伝ってくれると助かるね。古書店なんて客も少ないし、君がゆっくり過ごすには悪くない」

 なんだかすんなり話がまとまってしまった。利害が一致したと言うべきか、あるいは店主の人柄なのだろう。僕としては家賃が要らないなら大助かりだ。そうして僕は、この店の二階で寝泊りすることが決まった。

 「そうそう、ここにある本はほとんどがこの国の文字で書かれている。読むのには少し慣れが要るかもしれないね」

 アルノルト店主が苦笑交じりに言うと、僕はふと日本の時刻表を思い出した。そういえば、この世界の文字がなぜか一部だけ理解できる気がするのは何故だろうか。昨日目にした列車の行き先表示といい、まったく学習していない言語に触れているとは思えない。

 リアンもその点が気になったらしく、肩をすくめながらこちらをちらりと見る。

 「言語の壁があるはずなんだが、もしかすると転移者には特殊な魔力が付与されるって話もある。ときどき神殿の偉い人がそう語っていると聞いた。詳しくは俺にもわからない」

 転移者、という言葉はさすがに耳が痛い。本人に自覚はないが、現にこうして見知らぬ世界にいるのだから否定はできない。アルノルト店主は突拍子もないことにも慣れているのか、特に驚きもしないで店の奥にある書架を指さした。

 「そこに魔導列車関連の古書がまとまっている。好きに読んでいいぞ。興味があるなら、言語に慣れるためにもなるだろう。俺が仕入れたはいいものの、需要が低くてね」

 立ち読みしてみると、やはり完全には理解できない。だが見出しには「転輪」「魔力循環」「安全機構」などが書かれているらしく、なんとなく意味を推測できる箇所もある。

 「こんなに資料があるなんて意外です。僕は日本――じゃなくて、元の世界でずっと鉄道を見てきたんです。ここでも列車に関わることができたらと思います」

 呟くように言うと、リアンが目を輝かせる。

 「君は列車について詳しいのか? まあ形は似ているかもしれないが、魔導列車は魔力で走るぞ」

 まるで先手を取るように言われたが、それでも何かしら僕の知識が応用できるかもしれない。日本の鉄道は物理的なエンジンや電気で動いていたが、ここの列車だって一定のルールがあるはずだ。そう考えるだけで、頭の中にいくつもの疑問が浮かんでくる。

 もし魔力を使って加速するなら、時間の見積もりはどう管理しているのか。ダイヤはどう組まれているんだろう。停車駅での発着時間は? そうしたデータをきちんと整備しているなら、おそらくこの街には“時刻表のようなもの”が存在するはずだ。そう思うと、自然と笑みがこぼれてくる。

 「ねえ、リアン。魔導列車の運行表みたいなものってある? 運賃表や到着時刻をまとめた書類なんか」

 問いかけると、彼は少しだけ考え込んでから首を傾げた。

 「駅務担当ならきっと持っていると思うが、どこで手に入るかな。あまり気軽に開示される資料でもなさそうだ」

 “資料”という言葉に胸がくすぐられるような感覚が走る。それを察したのか、アルノルト店主が微笑ましそうに言い添えた。

 「なら、王都の大図書館に足を運んでみるといい。あそこには古い書類から最新の技術書まで何でも揃っているからね。貴族や騎士団以外は閲覧を制限されている棚もあるけれど、一般向けの文献も豊富だよ」

 それは僕にとって、かなり魅力的な情報だった。日本ではネットで検索すれば多くのデータが得られたが、この世界では足を使って現地へ出向くほかない。

 さっそく次の日、リアンに頼み込んで大図書館に連れて行ってもらうことにした。通りを一本奥へ進むと、重厚な石造りの建物が視界に迫る。中央には大きなステンドグラスが嵌まった扉があり、そこを抜けると吹き抜けのホールが広がっていた。

 「いらっしゃい。こちらはどのような資料をお探しですか?」

 カウンターには落ち着いた雰囲気の女性司書がいて、やわらかな声で尋ねてくれる。そこで魔導列車に関する書物を読みたいと申し出ると、彼女は目録を確認しながら棚の位置を教えてくれた。閲覧席には静かな空気が漂い、まるで寺院のようだ。

 目当ての本を数冊抱えて席に着くと、ページをめくるたびに見慣れない単語が目に飛び込んでくる。「魔導転輪」「魔石バッテリー」「保護結界」……しかし構造図や挿絵からある程度イメージを補えるのがありがたい。どうやら列車の先頭部に魔石を装着し、そこへ魔力を流し込むことで動力を得ているらしい。その魔力がレールを通して前後に伝わり、速度を制御する仕組みもあるようだ。

 夢中になって読みふけっていたところ、リアンがぼそっと言った。

 「これだけ熱心に調べるなんて、よほど列車の仕組みに興味があるんだな。こっちでも力になれるかもしれない、という感じか?」

 その問いかけに、僕は視線を上げる。言葉は乱暴ではないが、何となく探りを入れられている感触があった。

 「自信があるわけじゃない。ただ元の世界で、時刻表や路線図ばかり眺めてたっていうだけなんだ。だからこちらでも、列車にまつわる情報を集めれば何かできるかもしれない」

 正直な気持ちだった。リアンは口の端をわずかに緩めて、そのまま図書館の壁のほうへ視線を向ける。

 「この国でも魔導列車は重要な交通手段だが、専門知識を持っている人は限られている。工房の技術者か貴族の召使いが大半だ。その中に、君みたいな外部の視点を持つ者が加わるのは面白いかもしれない」

 ただ褒めているわけではないように聞こえた。彼の瞳には、王都のために役立つアイデアを期待している様子が伺える。まるで「働きたいなら歓迎するぞ」と言わんばかりだ。もちろん、僕にはまだ何も成し遂げていないし、下積みどころか出発点にすら立てていない。

 それでも、こうして古書店で寝泊りし、図書館で調べ物をする毎日を続けていけば、いつか新しい発見があるだろう。そう感じながらページをめくると、ある記述に目が止まる。王都から離れた地方の駅では、夜間に魔力が乱れやすいため待機時間を長くする、という運行ルールが書かれていた。日本の電車でも深夜帯にはダイヤを変動させたりするが、まさか魔力の揺らぎを考慮するとは。

 「こういう運行表があれば、列車がどのタイミングで遅延するか、どこで停車するか、全部わかるかも。すごいな、この世界」

 興味だけが先行して、思わず声を落として呟く。リアンが小さく肩をすくめた。

 「それを“すごい”と捉えるのは面白い。貴族や学者連中はそれを“厄介”と呼ぶことが多いからな。魔力の不安定さのせいで思わぬ事故も起こるし、警備面で問題が出ることもある。実際、路線の拡張計画にも障害が多いのが現状だ」

 路線拡張という言葉に、思わず胸が騒いだ。日本で言えば新線開通のようなものだろうが、魔力という要素が絡むと想像を超えた課題が生まれそうだ。

 「こんなに便利そうなのに、問題も山積みってことか。なら……僕にも手伝える部分があるかもしれない。全然保証はできないけど、少なくとも興味はある」

 さらに数冊を引っ張り出し、しばらく没頭した。魔導列車の歴史から各地の駅の概要まで、まるで知らない世界の宝庫みたいに感じる。時間が許すなら何日でも読み込んでいたいが、夜が近づいてきたことを示す鐘が図書館の中庭から聞こえる。司書が閉館のアナウンスを始めたので、仕方なく僕は本を棚に戻して席を立った。

 店主の古書店へ戻る道すがら、リアンがさりげなく切り出す。

 「日中のうちに騎士団の詰め所へ寄って、許可を取ってきた。お前が調べ物を続ける分には問題ないそうだ。……急に怪しまれるかと思ったが、意外とあっさりだった」

 どうやら騎士団への根回しまでしてくれたらしい。僕がこの世界で何か悪さをしないか、上司が一応確認したのだろう。信頼の証とまではいかないだろうが、通りが良くなったのはありがたい。

 「助かるよ。ありがとう、リアン」

 礼を述べると、彼は複雑そうに首を振った。

 「いや、感謝されるほどのことではない。俺も、もし君の知識が役立つならむしろ望ましいと思っているだけだ。……じゃあまた、必要なら声をかけてくれ」

 そう言い残すと、リアンは王都の中央通りをゆっくりと去っていった。大通りには人々の喧騒が続いており、食堂や宿の看板に明かりが灯り始める。それを横目に見ながら古書店に戻ると、二階の小さな部屋で書きかけのノートを開いた。図書館で集めた情報を整理しつつ、「魔導列車」という単語に線を引いてみる。そこから幾筋も疑問が派生していく。魔力の充填量は? 駅同士の距離は? 運行コストは? どれも気になる要素ばかりだ。

 王都での生活は未知だらけだけれど、調べたいことがあるのは悪くない。アルノルト店主の古書は読めるものが限られるから、少しずつ言葉の壁を崩していく必要があるし、図書館にもまだまだ蔵書が眠っていそうだ。情報が集まれば、もしかすると「この世界でしかできない鉄道の活用法」が見えてくるかもしれない。

 手探りの日々だが、書棚に並ぶ分厚い本を目にするたび、心のどこかで妙な期待が募っていく。遠い国から飛んできた旅人のような身分の自分が、この王都でどう立ち回るのか。列車だけではなく、きっと他にも踏み込むべき場所があるはずだ。

 夜風が入り込む小窓を閉じて、ランタンを少しだけ明るくした。真新しいノートの一頁目に「魔導列車研究:八雲」と書き、少しだけ笑ってしまう。いま始めたばかりの些細な作業だけれど、何かの突破口になると信じたい。もっと知りたいことが多いのだから、明日もまた早く街を歩き回ろう。そう思いながらインクを置き、ノートをそっと閉じた。

第3話 王都の様子

古書店の扉を出て大通りへ足を向けたとき、遠くから鐘の音が微かに聞こえた。石畳の道をいくつもの馬車が行き来し、街角の屋台では旅行者らしき人々が異国めいた菓子を買い求めている。市門をくぐったばかりの旅人もいれば、魔導列車の時刻を気にしてせわしなく歩く商人もいる。ここが政治や商業の中心として栄える王都であることを、否応なく感じさせる光景だ。

 「そういえば、王都の近くに何本か路線が伸びているらしいですよね。やっぱり中心だけあって、列車が多いんでしょうか」

 店の帳簿整理を一段落させてから、アルノルト店主に向けて軽く尋ねた。彼は地下室から古い書物を抱えて上がってきたところで、机の端にそれを積んで息を吐いている。

 「多いとも。いくつもの領地を跨いで、魔導列車が物資や人を運んでる。けれど夜間になると、予期せぬ遅延やら早着やらで、定時運行がうまくいかないことが少なくないんだそうだ。魔力が不安定になりやすいらしくてね」

 店主の語り口はどこか楽しそうでもある。それはこの王都という都市が、単なる観光名所ではなく、各地を結ぶ交通の要衝でもあるからなのだろう。郊外に続く路線は特に魔力が乱れやすく、鉄道好きの人間には興味深い課題でもあるらしい。

 「不安定……でも、それほどまでに列車が欠かせないんですか?」

 問い返すと、店主は棚の奥からもう一冊、地図帳らしきものを引っ張り出した。

 「王都で暮らす貴族たちにとって、魔導列車の運行は政治や経済を左右する問題だよ。遥か東の領地まで乗り入れてるから、そこを支配する人間にとっては路線拡張が死活問題になる。利権の匂いもぷんぷんするわけだ」

 まさにこの世界の血脈とも言うべき列車の路線網。その最前線にいるのが、店主がしばしば名前を口にするトライス商会だ。そこの当主がジャノス・トライスという人物で、魔導列車を手広く動かしているのだという。夜間や郊外の路線をもっと広げたいという意欲を見せながらも、貴族の思惑が絡むせいで対立が絶えないそうだ。

 「トライス商会の代表は、最近また新しい計画を打ち出したとか。うちの常連客が小耳に挟んだといって騒いでいたな。王都に大きな路線を増やすか、あるいは別の領地を優先するか――その辺りで揉めているらしい」

 店主がそう話し終えたタイミングで、ドアがひらりと開き、見知った騎士のマントが視界に入った。リアンが「お邪魔じゃないかな」とちらりとこちらをうかがいながら、軽い会釈をする。その姿には王都騎士団の紋章がしっかりと刻まれている。

 「前に話した王都の列車警備の件だけど、やっぱり妙な噂が増えてるみたいだ。貴族の誰かが裏で駅を牛耳ろうとしているとか、夜間ダイヤをわざと乱しているとか……いろいろ飛び交っている」

 リアンは声を落として言う。どうも騎士団に届く情報のなかには、王都社交界の有力者――いわゆるリスレット公爵夫人の動きが怪しいという話も混ざっているそうだ。なにしろ王都にいる貴族たちは莫大な資金を握っている。しかも公爵夫人と呼ばれる彼女は、魔導列車の路線整備に影響を及ぼすほどの地位を持ち、列車事業を完全に掌握してしまおうとしている噂が尽きない。

 「実際のところ、夫人の近くには執事のボルデという人物が控えている。男手一つで強引な交渉やら密談を仕切ってきたらしく、あまり表には出ないが相当な切れ者らしいな」

 リアンはそう言いながら、目を伏せて小さく息を整える。そしてさらりと話題を移すように、ある名を口にした。

 「……トライス商会の娘、イザベラという人がいるんだが、彼女は父親とは別の考えを持ってると聞いたことがある。商会に育てられながら、貴族社会を見限ろうとしているとか。舞踏会などでたまに姿を見かけるが、そう簡単に本心は話してくれないらしい」

 どの勢力に与するかで、魔導列車の未来が大きく変わる。それだけ列車が王都にとって重要な存在だと証明しているようでもある。一方で、彼らの思惑は複雑に絡み合い、下手に首を突っ込めば厄介事を呼び込みそうだ。

 リアンは廊下側に視線を送りつつ、ほとんどつぶやきのように続けた。

 「もし列車が思うように動かせるなら、物資や人の往来は格段に増える。遠方の領主も儲かる。でも、誰が主導権を握るかによって勝ち組と負け組がはっきり分かれるのが現実だ。騎士団としては、平和に運用されるのが一番なんだが……そう簡単にはいかない」

 彼がそう語るなか、店主はそっと地図帳を閉じた。その表情からは、どこか探索心をくすぐられるような雰囲気がうかがえる。やがて立ち上がり、店先を掃除しに向かいながら、後ろ向きにこちらへ言葉を投げかけた。

 「王都に来たばかりの人間は、まずはこの場所がどれだけ多種多様な路線に支えられているか知るといい。表向きは華やかだけど、裏側にはいろいろな火種もある。ま、好奇心旺盛な旅人さんには面白い題材かもしれないな」

 そう言われてふと目を移すと、店の片隅には魔導列車の古い路線図がかけられている。夜の区間は赤い線で引かれており、その説明には「深夜は魔力の流れが乱れるため要注意」と小さく書き添えられていた。夜間に列車を走らせるのがいかに困難かを実感させられるような図だ。

 傍でリアンは腕を組んで思案している。「騎士団としても、あまり表立って貴族に口出しはできないけど、魔導列車は王都の血脈みたいなものだからな。利権だけじゃなく、技術的な問題も山積みだ」と短く漏らす。

 それぞれの路線、夜間運行の不安定さ、そして王都を中心とした利権のぶつかり合い。歴史のある街でありながら、近代的な要素を孕むこの王都は、何やら事件を呼び寄せる空気が漂っている。八雲という転移者の存在も、その渦に引き込まれていくのかもしれない。

 いずれにしろ、魔導列車がこの国の大動脈であることは間違いない。どんな経路を辿っても、いずれは公爵夫人やトライス商会など、列車をめぐる人々の思惑に行き着きそうだ。古書店の棚で見かけた分厚い技術書を眺めながら、八雲はさらなる資料に目を通すタイミングを図る。夜の路線がなぜ乱れるのか、魔力転輪とはどんな仕組みなのか……その疑問の先に、いつか大きな謎が解ける兆しがあるように思えてならない。

 王都では日が暮れるとまた違った顔を見せるらしい。貴族が優雅に舞踏会を開き、商会や職人たちは明日の商取引に思いを馳せる。そしてその影では、誰かが列車を使って新しい企みを進めているのかもしれない。店主が棚卸しを再開し、リアンが王都の巡回へと戻っていく。彼らとの関わりが、魔導列車の行く末を左右する鍵になる――、そう思いながら、八雲はこの街で出会う人々を整理しようと思い立つ。

第4話 事件発生

夜の王都駅は薄闇のなかでも華やかな名残を保っていた。路面に並ぶ灯火は消えかけたようで、旅人や商人がまばらに行き交う姿だけが残っている。そんな深夜の時間帯に、ジャノス・トライスは列車へ乗り込んだ。彼が狙うのは、郊外駅へ向かう便である。翌日に予定される新路線の契約を一刻も早く纏めたいという思惑があり、そこで交渉相手との面会を済ませるつもりだったのだという。

だが、その列車を発つ直前に聞こえてきた公爵夫人の名は気にかかる。王都の社交界では貴族たちが列車事業に深く干渉しているという噂があり、彼らがジャノスの動きを妨害するのではないかという声もある。すでにいくつかの領地を巡る利権が取り沙汰されており、ジャノスはなるべく騒ぎ立てられないよう夜のうちに事を運ぼうとしていた。

だがその夜が明ける前、列車の車内で異変が起こった。始発を準備していた駅係員が、次の朝になってジャノスの遺体を発見してしまったのだ。深夜のうちに刺されたらしく、どこでどう襲われたのか、はっきりとした目撃証言がつかめない。騎士団が駆けつけて現場を封鎖したが、周囲の話がどうにも食い違う。誰かが「終着駅に着いたのは何時だった」と言えば、別の者は「それより早い時間に駅へ降りた」と言うらしい。深夜便の乗客たちがいつ何を見たかが曖昧なため、捜査は手探りだという。

王都騎士団の一員であるリアンが、まさにその捜査を指揮する立場にあった。ジャノスの死因と犯行時刻を特定すれば、誰が彼を狙ったか見えてくるかもしれない。しかし列車に乗っていた者たちの記憶は錯綜し、駅員の証言も何やら腑に落ちない点がある。深夜の運行というだけで魔力や時刻表に狂いが生じやすいからだろうか。リアンは「君の得意分野を貸してほしい」と、古書店で暮らす八雲を呼び出すことになった。

「夜間便には独特のダイヤがありますが、いつもどおりの運行じゃなかったのか、それとも妨害があったのか。そもそもジャノスはいつ列車に乗って、いつ郊外から戻ってきたのか――知りたいことが多くて手が足りない」

リアンの言葉を聞いた八雲は、資料の山をかき分けるようにして「ぜひ手伝わせてほしい」と応じた。転移してきたばかりの身とはいえ、魔導列車や時刻表に強い興味を抱いているのも事実。騎士団とともに捜査を進めれば、列車の運用や深夜ダイヤの仕組みを実際に学べるだろう。そうした個人的な探究心も働いていた。

こうして、列車で起きた刺殺事件が王都の中心話題に浮上する。深夜のうちに不可解な死を遂げたジャノス・トライス。彼はなぜ郊外駅を訪れ、何を話し合っていたのか。なぜ公爵夫人や貴族たちの噂が絶えなかったのか。そして誰が、どのように列車を舞台に殺害を行ったのか。騎士団が入り乱れて詰め所で報告を集めるなか、八雲もまた夜間ダイヤや時刻表の一点一点に目を光らせる。複数の証言が示す時間が合わず、真実を見通せない混迷が深まる。

第5話 捜査始動と時刻表の違和感

夜の王都駅は星明かりすら霞むほど静まり返っていた。いつものように荷物を運ぶ商人たちも姿を消し、まばらな明かりがホームをぼんやりと照らしている。そんな薄暗い情景のなか、騎士団のリアンが腕を組んでたたずんでいた。彼の背後には、いつか見た列車の車両が停まったままになっている。深夜帯の運行を終え、朝を待つばかりの姿がどこか物々しく見えた。実際、朝になってから発覚した一件――ジャノス・トライスの殺害――によって、ここ王都駅は軽いパニックに陥っている。証言と記録がかみ合わず、捜査は混乱を極めていた。

鉄道の路線図

下記は王都近郊の魔導鉄道路線をざっくり示した図だ。文字はこの国独特のものだが、八雲の目には不思議と内容が読み取れる。

         ┌─【北方領・コルニス】
         │
[西領・ガレント]─王都─[郊外駅]─【東領・ノルデ】  
         │            
         └─【南方領・クリュメラ】

王都を中心に四方へ延びる路線が基本構造。

郊外駅は東方面にある大きな分岐拠点。

北西南東それぞれの領地に通じる路線が敷かれているが、夜間の運行は不安定とされる。

運行表(深夜便)・抜粋

列車番号 出発地 出発 時刻 到着地 到着時刻 備考
#214 王都駅 21:00 郊外駅 23:30 定刻通り運行
#215 郊外駅 23:50 王都駅 01:20 公式予定時刻
#216 王都駅(深夜便) 不定 不定 夜間は魔力次第

問題となっているのは、#215 郊外発→王都行きが“本当に1時20分に到着したのか” という点である。

「どうやら昨夜、ジャノスは二度この駅を使ったようなんだ。21時発の列車で郊外へ向かい、交渉を済ませてから、23時50分発の便で王都に戻ってくる予定だったらしい。駅の記録を見る限り、時刻は公式にはそのはずなんだが……どうも実際の到着時刻と合わない証言が混じっている」

リアンは列車の運行台帳をめくりながら首をひねる。八雲は隣でそれを覗き込み、夜間の時刻表を探そうとする。ところが深夜ダイヤは魔力の揺らぎの影響を受けやすく、細かいズレが生じがちだという。複数の乗客が「あの列車は早く着いた気がする」「いや、むしろ遅れていたのでは」などと錯綜する証言を繰り返しており、時間の歯車が噛み合っていない。

「公式には帰りの列車は1時20分に王都に着くことになっている。なのに、『もっと早い時間に駅へ到着していたのを見た』と言う人もいるそうだ。夜勤の駅員も“うとうとしていた”とか曖昧でな。かえって混乱してしまっている」

夜のうちに何かがあったことは間違いない。それも、ジャノス・トライスは刺殺体で見つかっている以上、列車内で殺害された可能性が高い。八雲は胸の奥で不安を抱きつつも、時刻表の矛盾に目を向けざるを得ないと感じていた。鉄道オタクならではの勘というべきだろうか。

「もうひとつ気になるのは、舞踏会を開いていた公爵夫人が『深夜の列車なんか知らない』と強く主張していること。執事のボルデは“自分は王都にずっといた”と。仮に列車に乗っていないなら、犯行は不可能に見えるよね」

リアンが詰め所の机に地図を広げる。そこには王都周辺の路線が記され、郊外駅までの道が強調されている。もし夜間ダイヤが正確なら、23時50分に出発して1時20分に着く列車に乗っていては、1時前に舞踏会会場へ戻るなどできない。だが、実際には時刻が合わないという証言もある。八雲はそこにトリックの匂いを感じていた。

ある乗客は「魔力の流れが変だったから、予定より遅くなったかも」と語り、逆に「早着どころか遅着だった」という証言を出す者もいる。これが捜査をさらに混乱させ、「やはり誰も嘘などついていないのでは?」という見方を一部で生んでいる。しかし、イザベラの話や駅員の曖昧な言動を合わせると、どうにも「本当に遅延だったのか?」と疑わしい。捜査班の一部を惑わせている。

現時点でのタイムライン

21:00:ジャノスが王都駅から郊外へ向かう(便#214)。
23:30:郊外駅に定刻到着。ジャノスは交渉相手と短時間面会。
23:50:ジャノス、郊外駅発(便#215) → 王都行き。公式予定では1:20着。
深夜0時台:列車内で何らかのトラブル(目撃証言があいまい)。
翌朝:駅でジャノスの遺体が発見される。時刻表との矛盾が浮上。

「ジャノスは行きも帰りも列車を使ったことは確かで、23時50分の便に乗った。しかし、朝には刺殺された姿で見つかった。もし帰りの列車が1時20分に着いていたなら、犯行は到着後か車内で起きたと思うのが自然だが、誰もはっきり見ていないってわけだ」

リアンが困惑の表情を見せるなか、八雲はノートを開いてペンを走らせる。まずは「列車の到着時刻が本当に1時20分だったのか?」という疑念を深掘りするべきだろう。なにしろ、一部の証言では「深夜0時台に王都駅へ着いていた」と言い出す乗客すらいるのだから。

容疑者一覧 (八雲とリアンが集約した情報)

公爵夫人リスレット

舞踏会の主催。深夜の列車に無関心を装う。
列車利権を狙っているとの噂が根強い。
当夜は「終始会場にいた」と周囲が証言。

執事ボルデ

公爵夫人の右腕で、密談や裏交渉を得意とする切れ者。
「王都にずっといた」と言い張る。
ジャノスの動向を探っていた形跡もある。

イザベラ・トライス

被害者ジャノスの娘。新路線構想の継承を望む。
当夜は20時頃から22時半頃まで商会事務所に滞在。自宅の召使い達が複数証言。
23時前後に、父が郊外へ向かうと知り、少しだけ王都駅へ行こうか迷ったが、結局出向かずに帰宅。 深夜に出歩いた事実はなく、複数の使用人が「彼女は深夜まで屋敷で書類を整理していた」と証言。
捜査協力者として騎士団に詳細を語っており、動機もなければ行動が裏付けられているため、容疑は低いとされる。

駅員や車掌(夜勤担当)

深夜ダイヤのズレについて曖昧な証言。
「うとうとしていた」という者が複数。

その他貴族・商人

舞踏会にいたとされる者たち。
「そもそも列車の運行を気にしていない」との声が多いが、証言を精査中。

「公爵夫人と執事ボルデのアリバイが固すぎるのも気になる。二人とも“舞踏会にいた”と周囲に思わせることに成功していて、もし実際に列車を使っていたとしても、夜間ダイヤのブレで時刻を誤魔化せる可能性がある」

八雲は夜風に当たりながら、ホーム先端へ足を運ぶ。そこに停まっている車両を見やり、深く息をついた。郊外駅を23時50分に発った列車が0時台に着くことは公式にはあり得ない。

「“魔力乱れで大きく遅れた”という説もある。実際、『あれは遅着だった』と語る人までいるけれど、それがかえって捜査を混乱させているわけだよね。ごく一部の人間が“いや、早着だった”と主張していて、そっちが真実かもしれない」

リアンの声にも苛立ちが滲む。夜間ダイヤゆえの混乱が事件のカギになり、捜査が一筋縄ではいかない。イザベラから話を聞いたところ、ジャノスは「もし公爵夫人に路線拡張を妨害されるなら、早々に交渉をまとめないといけない」と焦っていたという。そこへ目を付けたボルデが、深夜に列車を使った刺殺を仕掛けたのだとしたら……。

「とにかく、どの時間帯でジャノスが殺害されたのかを突き止めない限り、犯人に迫れない。車内で目撃情報があるか、駅の発着記録はどうなっているか……八雲、時刻表の見地から何か掴めそうなら教えてくれ」

そう言ってリアンはノートを押しやる。八雲はページをめくり、21時と23時30分、23時50分、それから1時20分といった数字を思わず目で追う。公式記録には確かにそう書かれているが、現場の証言はまるで別々の物語を語っているようにばらばらだ。

八雲はノートの端に「1:20到着?」と大きく書き込み、その後ろに「0:50?」とさらに書き添える。こうして夜間ダイヤの疑問は色濃く残ったまま、捜査は始まったばかりだ。王都に戻ったはずのジャノスがどこで誰に殺されたのか、舞踏会を主宰していた公爵夫人は本当に無関係か。駅員たちの曖昧な証言も奇妙に感じられる。それでも八雲は、鉄道オタクとしての直感を信じるなら、時刻表こそが真実を暴くカギだと確信していた。まだ解けない線が多すぎるが、一歩ずつ向き合わなければ解答にはたどり着けないだろう。

「夜間ダイヤが混乱しているのは仕方ない。だからこそ、誰かがそれを利用しようと考えたのかもしれないね。逆に言えば、このズレを丁寧に検証すれば、トリックは破れるかもしれない」

深夜のホームから立ち上る静けさを噛み締めながら、八雲は気合を入れ直す。目の前の列車にはまだ隠された事実がある。そして、それを解き明かすためには時刻表を軸に組み立てるしかない。状況が混乱するいまこそ、正確な到着時刻を突き止めることが、事件解決への道筋になると信じて――。

第6話 トリック仮説とアリバイ崩し

深夜の駅舎に人けは少なく、外灯の淡い照りが線路沿いをうっすら染めていた。騎士団の詰め所はその一角に仮の指揮所を構え、八雲は資料を並べながら、帰りの列車が数十分ほど王都へ早く着いたのではないかと頭を巡らせている。気になるのはダイヤ表にある「1時20分到着」という数字と、複数の乗客が口にした「0時50分ごろには駅へ着いていたらしい」という話の隔たりだ。

彼が一枚の紙に目を凝らしていると、扉を押してリアンが戻ってきた。腕のなかには深夜ダイヤに関する書類が束ねられている。彼が椅子に身を預けると、積み上げた書類がかすかな紙のこすれる音をたてた。「駅員が言うには、本来のスケジュールだと1時20分着が妥当だそうだ。でも昨夜の便に乗っていた者の何人かは『やけに早く駅に着いた』とか、『あれは1時じゃなく0時台だった』みたいに言っている。さすがに全員が勘違いとは思えないんだが、正式な記録にはそこまで載っていない」リアンの口調は区切りがはっきりしている。八雲がノートを開き、日の入りからの時刻を頭のなかで組み立てようと試みる。21時発の列車が23時30分に郊外へ着き、23時50分にまた出発したと確認されている以上、1時20分頃に王都へ戻るのが表向きの予定だった。そこへ噂の「0時50分到着」説が混ざると、誰かが意図的に到着を早めた可能性が見える。

「もし昨夜の便が0時50分に駅へ着いていたとしたら、30分の誤差が生まれますよね。その差は大きい。ジャノスさんを誰かが列車内で襲い、わずかな時間に舞踏会へ戻った…そんな流れを作り出すには充分かもしれない」八雲は言いながら懐中時計を軽く指先で弾いた。この世界の夜間運行では、魔力に左右されて予定通りに走らないことが少なくないと聞いている。それでも公式には「1時20分着」となっていれば、周囲は「それより早くは着けない」と思い込みやすい。そこへ「実は0時50分」に到着していたのなら、舞踏会へ移動しても矛盾しない人物がいるかもしれない。

「舞踏会というと、公爵夫人がホストだったんでしたよね。執事ボルデは最初から会場にいたと言い切っているけれど、会場の参加者が『1時前にあの人を見かけた』と証言しているらしいです」リアンが机の隅にあるメモを指先で示す。ボルデがずっと王都にいたのなら列車に乗っていないことになるが、それならばジャノスを殺す機会はなさそうに思える。ところが、列車が30分ほど予定をくつがえすほど早着していた可能性が出てくれば、「1時前に舞踏会へ現れる」という行動自体が実行できるかもしれない。

「公爵夫人のほうは『夜の列車なんて知らない』と繰り返しているみたいで、イザベラさんは父の行き先を知ってはいましたけど…そこに深く踏み込む気配を見せていない。父が23時50分に郊外を出て、1時20分に王都へ着くはずだったのに、0時台にもう到着していたなら話が変わる。ダイヤと実際が食い違うことを知っていた人物が、ジャノスを狙ったのかもしれません」八雲がノートに書き込んだ数字をなぞる。特別室で姿を隠すこともできる夜間列車だ。そのうえ眠りかけている乗客も多く、正確な時刻感覚をもたない人ばかりかもしれない。そうであれば、列車を出たあとわずかな空白で舞踏会へ移動しても、周囲は「どうやってそんな早さで戻ったんだ」などとは思わず、単純に「最初からいた」と錯覚するに違いない。

「列車の車両そのものにも不可解な点があると聞きました。車掌が夜中に『ブレーキ点検』をしたという報告を残していたらしい。魔力転輪を調整する行為だった可能性もあるかもしれない」リアンの手元にある書類には、ところどころ空白がある。確認不足なのか、あるいは誰かが意図的にごまかしたのか。八雲はこの世界に来たばかりで、全容を把握するのは難しい。それでも、もし深夜便のダイヤを人為的に変えられるのならば、その裏に利権や命のやり取りが潜んでいてもおかしくない。

「ジャノスは21時に王都を発ち、23時30分に郊外へ着いて急いで交渉を済ませ、23時50分の便で戻る。そこまで確認されているのに、終着駅で刺殺体となった姿を誰も目撃できなかったのは変ですよ。終点近くで列車を降りるはずが、その前に殺されたのか、あるいは誰かが周りに気づかれないよう工作したのか…いずれにせよ時刻表の矛盾を突かないと解き明かせない感じがします」八雲が声を落とし、リアンもうなずくように眼差しを落とした。捜査隊が列車の内部を調べ始め、翌朝にはさらに詳しい検証が行われる予定だ。それで魔力転輪の不審な痕跡や車掌の奇妙な報告などが浮かべば、誰がその誤差を利用したかも少しははっきりするだろう。

「列車の運行を変えれば、到着時刻に逆らって“アリバイ”を捏造できるかもしれない。それが夜間、半分眠っているような乗客だらけの状況ならなおさらか…」リアンが息をつくように言い残す。八雲のノートには0時50分、1時、1時20分と三つの数字が丸で囲まれており、その間に線が引かれている。どれが虚構で、どれが真実なのか。そこを解き明かすことで、ジャノスがどの時点で命を奪われたかが浮き彫りになるかもしれない。

加速や時刻の操作といったミステリめいた発想が、ここではリアルに関わっていそうだ。もし夜間ダイヤの誤差を仕組んだ者がいるなら、公式には「1時20分着のはずだから、1時前に舞踏会にいるのは不可能」と周囲に思わせられるだろう。執事ボルデが本当に列車になど乗っていなかったのか、それとも裏で魔力を使って到着を早めた張本人なのか。実態を突き止めるために、八雲は帳票を片手に立ち上がり、次の調査に備える。時刻表を虚飾に変えてしまうほどのトリックがあるならば、列車の本質を知る者こそが事件を解明する鍵を握っている。もしその鍵を手にできるのなら、夜間の闇に沈んだ誤差を白日の下に晒せるはずだ。

第7話 浮かぶ黒幕と動機

夜が深まった騎士団の詰め所に、イザベラ・トライスの姿があった。彼女は椅子の背に体を預け、父ジャノスがなぜ殺されたのかを問われるたびに言葉を探している。隣にいる八雲とリアンは、必要があれば声を挟もうと静かに耳を澄ませていた。

「父があの新路線計画を急いでいたのは確かです。でも、公爵夫人がどこまで関わっているのかは、私には……」

イザベラがそう言いかけると、騎士団の幹部が書類を開きながら口を挟む。そこには、ジャノスが狙っていた新路線の地図と、公爵夫人の領地が交錯している様子が示されていた。公爵夫人は王都の社交界で絶大な影響力を誇り、魔導列車の利権も握りたいと噂されている。ジャノスの計画が実現すれば、夫人の領地を迂回するような路線が敷かれ、彼女が得てきた利益を脅かす可能性が高い――そう指摘する者が少なくなかった。

「夫人の名が浮上するのは必然だよ」

リアンがそう告げると、イザベラはうつむきがちに視線を落とす。新路線構想をめぐる嫌がらせや資材の搬入妨害が続いていたことを、父から聞いていたそうだ。しかし、その裏に公爵夫人がいると確信する材料は見つからず、ずっと気を揉んでいたらしい。

「父が契約相手と話しているとき、執事のボルデという人を警戒するよう言っていたんです。でも、当の父は“ここまでして計画を潰すとは思わない”と……」

そう口にしたイザベラは、何度も思い返したのだろう、父が新路線にかけた想いを語る。王都と遠方を結び、貴族の都合に振り回されない鉄道網を築くことが夢だった。だが、その利権や妨害工作が原因でジャノスは列車のなかで命を落とした。そこでリアンは、捜査上の見通しを短くまとめた。もし公爵夫人が本当に列車網を牛耳るなら、新路線など許すはずがない。深夜、アリバイの作りやすい舞踏会を開きつつ、執事を使ってジャノスを消そうと図るのは理にかなう行動だろう、と。

「夫人自身は“私は舞踏会の主催で忙しかっただけ”と強調している。けれど、イザベラさんの話を総合すれば、あの人が一切絡んでいないとは考えにくい。郊外から戻るはずのジャノスを狙うには絶好のタイミングだったわけだから」

八雲はメモを確認しつつ、「列車のダイヤが曖昧になりがちな夜間を、いかにも犯行に利用しそうだ」と推測する。実際、公爵夫人とボルデに対する噂は王都の商人たちの間でも囁かれている。ボルデが「自分は舞踏会にいただけ」と言い張るほど、誰もが逆に不信感を募らせているようだった。

「ボルデが“列車になど乗っていない”と胸を張る理由は、列車が1時20分着のはずだから――という前提に立つからこそ意味を持つ。でも、今回の捜査で、実は0時50分に到着した可能性が高いとわかってきた。もしそれが事実なら、ボルデでも1時前に舞踏会へ行けるわけだ」

八雲がそう補足すると、イザベラは微かに息をのみ、ノートを見下ろしている。何度か口を開きかけるが、まだ言葉が追いつかないらしい。ともあれ、公爵夫人の動機はじゅうぶんに成立する。新路線が完成すれば得られなくなる領地の通行料や利権が大きい以上、ジャノスを消す理由は明確だ。だが決定的な難関は、夫人が列車に乗った証拠を出せないことだ。本人は「舞踏会の来賓相手で手いっぱいだった」と繰り返し、列車のことなどまったく知らないと語っている。そこで八雲は夜間ダイヤの加速に注目するべきだと強調した。

「実行犯がボルデだとすると、いったん列車でジャノスを殺してから、想定より早く王都へ着き、公爵夫人の舞踏会会場へ戻る……この流れさえ証明できれば、夫人が命じた犯行を立証しやすくなるでしょう。“列車は時刻表どおり1時20分に着く”と皆が思いこんでいればこそ、ボルデにアリバイが成立するわけですし」

イザベラはそこではっと顔を上げ、「私にできることはありますか?」とリアンに問う。自分が父の契約書や商会の記録を見直せば、公爵夫人側が何か仕掛けていた証拠を見つけられるかもしれない――そう訴えるのだ。

「父の築こうとした路線を、こんな形で潰されたままでは悔しすぎます。もし夫人が黒幕として浮かぶなら、その疑惑を徹底的に晴らすか、突きつけるか、どちらかにはっきりさせたい」

かつてはおとなしい印象のイザベラだったが、今は一歩も引かぬ思いをのぞかせる。舞踏会で華やかに振る舞う公爵夫人を相手にするには不安もあるだろうが、父の無念を知る以上、もう後には引けないのだろう。リアンもうなずきながら、彼女の目をまっすぐ見返す。

「列車の証拠がそろいつつある現状では、夫人がどれほど権力をかざしても対処しきれないはずだ。ボルデが隠していた“早着”の痕跡が全部白日の下に出れば、舞踏会を言い訳にしたアリバイは崩れるだろう。……あとは、どこまで夫人に自白を迫れるかが問題だな」

そして、八雲は静かにノートを閉じる。深夜ダイヤの仕組みが犯行に使われた確信が強まるほど、公爵夫人の影も濃厚になる。ジャノスの命を奪い、新路線を止める意図が働いたなら、ボルデだけで実行できるわけがない。結局、今のところ夫人は「列車のことなど存じ上げない」と目をそらしているが、騎士団が捜査を詰めれば簡単には逃れられないだろう。イザベラもまた「父の遺志を守るためなら」と、その覚悟を固めているらしい。

「列車の加速や到着時刻の不自然さをもっと詰めれば、必ずボルデを追いつめられます。そしたら夫人の名が明るみに出るのも時間の問題です。どう転んでも、ジャノスを殺した理由が“列車”にある以上、夫人は無関係を装い続けられないでしょう」

リアンは小さく息を整える。闇のように底知れぬ公爵夫人の政治力と、イザベラの抱く父への想い。その対立が表面化しつつあるいま、魔導列車という大きな舞台が全貌をさらし始めている。もし夫人が黒幕だと立証されれば、新路線をめぐる列車の未来も変わり、イザベラは父の志を継げるかもしれない。廊下の隅でイザベラはそっと息をつき、騎士団をあとにする。八雲とリアンは何も言わずに彼女を見送ったあと、再び詰め所の窓辺に並んだ。その窓の外には、街の灯りがちらちらと揺れている。

「公爵夫人という大きな壁を相手にする以上、相当な覚悟がいる。――でも、深夜ダイヤの不自然さを見逃しては、ジャノスの死の真相にたどり着けない。イザベラさんのためにも、俺たちで真実を引きずり出そう」

リアンの呟きに八雲も深くうなずき、夜風が小窓をかすめるのを聞いていた。もし公爵夫人がすべてを操ったなら、彼女は舞踏会という華やかな場でまんまと手を汚さずに済むはずだった。だが、彼女が見落としていたのは、転移者の“鉄道への視線”――ダイヤと到着時刻のわずかなズレにも敏感な観察者の存在にほかならない。

こうして、舞踏会と列車という二つの舞台で交錯する事件の黒幕像は、より濃い影を帯びて迫ってきているのだった

第8話 決定的証拠

夜明け前に近い時間帯、騎士団の詰め所にはやけに落ち着かない空気が流れていた。夜間の捜査を進めた者たちが各々の書類を照らし、時折誰かが短く指示を飛ばす。そんななか、八雲とリアンは駅長室で見つかった運行ログをじっと見据えていた。

「駅長から預かった記録には、魔力転輪へ注ぎ込んだ魔力の数値が普段より多く計上されているそうですね。深夜0時台に急に高まった形跡がある、と」

八雲がログのページをめくりながら視線を落とす。駅長室には長年の運行データが保管されており、本来は車両整備や安全対策に活用される。それなのに、今回だけ妙に高い魔力加速の数値が示されていることが気になって仕方がない。

「ここに、深夜0時半から0時40分ごろにかけて“ブレーキ点検”と称した作業が記録されてるんだが、実際にブレーキの不具合は見つからなかったと駅員が言っていた。代わりに“魔力転輪の動作”を調整したメモが残っていてな。あからさまに怪しい」

リアンは眉を寄せながら、紙の端を指先でトントンと叩く。ブレーキ点検と称して、誰かが転輪に余分な魔力を注ぎ込み、列車を予定より速く走らせたのではないか――その仮説を裏付ける証拠としては充分に思えた。

「もし実際に列車が深夜0時50分に王都へ着いていたとしたら、到着予定が1時20分だったことと合わせて30分の誤差になります。これを利用すれば、ジャノスさんを殺害したあと『まだ列車は着いていないはず』と周囲を誤誘導できますよね。つまり、ボルデさんのアリバイ工作がここで成立する」

八雲はノートに線を引きながら、23時50分に郊外を出発した列車が本来は1時20分に到着するはずだったことを再確認する。そこを0時台のうちに王都へ着かせるためには、魔力転輪に相当な加速を加えなくてはならない。駅長室のログに残る“想定外の加速”が、その事実を示しているように見えた。

「現に、数名の乗客は『夜道を走行中、妙な振動を感じた』とか『ブレーキ点検とかいう話があったが、すぐ走り出したから不可解だった』なんて言っている。確たる証言ではないにせよ、誰かが夜半に転輪を触っていた可能性は高い」

リアンが言い終えると、奥のほうから声が上がった。捜査に加わっている別の騎士が、魔力に詳しい技術者を連れてきたらしい。技術者は書類にざっと目を通すと、「深夜0時半すぎに通常の倍ほどの魔力が転輪に注がれた記録がある」と難しい顔をして教えてくれた。やはり、この余分な魔力こそが“早着”の根拠にほかならない。

「となると、ボルデのアリバイも一気に崩れるんじゃないでしょうか。舞踏会へ1時前に姿を見せたのが本当だとしても、列車が0時50分に着いていれば、確かに1時に会場にいてもおかしくない。だけど、それは“列車が絶対に1時20分に着く”っていう常識を逆手に取ったから成立する話ですよ」

八雲の指摘に、騎士団員たちのあいだにざわめきが広がる。魔力転輪への加速量という決定的な証拠が出た以上、「1時20分にしか着かないはず」と主張していた側こそが怪しいというわけだ。その証拠はまさにボルデが仕組んだ時刻表トリックを示唆している。

「ジャノスが深夜0時30分から0時40分のあいだに殺害されたと考えれば、この加速が始まった時刻と重なる。殺害後、列車はぐんと速度を上げて0時50分頃に王都へ到着。ボルデはすぐ駅を出て、公爵夫人の舞踏会会場へ走れば十分間に合う。そりゃあ1時に会場へ入っても不思議じゃないな」

リアンは机を軽く押し払いながら視線を上げる。ボルデが「列車なんぞ乗っていない」と自信満々に語った理由が、ここへきて裏目に出始めた。正式ダイヤを信じこむ者にとっては「1時前に会場へ来られるはずがない」と錯覚させるが、実際には列車が0時台に着いていたのだとすれば、話は変わる。

「ただ、問題は公爵夫人だ。執事ボルデが自白しない限り、夫人が命じたと立証するのは難しい。彼女は自分が舞踏会のホストであることを強調して、列車の話など聞いていないと押し通すかもしれない」

別の騎士団員が苦い声を漏らすが、そこへイザベラが姿を見せた。父のジャノスがどんな状態で遺体となったかを確認し、捜査情報を共有してほしいと申し出ていたのだ。彼女の瞳には決意が宿っている。

「もし執事ボルデが裏工作していたとわかるなら、父の死は“正式ダイヤとの食い違い”に関係していたと証明できます。舞踏会の裏で公爵夫人がどんな動きを取っていたか、私も手伝います。……例の書類――新路線契約に関するメモですが、父の机に鍵のかかった小引き出しがあって、そこに不審な手紙の切れ端が挟まっていたんです。公爵夫人の紋章のような印がありました」

イザベラはそう言って、差し出してきた小さな紙片をリアンに渡す。そこに描かれているのは間違いなく夫人の紋章らしき図形だが、文面は破れていて読み取れない。ただ、「新路線が完成する前に抑えなくては——」という不穏なフレーズがかろうじて残っている。

「公爵夫人は自分の領地を通さずに列車が走ることを極端に嫌がっていた、という噂もある。何もかも合致してくる感じだ。……ボルデが自白しなくても、この魔力転輪のログとイザベラさんの紙切れを突きつければ、相当厳しい状況に追い込めるんじゃないか」

リアンの目が光を帯びる。捜査の進展がようやく夫人の足元を揺るがす段階に来たというわけだ。表舞台で華やかな舞踏会を開いていた彼女が、裏では列車を利用してジャノスを抹殺しようと画策し、執事に実行させた。その証拠が運行ログという形で示されたのなら、公爵夫人の陥落も時間の問題だろう。

「私には公爵夫人を断罪する権限はありませんが……もし父が殺された理由が“列車の利権”にあるのなら、せめてその事実を明るみにしたいのです」イザベラの声は小さいながらはっきりしていた。加速ログという決定的証拠は、ひとまずボルデの偽装アリバイを壊す。そこから夫人へ追及を伸ばせるかどうかは、騎士団の手腕にかかっている。だが、この場にいる八雲やリアンは、その流れをしっかり作ろうと心に期していた。

「では、次は公爵夫人にも正式に話を聞くしかないですね。もう“舞踏会で忙しかった”というだけでは済まされないでしょう。夜中に列車が早着していたなんて話、普通の貴族なら到底想像しない。それを利用した人物こそがボルデであり、ボルデを仕向けたのが夫人の可能性は極めて高い」

八雲は長く引き伸ばした紙の地図をふとたたみこむ。その先にあるのは、夜中に加速を仕掛けた者の姿。すなわち、ジャノスを殺害しつつ、短時間で舞踏会へ戻ることでアリバイを完成させた犯人像がくっきり浮かぶ。「最初から会場にいた」と言い張っているボルデだけが、それを成し遂げられる立場にあっただろう。

「夫人がどこまで関わっているにせよ、執事ボルデの立場は絶体絶命だ。新路線を阻止するためにジャノスを狙った証拠が、運行ログという形で示された以上、もう逃げ場はない。これで連中が裏で握りこんでいた“魔導列車を動かす権限”をも白日の下に引きずり出せると思う」

リアンが言い終えると、数名の騎士団員が動き始めた。公爵夫人への聴取を要請する手続きが整ったのだという。加速ログをめぐる疑義と、ボルデが終電に乗っていた可能性を改めて突きつけることになる。一方で、夫人がどう反応するかは未知数だが、このままでは逃げ切れまい。深夜の舞踏会を口実に利用できたのは、あくまで時刻表と現実の矛盾を周囲が把握していなかったからだ。

「父の計画が潰されるどころか、こんなにも悲惨な事件になるなんて、今でも信じられません。でも、私……必ず父の志を継ぎたいんです。夫人の命令で列車を歪めてまで利権を確保しようとする行為を許せるわけがない。たとえ私ひとりでは難しくても、あなたたちがいてくれれば……」

イザベラは拳を強く握りしめ、ゆっくりと頭を下げた。リアンがそれを受け止めるように短い言葉で応じると、八雲も静かにうなずく。すでに捜査は大詰めだ。夜間ダイヤの不自然な加速という“決定的証拠”を突きつければ、ボルデの舞踏会アリバイは崩落する。魔力を使って早着を図った痕跡は書類にも数値にも刻まれているのだ。

「仮に夫人が『そんな話は聞いていない』と突っぱねても、今回ばかりはそれが通用しないはずですよ。ボルデひとりが加速を仕掛け、殺人を犯す動機をどう説明するか……当然、誰かの指示があったと考えるのが自然ですから」

八雲はログを抱え、ノートをしっかり手に取る。深夜に列車が本来の予定を大きく外れた事実、そしてボルデが舞踏会に滑り込んだ時間。二つの要素が合わされば、公爵夫人が黒幕として関わっていると見なすのは難くない。今、捜査の前線ではボルデの追いつめと、公爵夫人の突き崩しが同時に動き始めている。新路線をめぐる争いが発火点となり、ジャノスを消し去った陰謀はもう隠しおおせない。その先でイザベラが父の遺志を守れるか否かは、夫人がどれほど徹底的に糾弾されるかにかかっている。列車の不規則な時刻表が、とうとう真犯人を引きずり出す証拠として効果を発揮する段階に来たのだと、八雲は深く息をついた。深夜0時50分着――その数字は公式の1時20分着とはまったく相容れない。だからこそ、そこにこそトリックの痕跡が集中していた。魔力による加速という一見ファンタジックな要素が、現実の事件を解き明かす鍵になるのだと、彼は改めて確信した。

第9話 真相と未来

王都の騎士団詰め所の正面に、馬車が横付けされたのは朝の鐘が鳴りそうな時刻だった。扉がひらかれると、執事ボルデの姿が騎士たちの手によって押し出される。曇りない態度を保っていたはずの男だが、今となっては肩を落とし、小さく呻くように何か言葉を呟いていた。公爵夫人の屋敷であれほど強弁していた「列車など乗っていない」という主張が通用しなくなった証拠でもあった。

「お前の“1時前に舞踏会に現れた”という話自体は事実なのかもしれない。けれど、魔力転輪の運行ログを精査したところ、帰りの列車が実際には深夜0時50分に王都へ着いていたこともわかったんだ」

リアンは詰め所の廊下でそう言い、ボルデの目をまっすぐ見据えた。正式ダイヤならば到着は深夜1時20分。だがログの“過剰な加速”が示したのは想定外の早着だった。0時台に駅へ滑り込んだため、1時頃には舞踏会に到着できた――そのどちらを取っても矛盾しない仕掛けで、列車が事件の真相を隠し続けていた。すべてはボルデがジャノスを殺害し、公爵夫人のもとへ戻るために組み立てた“時刻表トリック”にほかならない。

「……俺はただ、夫人の命令に従っただけだ。新路線が実現すれば、夫人の領地を大きく迂回する路が敷かれてしまう。そのままでは長年の利権が崩れるとわかっていた。だからこそ……」

抵抗をあきらめたボルデは短い言葉で経緯を白状した。殺害を命じられたのかどうか、その点ははっきり濁すが、いずれにせよジャノスを排除することで舞踏会の時間と列車の到着予定を絶妙に偽り、公爵夫人側の利を守ろうとしたのは間違いない。夜間ダイヤの曖昧さを利用して時刻をくつがえすなど、普通なら思いつかない計画だった。しかし、その手の込んだ策が仇となり、自ら墓穴を掘った形だ。

廊下の奥にはイザベラが静かに立ち尽くしている。父ジャノスが深夜に列車を使わざるを得なかった理由、そして公爵夫人がどこまで暗躍していたか――多くの要素が結びつき、今回の事件に至ったのだと、彼女にはわかっていた。苦々しさを噛み締める横で、騎士団員たちが集まり始める。

「夫人を断罪するかどうか、決めるのは最終的には王家と領主たちの判断になるでしょう。でも、ここまで真相がはっきりしたのなら、少なくともジャノスを殺した犯人がうやむやにされることはないはずです」

八雲はイザベラに向かってそう告げる。深夜の列車を歪め、ジャノスを殺害した手口はもう秘匿できない。公爵夫人が本当にすべてを指示していたのかどうかは、さらに上層での政治的なやり取りを要するかもしれない。だが、魔力転輪の記録という“決定的証拠”によって、誰がいつ列車を加速させたかは紛れもない事実となった。

「父は自分の手で新路線を完成させるはずでした。貴族に振り回されず、誰もが気軽に列車を使えるようにしたいと。だから、こんな形で投げ出されたままにはしたくないんです」

イザベラの声にはわずかな震えが混じる。ジャノスが生前、どれほど新路線に熱意を注いでいたかを思うと、父の行く末を公爵夫人に踏みにじられたままではいられない。それでも、ここまで事件が明るみに出たなら、イザベラは父の遺志を継ぐかたちで商会を立て直せるかもしれない。長年王都の列車利権を握ってきた夫人に傷がついた以上、簡単に再起を阻まれることはないだろう。

「正直、こういう結末になるとは想像していなかった。それでもジャノスが夢見た鉄道の未来を継いでいく人間がいるのは、王都にとって悪い話じゃないと思う」

リアンはそうつぶやきながら、脇に置いてあった書類の束をそっとまとめる。公爵夫人を上層部に報告し、ボルデの罪を問うことで事件は一応の決着を見そうだ。政治的に揉める余地は残っているが、少なくとも「列車内でジャノスを殺し、舞踏会へ戻った犯人がいる」という大枠だけは揺るがない。そこには、魔力転輪をいじって到着予定をずらした誰かがいると。さらに新たな証拠として浮かんできたのは、魔導鉄道の一部関係者がボルデに懐柔され、過剰な魔力注入を見過ごしてきたという事実だった。いつしか金銭や脅迫で動きを封じられ、誰も表立って拒否や告発できなかったのだという。

「もしぼくがここにいなかったら、夜間ダイヤの細かい矛盾に捜査の目が向くことはなかったかもしれません。魔力の揺らぎで列車が早着するのを“珍しくない”と思う人も多かったでしょうし、意図的に加速させたなんて誰も疑わないですよ」

八雲が軽く息をつきながら言うと、イザベラがほっとしたように顔を上げる。実際、異世界に転移してきた八雲の“鉄道知識”と“ダイヤへのこだわり”がなければ、時刻表の矛盾までは誰も深追いしなかった可能性は高い。リアンも深く頷き、改めて八雲に礼を述べる。

「列車が深夜0時50分に着いた事実をきっかけに、ボルデのアリバイが崩れたのは大きい。もしそのまま正式ダイヤを信じこんでいたら、夫人も『終電は1時20分なんですもの、彼に殺人など不可能ですわ』と開き直れていただろう。魔導鉄道の職員を懐柔し、転輪をいじっていた事実まで出てきた今、もう逃げ道はない」

ボルデが拘束される姿を、イザベラは廊下の奥で見つめている。あれほど父を苦しめた妨害工作も、結局は夜間ダイヤの曖昧さを逆手に取っただけのもの。そこには魔導鉄道のスタッフまで抱き込んだ裏工作があり、わざと加速した時刻表で“殺しの空白時間”を生み出す仕組みがあったのだ。彼女はわずかに唇を噛むと、八雲たちにそっと向き直る。どれほど公爵夫人が強弁しても、もう事件を揉み消すのは不可能だ――そう確信できる表情だった。

「父の想いに報いるためにも、新路線を諦めずに続けます。舞踏会という華やかな場の裏で、こんなにも陰湿な工作をする人のせいで終わりにはできませんから」

その言葉に、騎士団の幹部が神妙な面持ちで頷く。イザベラが商会を継げば、王都はまた新しい鉄道計画を目にするだろう。ボルデの拘束によって夫人の威光が失墜すれば、少なくともジャノスが立ち上げようとした構想を再開する道筋が拓かれる。一方で、八雲は詰め所の外に出てきてから、肩をそっと回して息をつく。魔導列車を解き明かすうちに、この世界のダイヤの奥深さと脆さを思い知らされた。魔力を利用して走るため、夜間に揺らぎが生じるのは自然なことなのだ。そんな仕組みは日本の鉄道とはまるで違う。けれど、逆に言えばその不安定さを誰かが悪用してしまう可能性も、まだ消えたわけではない。

「公爵夫人がどう処罰されるかは上層部の判断だけど、これで夜間ダイヤを歪めて人を殺すなんてやり口は二度と通用しなくなるだろうね。魔導鉄道の関係者もさすがに、もう言われるがままにはならないんじゃないかな」

リアンが軽く肩を上げて言う。転輪のログや加速の数値がさらされた以上、夫人の命令でスタッフが嘘をついていた事実も白日の下に曝された。今後、魔導列車の安全管理は以前より厳しくなるだろうし、夜間のブレーキ点検と称した闇工作もそうそうできなくなるはずだ。

「あなたがここにいてくれて、本当によかった。もし新路線が完成したら、一緒に乗ってみてください。父が喜ぶと思うんです」

イザベラは深く頭を下げたあと、父の形見をバッグに収めて詰め所を後にする。彼女の背中にはまだ悲しみが残っているものの、もう下を向いてはいないように見えた。その姿を見送りながら、八雲もノートを胸に抱える。魔導列車はまだまだ謎の多い乗り物だ。自分の鉄道知識がどこまで通用するのかはわからない。しかし、時刻表の矛盾によるミステリを解きほぐした今回の経験が、きっと別の何かに役立つ日が来るかもしれない――そう信じながら、彼は静かに微笑んだ。

「事件は終わっても、魔導列車の未来は続いていく。僕もまだここでやることがありそうですね」

こうして郊外への定刻便に端を発した殺人事件は、終電の“早着”を利用したトリックの解明により決着を迎えた。公爵夫人の絶大な支配力に陰りが生じ、ボルデは捉えられ、魔導鉄道内部で不正に協力していた者たちも糾弾される。ジャノスの遺志を背負うイザベラが商会を再編し、新路線へ向かおうという機運が今、王都に生まれようとしていた。八雲は駅で鳴り響く始発の案内を耳にしながら、まだ見ぬ路線図を思い描く。いつか夜行列車が新たな大地を切り開く日、そのときこそこの世界の鉄道が本当に花開くはずだ――。彼はノートの次のページをゆっくりと開き、異世界の鉄道が紡ぐ次のドラマを静かに期待するのだった。

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