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謹賀新年殺人事件
第1章:惨劇の年始
桐島里奈が温泉街へやって来たのは、正月明けの取材記事をまとめるためだった。
ちょうど街のお正月飾りも取材ネタになりそうだし、少しはのんびりできる。
そう思って小さなスーツケースを片手に宿へ向かっていると、玄関先で着物姿の女将がぺこりと頭を下げて出迎えた。
玄関には大きな門松が据えられていて、華やかな雰囲気にちょっと胸が躍る。
「ようこそいらっしゃいました、桐島様。お部屋はすぐにご案内できますよ」
女将の柔らかな笑みにほっとしかけた直後、何やら宿の裏口あたりから大きな悲鳴があがった。
女将が目を丸くして走り出すのにつられ、里奈も慌ててあとを追う。観光客らしき人や従業員が何人も集まっていて、
その中心では中年男性が顔を蒼白にして立ちつくしていた。
男性の視線の先には、血の気を失った人間が倒れている。
いや、正確に言えば門松の竹筒に体を貫かれたような恐ろしい姿だった。
見た瞬間、里奈はあまりの光景に息が詰まりそうになる。
目を背けようにも、現場の異常さが焼きついて離れない。
「まさか、門松の職人の吉田さんが……」
誰かがそうつぶやいた。被害者の名を耳にして、里奈はさらに驚く。
職人が自分の作った門松で串刺しにされるなんて、どう考えても普通じゃない。
そこへ背後から聞き慣れない低い声がした。
「事故じゃなさそうですね」
振り向くと、スーツ姿の男がやけに落ち着いた様子で立っている。
パイプのようなものをくわえているが、どうも本物のタバコではないらしい。
年の頃は三十代半ば。口元には妙な余裕が浮かんでいる。
「ええと、あなたは……」
里奈が問いかけると、男は胸を張って答えた。
「高屋敷総一郎といいます。探偵の端くれですよ。こういう事件は放っておけませんからね」
里奈は思わず「探偵?」と聞き返す。
だが、目の前の悲惨な現場を前に詳しく尋ねる余裕はなかった。
人々の騒ぎはすでに大きくなり、さらに警察官の姿も見えてきた。
白い手袋をはめた地元警察官が現場を囲み、近寄ろうとする者を制している。
里奈はちらりと警官の背中に書かれた名札「菊池」の文字を見て、恐る恐る声をかけた。
「すみません、被害者は門松の職人さんですよね? まだ息は…」
「もう手遅れだ。今、救急隊を待っているところだが……」
菊池と呼ばれた警官の言葉がひどく重く響く。
里奈は唇を噛んだ。
さっきまであれほど賑やかな正月ムードだったのに、一気に空気が冷え切ったようだ。
状況を整理しようと、里奈はそっと門松の足元に目を向けた。
そこに小さな紙切れが落ちている。
警官たちが触れないように注意しているのは、指紋や証拠を残すためだろう。
文字が書かれているようだが、里奈の位置からは微かにしか読めない。
それでも、“門松だけに 不幸が待つ…なんちゃって…”といった単語が見えてしまった。
「なんだこれ、ダジャレか?」
高屋敷が鼻を鳴らすようにして言う。菊池は険しい表情のまま、小さくうなずいた。
「冗談のつもりかどうか分からんが、こういうメッセージがあると事件性は濃厚だな」
菊池は低くつぶやき、さらにテープで周囲を封鎖するよう部下に指示を出した。
里奈はその紙切れから目を離せない。
“門松だけに 不幸が待つ…なんちゃって”という言葉が頭の中に焼きつく。
前代未聞の猟奇的な光景と、悪趣味ともいえるメッセージ。
取材を兼ねたつもりが、想像を超える事態に巻き込まれたようだ。
「これは大事件ですよ。あなた、フリーライターさんですよね? 一緒に手がかりを探ってみませんか」
そう言ってくる高屋敷の声に、里奈は半分あきれながらも頷く。
そもそも何がどうなっているのか、理解するためにも情報が欲しい。
それに、事件に直面したショックと同時に、ライター魂がうずいているのを自覚していた。
血だまりの中で門松に突き刺されたままの職人の姿は、まだ視界の片隅に焼きついている。
明るい新年のはずが、最悪の幕開けになってしまった。
その空気を断ち切ろうとでもするかのように、警察車両のサイレンがひときわ大きく響いていた。
高屋敷の眼差しはどこか得意げで、菊池は忙しそうに走り回っている。
里奈は一度だけ深呼吸し、胸の奥に込み上げる動揺をなんとか抑えようとしていた。
事件はまだ始まったばかりかもしれない――なんて考えが頭をよぎる。
だが、里奈はそこまで悲観的になりたくなかった。
ただ、門松で殺人が行われるなんて誰が想像しただろう。
まるで正月気分に冷水を浴びせかけるかのような奇妙な殺害方法に、何か隠された意図がある気がする。
そう思うと、どうしても真相を確かめずにはいられなかった。
里奈はコートのポケットに手を入れ、いつものノートとペンの感触を確かめる。
深く息をついて、高屋敷や菊池の方へと足を進めた。
どこから手をつければいいかは分からないが、今は一歩を踏み出すしかない。
第2章:砕けた鏡餅
翌朝、里奈は早くも取材モードに切り替えた。
宿の朝食に手を付けながらノートを広げ、昨晩の門松殺人の概要を書き出す。
門松の職人が凶器そのものに串刺しにされるなんて前代未聞だが、そこに残されていたダジャレが気になって仕方ない。
犯行動機どころか、そもそも誰がどんな恨みを抱けばあのような犯行に及ぶのか見当がつかない。
廊下に出ると、高屋敷総一郎の姿があった。
スーツの上着を軽くはおり、パイプのような電子タバコをくわえている。
昨晩は妙に落ち着いていたが、今朝になってもその余裕は変わらない。
彼は里奈を見つけると鼻歌まじりに近づいてくる。
「おはようございます。早速ですが、被害者の交友関係やら門松に関する仕事の背景を洗ってみませんか。僕は探偵の端くれですからね。こういうときの段取りには慣れてるんです」
「探偵…って本当に依頼を受けてるわけじゃないんですよね?」
「そこはまあ、ご愛嬌ですよ。興味を持つことがまずは大事だ」
お調子者にしか見えないのに、なぜか言葉に迫力がある。
里奈も頷いて、一緒に聞き込みをすることにした。宿の女将や周囲の人々に話を聞いたが、皆一様にショックを受けていて、有力な情報は得られない。門松の職人は真面目で評判も悪くなかったようだ。
動機らしい動機が見当たらないまま昼を過ぎた。
警察署に顔を出すと、菊池が待ち構えていた。
年末年始のせいなのか、所内は手薄で忙しそうな雰囲気だ。
書類が山積みになっているデスクを横目に、菊池は気乗りしなさそうに二人を会議室へ案内する。
「本来なら一般人を捜査に巻き込むわけにはいかない。しかし目撃もしているし、メディア関係の人間ということで、ある程度は情報を共有することにする。余計なことはしないでくれよ」
彼の言い方は堅苦しいが、もしかすると忙しさゆえに少しでも協力を得たいのかもしれない。
高屋敷は得意げに笑っているが、里奈は控えめに菊池の話を聞いた。
二人が署内の人たちと話をしていた矢先、廊下を駆ける足音が聞こえる。若い警官が慌ただしく菊池に声をかけた。
「菊池さん、今度は和菓子屋の店主が……殴られて死んでます。しかも凶器は鏡餅らしいんです!」
一瞬、里奈は聞き間違いだと思った。
だが高屋敷が「鏡餅で殴られた?」と驚いているのを見て、事実なのだと分かる。
菊池が部下とともに急いで署を飛び出していく。里奈と高屋敷も当然のようにあとを追いかける。
現場となった和菓子屋はこぢんまりとした店構えだが、正面のガラス戸は割れていて、奥から店主の遺体が見えた。店内に残った血痕はそう多くはないが、鏡餅が粉々に砕け、周囲に飛び散っている。そこに先ほどと同じような紙片が落ちていた。
里奈は警官たちの邪魔をしないよう注意しながら、そっとその紙を見つめる。
“餅つきするなら 命もつき…なんちゃって”という文句が目に入る。
あまりにも悪趣味だ。
この町では正月にお餅をつく行事が盛んだと聞くが、それをこんな形で利用するなんて。
高屋敷は少し離れた場所から、壊れた鏡餅や店のあちこちを熱心に見回している。
「犯人は鏡餅そのものに象徴的な意味を見いだしてるんだろうね。丸い形は一家円満や長寿の縁起物だし、これを凶器に使った上で、こんなメッセージを残すなんて…」
彼の言葉に菊池は厳しい表情を向ける。
「二度も縁起物を凶器として使われちゃ、この町の正月行事全体が疑われちまう。職人に続いて和菓子屋までだ。これじゃ観光客も減るだろうし、住民は怖がる」
里奈は胸の奥がざわつく。犯行が偶発ではないことは明らかだ。
しかも、正月の商売に携わる人たちが立て続けに狙われている。
門松の次は鏡餅。
次は何か。
そんな不安が頭をもたげる。
とはいえ、どんな動機があろうと、こんな悪趣味なやり方を選ぶ理由が見当たらない。
「犯人はまだ見つからないんですか?」
里奈が問うと、菊池は小さく首を振る。
「まったく手がかりが薄い。どちらの被害者も殺されるほど恨みを買うような人間関係には見えないんだがな。とにかく、この町に出入りしている人間を大まかに調べるつもりだ」
高屋敷は興奮気味に指を鳴らしている。
探偵気取りというよりは、まるで推理小説の展開を心待ちにしているファンのようだ。
「犯人は正月の縁起物を逆手に取るのが好きらしい。つまり何かしら正月イベントに関わる意図があるのでは? 里奈さん、もう少し周辺を回ってみませんか。門松や鏡餅以外の正月行事にも目を向ける必要があると思うんですよ」
彼の視線は、まるで面白い謎に出会った学生のような輝きを帯びていた。
里奈は複雑な気持ちでその姿を眺める。
怪事件への不安と、真相を追いかけたい好奇心が入り混じり、一瞬言葉が出てこない。
だが取材を続けるためにも、ここで尻込みはできない。
しっかりとノートを握りしめ、里奈は高屋敷にうなずいた。
また別の人が被害に遭う前に、手がかりを掘り起こすしかない。
鏡餅の粉々になった破片が足元でこすれる音が、やけに耳に残った。
第3章:お節料理に潜む毒
温泉街の朝は、晴れたかと思えば急に雪が舞い、落ち着かない天気が続いている。
そんな空模様を横目に、里奈は旅館の玄関で女将の三浦つや子に話を聞いていた。
三浦はここ数日の事件にすっかり困り果てた様子で、店先の花を生ける手つきさえどこかぎこちない。
門松職人と和菓子屋の店主が立て続けに殺された上、どちらも正月の縁起物が凶器になっている。
しかも被害者はそれぞれ、新年の行事に欠かせない仕事を請け負っていた。三浦も正月イベントには力を入れているだけに、不安が募るのも無理はない。
「実は昨年、うちの旅館が協賛している新春イベントを急に中止せざるを得なかったんです」
三浦が声を落としてつぶやく。その理由を尋ねてもはっきりした答えは返ってこない。
ただ、人手不足だとか予算が足りないだとか、いろいろと重なった結果のようだったが、言葉を濁す様子に里奈は違和感を覚える。
高屋敷は黙って横で聞きながら、電子タバコをくわえたまま視線を虚空に向けている。何か考えを巡らせているのだろう。
「正月に合わせて、ここではいろんなイベントが行われているんですよね。演歌歌手の下地ショウさんが、神社で歌を披露するって話も聞きました」
里奈が切り出すと、三浦は微妙に表情を曇らせた。
「下地ショウさんにはうちの旅館もよくお世話になってます。去年は音楽イベントが盛り上がらず、スポンサーの都合で中止になったのが痛かったようです」
里奈は「なるほど」と短く返事をし、早速メモを取る。下地ショウという名前を耳にするのはこれで二度目だが、事件とのつながりはまだ見えない。
とはいえ、この温泉街で何かトラブルがあったとすれば、彼にも何らかの形で関係している可能性はある。
そこへ警察官の菊池から、急ぎの連絡が入った。
里奈と高屋敷が旅館を出てみると、雪まじりの風を裂くようにパトカーが到着する。
菊池の顔には、またしても嫌な予感をはらんだ焦りが見え隠れしていた。
「料亭の板前が毒殺された。連絡を受けて現場へ向かうところだ。どうせ君たちも来るんだろう?」
最後の言葉には呆れの色が混じっているが、里奈と高屋敷に同行を断るつもりはないらしい。
現場となった料亭は、木造の落ち着いた雰囲気をもつ老舗だ。
雪でしめった玄関先には正月飾りが掛けられたままだが、中からは張り詰めた空気が漂っていた。
板場に入ると、あたりに醤油や出汁の香りが残っているものの、誰も口を開こうとしない。
女将と見られる人物が、泣き腫らした目で立ちすくんでいた。
奥には、おせち料理の重箱が無造作に置かれている。
その隣に倒れるようにして息絶えた板前。
警察が見つけたメモには、既視感のあるダジャレが刻まれていた。
「おせち料理の具(ぐ)で 具(ぐ)ったり逝くなんて…なんちゃって」
里奈の背中を冷たい汗が流れる。
門松、鏡餅、そしておせち料理。
すべて正月を象徴する品々が殺人の道具として利用されている事実が、街にさらなる動揺を広げるのは想像に難くない。
高屋敷が料理の重箱をのぞき込み、箸で具材をそっとつついている。
菊池に睨まれる前に手を引っ込めたが、その目は鋭く細められたままだ。
「恐らく毒物が仕込まれていたんでしょう。おせち料理の何に混ぜられたのか、警察の検証待ちだな。いずれにせよ、また正月行事に携わる人が狙われた」
彼の独り言に里奈は息を詰める。
これで三人目の犠牲者が出てしまったわけだ。犯人の悪趣味なメッセージは、毎回微妙に変化があるのも気にかかる。
外に出ると、いつの間にか雪がやんで薄日が差している。
警察官たちは現場保全のテープを張り巡らせ、通行人を遠ざけているが、心配そうに見物する地元住民の姿もあった。
里奈は首をすくめてため息をつく。これまでの被害者を思い返すと、いずれも新年行事を支える立場の人々ばかりだ。
「一体何の恨みがあったら、ここまで徹底して正月の品を凶器にするんだろう……」
呟く里奈の耳元で、高屋敷が落ち着いた声を落とす。
「そこだよね。しかもダジャレという形で、その執念をわざと印象づけているように見える。お正月が嫌い、と単純に言い切れるのかどうか…。もう少し突っ込んだ調査が必要だな」
二人はひとまず温泉街を歩きながら、被害者たちの共通点を洗い出すことにした。
正月特需の商売に携わる人たちばかり狙われているのは明白。だが、そこに女将の三浦や下地ショウの話がどう絡むのか、つながりがぼやけている。
三浦によると、昨年のイベント中止は「人手も予算も合わず仕方なく」だったようだが、もしかするとその裏でこじれた話があったのかもしれない。
たまたま通りかかった神社の境内では、小さなステージが組まれ、地元の若い演歌歌手がリハーサルをしている姿が見える。
声量があるのか、その歌声は雪景色の空気を震わせるくらい迫力があった。里奈はその姿をじっと見つめ、何か引っかかるものを感じ始める。
一方、高屋敷もステージを興味深そうに眺めながら、またパイプ型の電子タバコに火を入れる。
境内に設置されたポスターには、下地ショウの顔写真が大きく印刷されていた。どうやら年始の奉納演歌を予定しているらしい。
周囲には多くの観光客も集まることだろうし、今の状況では心配が尽きない。高屋敷が軽く眉を寄せる。
「やはり今回の犯人は、ただの愉快犯じゃない。何らかの妨害や復讐をしたがっている節がある」
里奈は薄暗い神社の鳥居を見上げ、凍えそうな手をポケットに突っ込む。
門松に串刺し、鏡餅で撲殺、そしておせち料理の毒殺。
三度目の犯行で、町の空気はすっかり凍りつきつつある。
もうひとつ何かのきっかけがあれば、犯人の意図する全貌が見えてくる気もするが、それが何なのかはまだ霧の中だ。
社務所の一角では、おみくじを引いた人々が一喜一憂している。いつもならほほえましい光景だが、里奈の頭には連続殺人のことが張り付いている。
被害者たちの裏側にある悩みや恨み、そして街のイベントをめぐる不穏な話題。全てがいずれひとつにつながるのかもしれないと考えると、落ち着かない気持ちが募る。
遠くから聴こえる演歌のリハーサルは、切ないメロディを響かせながら途切れ途切れに続いている。里奈はその歌声に耳を澄ませつつ、高屋敷と次の手を探るつもりでいた。
第4章:新年ダジャレの謎
里奈は人通りの少ない参道を歩きながら、手帳のメモをめくっていた。門松、鏡餅、お節――それぞれが新年の縁起物であり、それを逆手に取った悪趣味なメッセージが残されている。どれもダジャレ調だが、単なる遊びではない。そこに強い意図を感じる。
高屋敷は神社の境内に立ち止まり、木製の掲示板を眺めている。
年始行事のポスターが何枚も貼られ、その一角に「旅館『玉菊』主催の新年メインイベント」の案内が大きく載せられていた。
演歌のステージや獅子舞、振る舞い酒など、観光客にも人気が出そうな企画ばかりだ。
「このイベント、去年は中止になったらしいね」 高屋敷が視線をポスターに向けたまま言う。
里奈は手帳を閉じてうなずく。
「旅館の女将の三浦さんは理由をはっきり語りたがらない。下地ショウも、去年は何かと苦労した様子で話がかみ合わない」
二人とも同じ方向を見つめながら、無言になる。
三浦の口ぶりからは、金銭面だけではないやりきれなさが漂っていたが、何を伏せているのかは不明だ。
下地ショウに関しては、演歌をうまく売り込めなかった苛立ちが感じられるものの、それ以上の事情を抱えていそうだった。
鳥居の外からはおみくじを引く人々の話し声が聞こえるが、参道のこのあたりは人気がない。
高屋敷はポケットから電子パイプを取り出し、軽く吸い込んでから口を開いた。
「犯人は正月の行事を象徴する品を使っている。それは単なる奇をてらった手法じゃなくて、本当に腹の底から新年を憎んでいるように思える。門松、鏡餅、お節――どれも明るく祝うためのものなのに、まるで『正月なんか縁起でもない』とでも言いたげだ」
「ふつうの恨みなら、ここまで凝った方法を選ぶだろうか。もっと直接的な手段を取ると思う」
里奈がメモ帳を開き直す。
被害者はいずれも正月の行事や商売に欠かせない職人や板前だった。
三人とも性格に大きな問題があるわけではなかったと、周囲から聞いている。
むしろ、地元を盛り上げるために協力していた一面もあるという話だ。
そこから犯人の動機を探るのは容易ではない。
二人が境内を離れようとした瞬間、遠くの石段を見下ろすようにして佇む男の姿が目に留まる。背広姿で、鋭い目つきをしている。
菊池がこちらの動きを確認していたらしい。
里奈が軽く手を振ると、彼はため息をつくように肩を上下させてからゆっくり近寄ってきた。
「玉菊の女将から連絡があった。新年のメインイベントを、予定通り大々的にやるつもりだそうだ。警察としては中止を勧めたいが、観光客も来てしまっている。中止すれば、かえって混乱を招く可能性もある」
そう告げる菊池の声に、迷いが混じる。
里奈の脳裏に門松で殺された職人の姿がよみがえり、続けて鏡餅とお節料理の被害者たちの表情が浮かぶ。
事件の解決策が見えないまま、大規模な催しを開くのは危険が付きまとう。
高屋敷は静かにうなずきながら、ポスターの角に貼られた「振る舞い酒」の字を指先でなぞる。
「大人数が集まる場所は、犯人にとっては格好の狙い目かもしれない。何か仕掛けてくるとしたら、あのイベントでやらかす可能性がある。菊池さん、警戒に人員を回せる?」
「それは検討中だ。正月休みの人員配置もあってな。だが、一応は増員を要請している。いざというときは、君たちもむちゃな行動はするなよ」
警官という立場からくる責任感か、菊池は口調こそ冷静だが、何かに苛立っているようでもある。
最近の三件の事件で町が動揺し、観光客の足にも影響が出始めているに違いない。
里奈は境内の一角に視線をやる。
ここ数日の取材で感じていた妙な違和感――それを突き止める糸口が、玉菊のメインイベントに隠されていそうだった。
昨年中止になった行事の影響、下地ショウの不自然な態度、そして三浦の秘密めいた言葉。
どれもばらばらに見えるが、一本の線でつながる気がする。
「明日は玉菊で演歌のステージがあるはずだ。下地ショウさんが歌う予定で、振る舞い酒も同時に行われるらしい」
里奈が情報を口にすると、高屋敷が軽く息をつく。
「犯人が正月への憎悪をむき出しにしているなら、あの場を狙わない理由がない。僕たちでさりげなく警戒してみよう」
菊池は素直に頷かず、少しばかり不服そうに見えるが、それでも拒否はしない。
「わかった。万が一危険なことになったら、即座に知らせてくれ。勝手に先走るんじゃないぞ」とだけ言い残して、神社の外へ向かっていった。
境内にはまだ演歌のメロディが響き、下地ショウらしい声も聞こえるが、先ほどまでのリハーサルとは違い、なぜか控えめになっているようだった。
里奈はその歌声をかすかに聞きつつ、ポスターの写真と実物の下地ショウを見比べる。やや痩せた印象があるが、表情には自信をうかがわせる雰囲気が残っている。
「あの人、ただの目立ちたがり屋じゃないかもしれない。三浦さんとどんな関係があったのか、もう少し突っ込んで聞いてみたい」 里奈のつぶやきに、高屋敷は小さくうなずく。
新年を祝うはずの空気がよどみ、ダジャレめいたメッセージだけが闇を深くしている。
門松で始まった不可解な惨劇が、玉菊のイベントをどう飲み込んでいくのか、予断を許さない状況だった。
二人は人目を避けるように神社を出て、静かに雪の降る町を見渡す。観光客の足音だけが淡々と響き、どこか所在なげに街角を通り過ぎていく様子が、妙に気にかかった。
第5章:真実と新年の朝
里奈は旅館「玉菊」の大広間の隅から、準備が進むステージを見つめていた。
畳敷きの床の中央には小さな演奏スペースが設置され、舞台裏では下地ショウが声出しをしている。
女将の三浦つや子は着物をすそさばきしながら、振る舞い酒の器を並べるスタッフに細かい指示を飛ばしていた。
賑やかなはずの会場は、どこか落ち着かない雰囲気を含んでいる。
門松、鏡餅、お節と連続して起きた奇妙な殺人事件の影響は大きい。
にもかかわらず、この新年メインイベントを強行する背景には、昨年の中止で被った損失を挽回したいという思惑があるのだろう。
「ごめんなさいね、警察に言われて準備を縮小しようかと思ったんですが、もうここまで動いてしまっているんです」
三浦が小声で釈明するように言う。
里奈は表向き笑顔をつくったまま、スタッフの動きを視線で追った。
高屋敷はいつものスーツ姿で壁際に立ち、ポケットに片手を入れたまま周囲を観察している。
人々が大広間へ入ってくる。
下地ショウのファンだと名乗る中年女性が、彼の歌を心待ちにしているらしく、袖口をそわそわと弄んでいる。
地元の商店主らしき姿や観光客も混じっており、ざわめきが徐々に広がっていく。
その光景の中で、里奈はなぜかアルコールの匂いを強く感じた。
振る舞い酒用に選ばれた大瓶が、台車に載せられて中央へ運ばれていく。
「ここで酒を振る舞うなんて、本当に大丈夫かしら。
おせちに毒が仕込まれたばかりなのに」
里奈が呟くと、高屋敷が緩い調子で返す。
「なにしろ犯人は、正月の象徴を利用している。
酒も立派な正月の演出だろう。
ここを狙うにはうってつけだ」
女将の三浦が客席を回っていたとき、下地ショウが控室から姿を現した。
鼻筋が通った顔に薄化粧が映え、声量の豊かさを思わせる張りのある喉が目を引く。
ただ、その表情には険がある。
ステージに上がる直前、下地ショウは振る舞い酒の準備をしている若いスタッフを呼び止めた。
里奈と高屋敷は、何か引っかかるものを感じて舞台裏へ回る。
そのスタッフが持ち上げた大瓶には、既に封が切られた形跡がある。
中身がほんの少し減っているようにも見えた。
下地ショウがそれを確かめるように瓶を覗き込む様子は、不自然なくらい神経質だ。
「さあ、本番まであと少しよ」
三浦が忙しく声をかけた瞬間、下地ショウは慌てて大瓶をスタッフの手から離した。
その際、里奈の目に瓶のラベルの一部に濃いインクのようなシミが映る。
高屋敷も同じものを見ていたのか、小さく息を呑む。
「これ、酒に何か混ぜられたかもしれないな」
高屋敷が囁く。
瓶の口元からは通常の清酒とは違う匂いがかすかに漂っている。
里奈はそれを嗅いだ瞬間、どこか記憶にある薬品系のにおいと似ていると感じた。
実際に瓶の色を確認すると、微妙に黄みがかって見えた。
下地ショウはスタッフに向かって何か言い訳を口にしているが、もうその様子は誤魔化しきれていない。
高屋敷がそっと袖に手を入れてスマホを取り出し、菊池に連絡を入れようとする。
その動きを察したのか、下地ショウは思いつめた表情で口を開いた。
「仕方ないんだ。
こうでもしなければ、自分の演歌を広める機会なんてもう二度と戻ってこない」
震える声でそう言った途端、里奈の頭の中でこれまでの点が線につながる気配がした。
門松、鏡餅、お節に続く犯行の締めくくりとして、酒を使った毒殺を考えていた。
目的は、再び開催されるはずの新年イベントを滅茶苦茶にすること。
「やっぱり、あなたが犯人だったのね」
里奈がそう言うのと同時に、下地ショウは必死に首を振る。
「誰もわかってくれないんだ。
去年、イベントが中止になった時にかかった借金は、結局僕が被ることになった。
正月の行事がちゃんと行われていれば、スポンサーもついてくれたかもしれないのに。
あの連中は自分たちの利益しか考えていない」
演歌を披露するはずだった本番のステージに目をやりながら、下地ショウは顔を歪めた。
すぐそばに置かれた大瓶には、ダジャレめいた一文が小さな紙に書き添えられていた。
「酒(さけ)だけに 運命を裂(さ)け…なんちゃって」
高屋敷がそれを読み上げる。
「こんなことをしても、誰も喜ばない」
里奈が言葉を絞り出す。
下地ショウは瓶を奪うように引き寄せたが、菊池がそこに踏み込んで腕を押さえた。
駆けつけた警官たちが周囲を囲み、下地ショウは観念したように肩を落とす。
こうして新年のメインイベントは、別の意味で騒ぎになった。
下地ショウは酒に毒を仕込んで複数の客を巻き添えにしようとした疑いで拘束される。
正月を台無しにされ、追い詰められた復讐心が、彼にあの連続殺人を決意させたのだろう。
門松や鏡餅を使った殺害方法、そして悪趣味なダジャレは、正月を憎む歪んだ思いが形になったものだった。
会場に落ちていた紙切れと酒瓶のラベルが決定的な証拠になったと、菊池が教えてくれた。
前の被害者たちにも下地ショウが何らかの形で接触していたことが判明し、すべてがつながっていく。
事件が収まり、人々の動揺も少しずつ鎮まった。
旅館の女将の三浦は、ほっと胸をなでおろしながら客を見送る。
里奈はその光景を眺めながら、取材ノートをそっと閉じる。
「こんな皮肉な正月騒動は滅多にないわね」
高屋敷が隣で軽く肩をすくめる。
里奈は息を吐いて笑った。
入れ替わるように大広間で流れ始める演歌の伴奏には、どこか切なさと安堵が混ざり合っているようだった。
下地ショウの代役が急遽歌い始めたらしく、新年を祝う空気が再び戻ってきつつある。
里奈は高屋敷と顔を見合わせ、旅館の玄関へ足を向けた。
スーツケースの引き手を握ると、雪で冷えた手が少しだけ温まる気がする。
この街の正月は、奇妙なかたちで一区切りを迎えた。
だが、里奈はノートの最後のページにさらりと書きつける。
「まだ世の中には不思議な事件があるだろう。
きっと、また首を突っ込むことになる」
高屋敷がパイプをくわえながら微かに微笑む。
二人は足音を揃え、澄んだ冬空の下へと歩き出す