キガリ虐殺記念館 【ルワンダ・キガリ】 旅日記 Day300
2024/9/4
ルワンダに来てからはしばらくのんびりしていた。
そしてやっと、心の準備ができたのでキガリ虐殺記念館へ。
詳細は調べたら出てくるので、印象に残ったことをメモ。
ルワンダ虐殺
日本人にはおそらくあまり知られていない(?)この悲劇の出来事。
1994年4月からおよそ100日間に渡り、およそ100万人もの人々が犠牲となった大量虐殺。フツ族系の政府とフツ族過激派により、多くのツチ族とフツ族穏健派が殺された。
1994年。わたしの生まれ年でもある。
何か感じずにはいられない。
昔の話ではなくて、たった30年前の話。
一見、綺麗な国に発展し「アフリカの奇跡」とも言われるルワンダ。
目にする人々も明るく元気に見える。
でも、30年前のこの傷は、まだまだリアルに人々に刻まれているんだろうな。
元々は同じ人種の1つ集団であった
ルワンダ虐殺について調べるとまず出てくる「ツチ族」「フツ族」というのは、そもそも最初は存在していなかった区分らしい。
1899年以降、ドイツ→ベルギーによるルワンダ支配が始まり、その際に彼らがルワンダ人を3つの民族に区分した。
そして支配下でツチ族を優遇したり、IDに区分を記載させたことにより民族意識が高まり、不満・対立が高まりはじめたそうだ。
ドイツやベルギーはなぜ、同じように生活していた人々をこのように分けさせたのか。そもそもこの区分けをしなければ、悲劇は起きなかったのではないか。
安直だけどそう考えてしまう。
記念館の展示には、ドイツorベルギー人がツチ・フツを分けるためにルワンダ人の鼻の大きさを測っている写真があった。
うーん、なんだかなぁ…。
世界で起きた他の虐殺においても、このような人種分けのための測定が行われていたようで、その様子の写真が展示されていた。
女性はいつも犯される
この大虐殺に限らず、世界で起きた虐殺の多くで、女性は強姦されている。
人間ってなんて下劣なんだろうか。
ルワンダ虐殺では、多くのHIV感染者により女性が感染させられた。
また、強姦された結果生まれてきた子どもは3000人ほどになるらしい。
生きている場合はほぼわたしと同い年ということになる。
心に(身体的にも)深く傷を負った母と、その子ども。
その苦難は想像しきれないが、とても心が痛む。
救いを求めて逃げ込んだ教会
多くの人々が、救いを求めて教会へ逃げ込んだ。
しかし、人々が教会に集まったことで逆に虐殺が容易になってしまった。なんて悲しい。
救うどころか虐殺の手助けをする聖職者までいたそうだ。
今もなお友人を信頼できない
記念館に入って最初に視聴する動画の中で、女性が言っていた言葉。
「わたしは今も友人を信頼することができない。」
この記念館でいろんなことを知ったあと、改めて、それはそうだろうと思った。
隣人友人同士、あるいは家族同士でも殺し合った。(強制された)
信頼していたはずの人からこんな無惨な裏切られ方をしたら、人間不信になるに違いない。
友人さえも心から信頼できないって、孤独で苦しいことだと思う。
まとめ
この旅がなければ、ルワンダ虐殺のことは知らなかった。
なんならルワンダさえ知らなかったと思う。
過去のこととは思えない、たった30年前にこんな悲惨なことが起きていたとは。
人間って残酷。そして民族だとか、そういう集団意識って時には恐ろしいと思った。
特に洗脳って恐ろしい。いつでも誰でも、状況によっては加害者側にも被害者側にもなりうる。だから過ちを繰り返さないために学ぶ必要があるんだろうな。
今も世界では戦争や内紛が起きているけど、平和な世界が早く訪れることを祈る。